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誕生日にはお寿司と、少しの願いを。

「誕生日プレゼント、何がいいか決まった?」

そう尋ねると、彼は少し困った顔をした。

もともと物欲がない上、お祝い事であってもプレゼントを渡すという文化のない家庭に育った彼。そんな彼にとって誕生日はお祝いしてもらう日ではあっても、ケーキを食べてそれでおしまいという認識。故に誕生日にプレゼントをもらうという行為自体に慣れていない。

「何とかしてお祝いしたい!」

という想いから、毎年誕生日の何か月も前から欲しい物を考えておくようにお願いするのだけど、どうやら誕生日を目前に控えてた今もなお何がいいか思いつかず困っているようだ。財布やキーケース、時計など王道であろうプレゼントはあらかた渡してしまったし、それらの買い替えを提案しても物持ちが良い彼は

「まだ綺麗だし問題なく使えてるから新しく買い替えなくても大丈夫。」

と言う。そこまで言われてしまったら私としても何も言えない。仕方なく「今年も自分で適当なプレゼントを見繕おうか。」と考えが傾き出した時、不意に彼が口を開いた。

「じゃあ、お寿司が食べたい。」

「お寿司?」

驚いた私は思わず聞き返した。「誕生日プレゼントがお寿司って、それっていいのかな?」と考える私をよそに彼は続ける。

「最近食べてなくて、どうしても食べたいんだ。ダメかな?」

ダメなことはない。本人がそれが良いと言うなら、それが一番だ。そんなわけで、彼の誕生日はお寿司でお祝いすることになった。

待ちに待った彼の誕生日は平日ど真ん中だったので、誕生日が過ぎた週末に一緒にお祝いすることになった。外食でも良かったけど、ご時世を考えてお寿司はテイクアウト。ケーキと、せっかくだからお酒も買って二人で家路につく。

家に戻ると、もう夕方になっていた。窓から夕陽が差し込んで部屋を茜色に染めている。彼とは付き合って五年、同棲を始めて半年になる。周りから見ればそろそろ身を固めてもいい時期なのかもしれないが、彼とは「いつか一緒になれたらいいね。」と話したきりで、具体的な話は一度もしたことがない。結婚に憧れがないわけじゃないけど、それ以上に今の関係が心地良いと感じてるのが原因かもしれない。

「ビール、冷やしとくね。」

と笑顔で言う彼に礼を述べつつ、ベランダに向かう。窓を開けると夕方のひんやりした風が頬を撫でた。もうすっかり秋なんだな、と思う。彼と初めて会ったのも、ちょうど今みたいに風が心地良い秋の日だった——。

二人が出会ったのは大学四年の秋。きっかけは何だったか。ひょんなことから友人と合コンに行くことになった。その頃の私は相次ぐお祈りメールの嵐で心身ともに疲れ切っていた。周りが次々内定を勝ち取っていく中での疎外感。孤独感。地元を遠く離れての大学生活だから、頼れる家族にも気軽に会えない。何もかもに絶望していた、そんな時期に彼は現れた。

合コン当日、集合場所に現れた彼の第一印象は「大きい。縦も、横も。」という何とも失礼極まりないものだった。お互い軽く自己紹介を交わした後はフリータイム。各々好きに飲み食いし、会話を楽しむ。一緒に来ていた友人はお目当ての相手を見つけると一目散に前線へと旅立ってしまったので、私は私で会話もそこそこに飲み食いに専念することにした。しばらくして

「隣、いいですか?」

そう遠慮がちに尋ねてきたのが彼だった。どうぞ、と飲みかけのカシスオレンジを横に退けると「失礼します。」と言って彼が隣に座る。そこからは彼と世間話を少々。その中で彼が私と同い年であること、大学での所属がラグビー部であることが分かった。どおりで体が大きいわけだ、と一人で納得する。ふと気になって

「みんなの方に行かなくていいの?」

と尋ねてみる。私が目で指した先には、ビールを片手に盛り上がる友人の姿。私はビールが飲めない上、ああいう盛り上がり方は苦手だ。どう話に乗ればいいか分からず途方に暮れてしまう。けど、多分彼は私とはタイプが違う。どっちかと言えば友人寄りな気がした。

「私が一人だったからって、気にしなくて大丈夫だよ。一人の時間、結構好きだし。」

そう私が言うと、彼は少し困った顔をして頭をかいた。

「実は俺、ビールが飲めないんだ。苦いのがどうも苦手で。でも、こんな図体だから飲めるだろって強引に飲まされそうになったり…。だからここに避難してきたんだ。」

そう言うと彼はごめん、と謝った。勝手に避難場所にしてすみません、と。

それを聞いた私は驚いた。勝手に彼は友人寄りだと思っていたけど、彼は彼であのノリに困っていたのだ。謝るのは誤解してた私の方ではないか。微妙な沈黙の中、先に口を開いたのは彼だった。

