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就労継続支援A型事業所で働くとは。

今日は番外編です。

私の勤めた、就労継続支援A型事業所いついて書きます。
短い内容ですがお付き合いください。

まず、
ここに書くことはA型事業所のすべてに当てはまることではありません。
あくまで私の勤めた事業所での出来事ですので、
勘違いなさらないようにしてください。

平成30年5月〜令和3年7月まで
この事業所には勤めました。
初めはA型事業所の利用者として就職できました。

当時の私は、精神の症状が安定ぜず、
働く事ができませんでした。
そんな私を見た弟がA型事業所の存在を
教えてくれ、藁をもすがる勢いで
A型事業所について調べたものでした。

そして働くことにして面接を受け見事合格。
すぐに働き出しました。

仕事内容は、事務系。
パソコンを使った仕事をさせてくれるとおもっていました。
しかし、実際には仕事はありませんでした。

就職して2ヶ月ほどはなんとタイピングの練習だけ。
一日4時間タイピングだけ。
しかも、テストやフィードバック的なフォローがあると思いきや、
全くほったらかし、
ほぼ毎日、無言で4時間過ごす日々が2ヶ月。

初めてのA型事業所だったので、
こんなものなのかと思いながらタイピングに明け暮れていました。

2ヶ月がたって次のステップに進むことになりました。
今度はExcel、Wordの勉強です。
教材は自分で準備するように言われました。

タイピングの日々よりは変化があっていいと思いましたが、
これがモチベーションが続かない。
問題が出るわけでもなく、フィードバックがあるわけでもなく、
ただひたすら、自分が準備した問題集や参考書を使って勉強の日々。
この勉強の日々は、結局A型事業所を辞めるまで続くことになりました。

時々仕事がありました。
リライトという文章を書き換える仕事でした。
納期が約10日。多い時で月2回。
3名ほどのチームん別れて作業するのですが、
ここで問題が…
それまでほとんど話したことのない利用者と突然チームになれと言われて
ものすごく戸惑ったのを覚えています。
しかしそこは大人同士ですから、なんとかコミュニケーションをとって
仕事をしました。

ですが、多くても月2回程度の仕事ですので、
それ以外はまた勉強の日々が続いていきました。

だんだん嫌気が差すようになり、
働く意味がわからなくなり、
他の事業所に移ろうか考えました。
ですが、家族から猛反対を受け、なくなく断念。
この苦痛な事業所生活を1年続けました。

ここでタイトルでもある「就労継続支援A型事業所で働くとは」ですが、
今、サービス管理責任者になり
A型事業所で働くようになり、
わかったことがあります。

実はとても難しい。
A型事業所で働くのはとにかく難しいです。

なんか、書いているうちに
書きたくなることがいっぱい出てきましたので、
今日はこの辺で終わりにして、
次回にしましょう。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
次回をご期待ください。

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