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大人になった私が絵本で気づかされた大切なこと

私の中で「生きること」は決断の連続だと思っています。

例えば「進学」「就職」「結婚」など人生に関わる大きなことから、「今日はどの服を着よう」「晩御飯は何にしよう」みたいな小さなことまで。大小問わず、毎日が決断の連続です。そして私はその決断をするのがどうにも苦手です。

思えば昔からそうでした。

小さい頃から自分の意思が弱く、パッと物事を判断できない。「あれとこれ、どっちがいい?」という2択にすら答えられない。だから「この中から好きなのを1つ選んで良いよ。」なんて言われてしまうと自分で決められずいつまでも悩んでしまうような、そんな子供でした。

そしてそれは大人になった今でも変わらず。

外食をすれば「どれにしよう…。」といつまでもメニュー表と睨めっこしてしまうし、買い物に行けば服1着買うにも人の倍以上熟考してしまう。何なら「ぜんざいとおしるこ、どっちにしよう…。」なんて五十歩百歩なことにすら延々と頭を悩ませてしまう始末。

正直、小さい頃は自分で物事を判断できないことに不安や焦りを感じることはありませんでした。それは両親や周りの人たちが手取り足取り決断を促してくれるのもあったし、心のどこかで「大人の言うことを聞いていれば悪いようにはならない。」と思っていたから。もっと言うなら「自分が決めなくても周りが何とかしてくれるだろう。」「最終的には他の誰かが決めてくれるはず。」そういう甘い考えもあったのだと思います。

でも、大人になるとそうも言っていられません。いつまでも親を頼るわけにはいかないし、だからと言って決断することを放棄するわけにもいかない。

「自分のことは自分で何とかしなくては。」

この時になって初めて、私は決断力のない自分と正面から向き合うことを決意したのです。とはいえ。それまで決断することから極力逃げてきた私にとって、自分で様々なことを決めるというのはなかなかに難しいものでした。

自分で物事を決断するということは、当然ながら「その判断全てに責任が伴ってくる」ということです。それはつまり「最終的に結果が良くても悪くても、その責任は自分自身の判断がもたらしたものである」ということを認める必要があるわけですが…。

どうも私は「失敗したくない」「後悔したくない」という感情が人一倍強いようです。だから「どうしたら失敗しないだろう?」ということばかりに目がいって、なかなか決断ができない。結果として1つ1つの判断に人一倍神経をすり減らしてしまって人一倍疲弊してしまう、そんな感覚です。

自分のことは自分で決める。そんな当たり前のことが私にはできない。

そのことが辛くて悔しくて、でも自分じゃどうしようもなくて。一時期は現実逃避のように占いや他人の意見に便乗してしまうこともありました。

人に決断を委ねることで、自分は責任を負わなくて済む。それに、例えその判断が間違っていたとしても自分自身に言い訳ができる。「だってあの時、あの人がそう言ったから。」と。

本当は「このままじゃいけない。」ということは分かっていました。こんな人任せな行動はすぐさま改めるべきだと。でも、そう思えば思うほど自分で自分を追い詰めて余計に身動きが取れなくなってしまう。自らの判断で失敗することを恐れて思考を放棄してしまう。そうしてさらに暗く深い、思考を閉ざした底無し沼に沈んでいく。

そんな私を救ってくれたのは、一冊の絵本。きっかけは親戚の子に「これ読んで!」とせがまれたことでした。

たまたま親戚の家に行く用事があり、その家の子どもたちと戯れていた時のこと。当時その家では絵本ブームだったらしく日本昔話から海外作家の作品まで、ジャンルを問わず様々な物語が取り揃えられていました。そして「ぶーぶー(車の絵本)読んで!」から始まった絵本の読み聞かせ大会。次から次へと運ばれてくる絵本を片っぱしから読み聞かせていた時、私はその一冊と出逢ったのです。

その絵本は「自分一人では何もできない」と嘆くうさぎが森の動物たちと力を合わせて様々な困難を乗り越えていくという物語なのですが、私がこの絵本に惹かれた最大の理由は作中で放たれたこのセリフ。

なんで失敗することがダメなんだい?失敗するのは大したことじゃない。また挑戦すればいいだけの話じゃないか。肝心なのは失敗したあと。そこから何を学び、どう活かすかじゃないかな。

さらに私の心にグサリと刺さるセリフは続きます。

君は自分じゃ何もできないと決めつけてるみたいだけど、そんなことはないよ。君にしかできないことはたくさんある。それができないのは、君自身が「僕には無理だ。」と思い込んでるからだよ。

最初は子どもたちにせがまれるまま読み聞かせていたこの絵本。読み進めるうちに自分の心にグサグサ刺さって、最終的には「これでもか!」というくらい感情移入してしまいました。まさかハタチも過ぎた大の大人が、絵本にここまで感情移入してしまうとは…。

でも、この絵本と出逢えたおかげで私は大切なことに気づかせてもらえたと思っています。それは、失敗するのはダメな事じゃない。一番ダメなのは失敗を恐れて自分で行動しない事。

正直、私もこの程度のことは分かっているつもりでした。でもそれは分かっているつもりなだけであって、それを真に理解もできていなければ実践もできていなかった。だからいつまで経っても前に進めなかったんだな、と今になって思います。

その事に気づいてから、私は自分で物事を決断できるよう少しずつ意識と行動を変えていきました。常日頃から些細な事でも人に助言を求めがちだったので、まずはその頻度を徐々に減らし。さすがに大きな案件は事前に相談するけれど、個人レベルの瑣末な事柄は極力自分一人で決断・対処ができるようにまでなりました。

とはいえ、今でも私は自分で物事を決断するのは苦手です。特に即決が大の苦手で、素早い判断を求められると軽いパニックに陥ってしまいます。それでも、以前のように「失敗が怖くて思考を放棄してしまう」ということはなくなりました。それは、失敗に対する考え方が変わったから。

失敗しても大丈夫。そこから学んで次に活かせばいいし、なんならその失敗を「新たな経験」として楽しめばいい。

私がそう思えるまでに変わったのは、あの絵本に出逢えたおかげです。あの出逢いのおかげで、私の中で絵本は「子どもが楽しむおもちゃの延長線」から「子どもと一緒に大人も大切なことを学べる魔法の本」という立ち位置に大昇進を果たしました。子どもだけでなく、読み聞かせてる大人も思わずハッとさせられるような物語を創り出す絵本作家さんたちは本当にすごいと思います。

私事ですが。有難いことに先日無事臨月に入り、長かった妊娠生活も残りわずかとなりました。産まれてくる我が子がどんな性格で、何に興味を持つのか。そして自分は親としての務めを果たせるのか。毎日が不安とドキドキでいっぱいです。

大事なく健康に産まれてくれればそれでいい、とは思うのですが。わがままな私には一つだけ、どうしても叶えたいことがあります。それは、親子で一緒に様々な絵本を読むこと。

同じ本を読んでも人によって感想が違うように、同じ絵本を読んでも大人と子どもでは感じ方が全く違うと思っています。そして、そこから得る学びや気づき、考え方もまた千差万別ではないでしょうか。

私と産まれてくる子の感性が似てるかどうかにもよりますが。個人的には、小さい頃からできるだけ多くの絵本の世界に触れてもらって、様々な感じ方をしながらも親子一緒に絵本の世界観を共有できればいいなと思っています。もちろん、子どもが絵本にそれほど興味がない子なら無理強いはできませんが…。

もし叶うなら。子に絵本を読み聞かせる傍ら、私自身も絵本から新たな気づきや学びを得て一緒に成長していきたいと思います。


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