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やりたいことをやりたいと言える人だけができるのか。

ピアノをすれば指先を使うから頭が良くなる、健康になる…とか、鍵盤ハーモニカを吹けばたくさん息を吸って吐くから身体にいい…とか。

楽器演奏に健康効果を結びつけた文言や宣伝、以前からありはしたものの、ここ数年くらいからか少し増えたようにも感じている。

実際に研究論文が出ているのか。どのような検証方法あるいは実験方法を取ったのか。その期間は…など、いろいろ思うところがあるのはある。そのような楽器演奏の売り出し方を良くは思わない奏者もいるであろう。そこに金稼ぎの匂いを感じる人もいると思う。

ただ、私はこのような楽器演奏によって健康に…の謳い文句が功を奏している例があると思っている。

特に歳を重ねてから楽器をしたくなった場合、『いい年して何を夢みたいなこと言ってんの』『バカじゃないの』などと、家族や周囲の嘲りの声に晒されるケースがある(身の回りでもあった)

また、本人が『こんな歳から楽器やりたいなんて、気恥ずかしい、照れて言えないな…』と一歩足を踏み出せないケースもあると思う。

そういうときに
【健康のために】
という言葉が強烈な説得材料になることがある。自分にも、周りにも。

『健康にいいらしいのよ。だから楽器をやることにしたのよ。健康でいれば、あなたたちに迷惑をかけることはないでしょうからね?』

この一手でやりたいことに踏み出せる可能性がある。そういった意味で、【健康のために】は決定打に繋がる可能性があると言える。

さて…少し話が広がるが、

『自分がやりたいことがあり、それは社会的に問題ないような内容だ。真剣だし計画性もありお金の面でも何とかなりそうだ。だから真摯に言葉を尽くせば保護者はきっと理解してくれる』。こう自然と思える人はラッキーである。これは何も普通ではない。ラッキーな環境である。そして世の中そのような環境で育った人ばかりではないのだ。

【それをしてなんになるのよ馬鹿馬鹿しいわね】と耳にタコができるほど言われまくって育った人
【親である私の希望じゃないから絶対に許さない何が何でも絶対に阻止してやる】という環境で育った人はたくさんいる。あなたの隣にもいる可能性が高い。そしてこういう環境に長くいた人は、やりたいことへ取り掛かる心理的ハードルが高いのではないだろうか。

他には、やりたいことがあるけれど介護をしないといけないとか、親戚の誰それの世話を一手に担っているとか各々事情がある場合もある。子育ても子供の性質によって全く別物といえよう。仕事でも同じ。本人の意思だけでは何をどうやってもどうにもならないことってある。その中で、がっつりでなくても少しだけ楽器に触れられないかしら。。そんなケースもあるだろう。

そして、そういった人に対して『それで折れちゃうならそれまで。そういう試練を乗り越えないと本当にやりたいとは言えない』とか『やりたければ時間を作れるものだ』『本当にやりたければ健康のためとか言わずやりたいっていえるはず』ということばが聞かれたりもしそうだ。

それにたいして問い返したいのは『大変な試練を乗り越えた人か、もともと状況が整っている人か、素直に音楽を奏でたいということを周りに宣言できる人しか楽器をやっちゃダメ』とお考えですか、と言うところである。

きっかけは音楽以外のところ(健康になりたいとか)だったとしてもよい。あるいは周りを説得するための文言だったとしてもよい。音楽演奏以外の理由で楽器演奏の世界に足を踏み入れた人、【なんとなくやってみたい】と軽い気持ちで入ってきた人がそこから豊かな世界が広がるかもしれない可能性はある。そこをどう考えているのか、ということだ。

やりたいことを素直に言える環境や状況の人だけができるのではなく、ちょっとした言葉や工夫でもっと多くの人に可能性が広がるかとしれないこと。それは大切なことでもあるのではないか。

ただ一点…金をふんだくるチャンスと考えている人に搾取される構造には注意しないといけないよというのは申し添えておいたほうが良いかも?親和性高い気がするんで…。。

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Canna Natsuki
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