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随想好日 第四十話『詩人は詩人・小説家は小説家 ?』

ここでの紹介先へお運び頂けている皆様には心より厚く御礼申し上げます。
わたしが紹介させて頂いているクリエーターさんたちも、皆さん同様に素敵な人達ばかりです。どうか、丁寧に可愛がってさし上げてくださいますよう。世一  拝

みみなしゃん ! ! 詩人の『うたがわきしみ氏』よりコメ引っ張り出しました !
あたしを褒めてちょうだい♬ そして皆で読みに行きましょう♬ まもなくギリの季節です(笑) たくさんの愛を届けましょう !  次はあなたの番かもしれません ! !

 別にね、他人様をネタに食おうとしてるわけじゃないのである。純粋に感心したり、嫉妬を憶えたり、感動したりするわけである。そうするというと紹介したくなるのだ。紹介されることが迷惑に感じられる御仁は遠慮なく教えて欲しい。人それぞれ。スタンスというものがある。ただし、文句はわたしに云わないでくれ(笑) 取り下げの申し出はわたし宛で良いのだが、文句はnoteのシステム宛としてくれ給え。

 さて、どこで読んだ原稿だったろうか。たしか……どこかの新人賞の審査員である作家先生の言葉だったと記憶しているのだが、些か定かではない。
 なんでも『尊敬する先生の言葉として、小説家とは人間の状態を云うのである』というものだったと記憶しているのだが、この言葉に私は『なるほど』と思えたものだ。

 しかし先日、Linkの『詩人というふしぎな言葉』というエッセイを読ませて頂いたとき、これまた確かにそうであると納得できたのである。
 先日も書かせて頂いたが数多ある文芸のスタイルにおいて、『詩』は最も絵画に近い芸術である。わたしはそう感じているし、この辺りはわたしの感性が支配しているところなので、理屈や理論を並べられたところで変わることは無い。

 がだ、詩人は何故"人"であって"家"ではないのか。
 小説家は何故"家"であって"人"ではないのか。
 ここに想いが至ると眠れなくなるのである。
 一括りにした言葉として"文人"というものがあるが、文家ではない。

そんなことを考えていると、昨日、このnoteに登録して活動を始めたばかりの頃から読ませて頂いている『うたがわきしみ氏』から詩篇がアップされて来た。わたしは氏の詩編が大好きなのである。
 もうね、誤解を恐れずに書くと人間くさいのだ。
 詩のことはわたしはド素人だからわからない。分からないものに評価を持ち込むほど愚かではない。要は人間くさい氏の詩編が好きなのである。
 ときに、とんでもなく耽美な詩編を降ろしてくる。わたしの尻から火を噴くほどに驚くような美しいものである。しかしそれもまた人間くさいのだ。

 して考えると、詩人とは人そのもののあり様ではないのかとふと閃いた。
人間すべての中に『詩』はあるのではないのか。言うなれば「詩人間」ということでは無いのか……。人間と書くといろいろ都合が悪い。詩人ではどうか~。どうやら収まりは頗る付きに宜しい。
人間が持つ"詩"を表現するものを詩人と呼ぼう。そうなったのではないか。

 などと、分かったような分からぬような……愚にもつかぬことを考えるのであった。

 わたしの考えることなどはどうでも良い。ここで紹介申し上げたお二人のクリエーターの作品を是非とも楽しんでみて欲しい。
 ついでに書けば、ご自身の中にある"詩"を見つめてみるのもオモシロい。
誰の中にも好きな画の一枚や二枚はあるものだ。
一人や二人の画家は想い起すこともできるだろう。
 人間にとっての"詩"とはそこが始まりなのかもしれない。

上手いか下手かは…… いろいろ都合もありましょうてなぁ。

世一


あのね、あたしチョット病んでるのよ(笑)
小説書いててね、かなり疲れるのよ。今書いているもの。なんかね、脳味噌が溶けんじゃねぇのてぐらい疲れる。とてもではないが、他の創作なんか無理なわけ(笑) でもね、他人様の良いもの見るとね、刺激は受けるのだわ。

因みにね、『うたがわきしみ氏』は、昨年、わたしがアクセスしたクリエーターの第二位だった御仁。このところ投稿頻度落ちてないすか? 忙しい?
またイロンナモノを読ませてちょうだい♬

紹介させて頂いたお二人のご繁栄を心よりお祈り申し上げます。
世一  拝

 

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