「避難場所になんてされて迷惑だったよね。すみませんでした。」

と言って席を立とうとする。待って、と声を発したのはほとんど反射だった。けど、後が続かない。

「えっと、実は私もビールが苦手で…。苦くてシュワシュワなのがダメで…。でも飲めたらいいなぁとも思うし…。えっと、その…。一緒に、ビールを飲めるように、練習しませんか?」

何を言ってるんだろう。恥ずかしくて最後の方は消え入りそうな声になってしまった。恥ずかしすぎて彼の方を見れない。俯いて自分の吐き出した言葉に後悔していると、ふっと微かに笑う声が耳に届いた。恐る恐る顔を上げると、そこにあったのは彼の笑顔。

「いいね、それ。じゃあビールが飲めるように一緒に特訓しようか。」

いきなりジョッキ一杯はキツイから、二人で一杯のジョッキを分けることにした。空いたグラスにビールを注ぐと、黄色い液体がグルグル渦を巻きながら満たされていく。

「じゃあ、ビール克服を目指して。」

と彼がグラスを掲げる。二人で乾杯して一口飲むと、ビールの味が口いっぱいに広がる。苦いは苦いけど、ほのかに甘くて不思議と美味しく感じた。あれ、ビールってこんな味だったけ?ちらりと彼を見ると、びっくりしたようにビールを見つめて固まっている。目が合うと同時に吹き出した。

「案外、ビールって美味しいんだな。」

思ったことは同じだったらしい。もう一度、ビールを口に運ぶ。苦くて、甘くて、シュワシュワする。酔ってきたのか、彼のおかげか。私の中にあった孤独感はいつの間にか姿を消していた——。

あれから五年。早いものだと思う。

「男と女では結婚の重みが違う。するなら早い方が良い。」

と親戚から言われるようになった。その通りだと思う。分かってはいるけど、自分の気持ちを相手に押し付けるようなことだけはしたくなかった。あの日、私の中の孤独感を消してくれた、彼にだけは——。

「そろそろ食べよー!」

と言う彼の声で我にかえった。茜色だった空は、いつの間にか淡い紫と群青で彩られている。ずいぶん時間が経ってしまったようだ。急いでリビングに向かうとすでに食事の準備は終わったようで、テーブルにはお寿司とビールがセッティングされている。

「誕生日なのに準備させてごめんね。」

と謝ると彼は気にしなくていいよ、と笑ってくれた。二人で席に着く。いつものように「いただきます」をしようとすると、ちょっと待った!と彼にストップをかけられた。

「その前に、ちゃんと欲しいもの見つかったから。聞いてもらってもいい?」

そう尋ねる彼はどことなくソワソワして落ち着かない。一体何が欲しいんだろう?と先を促すと、彼は小さな箱を私の前に差し出した。そしてその箱を、大切な物を扱うように、ゆっくりと開ける。一瞬、それが何なのか理解できなかった。

「ねぇ、これって…。」

驚く私の前には、箱に入った美しいリング。真ん中にダイヤが埋め込まれた、婚約指輪だった。

「ずっと、考えてたんだ。欲しいもの。それで、その…。」

そこで大きく一呼吸して、彼は言った。

「僕と、家族に、なってくれますか…?」

その言葉に私は目を見開く。気づけば目からは大粒の涙が零れ出していた。信じられなかった。私のことを、そう思っていてくれたことに。

「私なんかでいいの…?」

そう尋ねる私に、君だからだよと彼は優しく笑う。そして左手の薬指にそっと指輪をはめてくれた。光り輝く指輪に彩られた私の左手は、今までで一番綺麗に見えた。これは夢ではないか。確かめるように、そっと指輪に触れる。夢じゃない。現実だと分かると、また涙があふれてくる。

「ありがとう。」

そう伝えるので精一杯だった。嬉しくて、幸せで。感情の波が押しては引いてを繰り返し、涙はとめどなく流れる。

「せっかくだから乾杯しよう。プロポーズ大成功ってことで。」

そう言うと彼は二っと笑った。何それ、と言いつつ私も笑う。やっと泣き止んだ私に満足したのか、彼はビールを開けてグラスに注ぎ始めた。あの日と同じだ。並んだグラスにビールが注がれるのを眺めながら、私はあの日を思い出す。あの時は、まさかこんな日が来るなんて思ってもみなかった。はい、と彼がビールの入ったグラスを私に差し出す。グラスの中では綺麗な琥珀色がキラキラ輝いている。まるで二人の未来を祝福しているように見えて、知らず私は微笑んでいた。

「じゃあ俺の誕生日と、プロポーズ成功を祝して!」

乾杯、とグラスを合わせる。二人の門出を祝福するように、合わせたグラスからチン、と小気味いい音が響き渡った。願わくば、この幸せがいつまでも続きますように。


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