見出し画像

随想好日 吉行士道「ももひざ3年尻8年」に想う 2845字

 どうでも良いが、このところの書くものが色物に偏った傾向が覗えるのでございまして、どうしたものかと思案に暮れる日々が続いているわけでございます。まぁ、本品の場合、色物は人間性に癒着みたファクトのひとつでもありますから、仕方のないことではありますが。
 癒着デアルカラシテ、後天的にくっついたものであって、"生来の"ということではないと知っておかれることをキボンヌw

  さて、「ももひざ3年尻8年」とは、筆者が敬愛してやまぬ純文学・第三の新人であり、第三十一回芥川賞を受賞した吉行淳之介による、ひとつの標語なのですが_______、本稿では「ももひざ3年尻8年」にみる"男女の地平"というものに考察を加えてみたいと考えるのであります。

 まずは、「ももひざ3年尻8年」という言葉を知って頂くことからはじめよう。別に知りたくもないというご仁はスルーして頂ければ宜しい。
 さてこれは、吉行淳之介(以下、吉行と表記)の小説、対談、随筆などにおいて度々登場をみた吉行による造語であり、吉行の書くものにおいては、都度、漢字、ひらがな、カタカナにて使い分け表記されていた。
 この辺は吉行文学の、その時その時の気配をはじめとする舞台装置にも似た塩梅次第ということになるようだ。
 
 ここの板主である筆者は、読みやすさということから「ももひざ3年尻8年」と表現するようにしている。

 そもそも話しで恐縮だが、「ももひざ3年尻8年」という吉行語の元をたどるなら、桃栗三年柿八年、柚子の大馬鹿十八年という、市井の民による農作物の収穫に至るまでの必要な時間を表した言葉がその源泉となる。

 作物が育つためには時間を要し、その時間の経過はけして穏やかな姿ばかりではない。従って、それなりに時間を要するのである~ という見方を標語としたのでしょう。
 逆説的には、万物に永遠はなく、常に変化の途上にあり、永久不変は無し_______ 即ち、諸行無常の姿を説いた言葉と読むことも出来ようか~というのがここの見立てのひとつでもある。

 「なんと…… 、ここの板主にあっては、「ももひざ3年尻8年」という、顔の赤くなるような言葉を、仏教の根本の教え、三法印のひとつ、諸行無常と同じ読み方をするのであるか…… なんと含蓄深い……」と読んでくれるか、「否、アホじゃ」と読まれるかは判らぬが、そういうことなのであります。

 では、当の吉行はどの様にこの「ももひざ3年尻8年」を使っていたのだろう。実際の小説作品において、使い方を書きぬいておられる原稿をみつけたので、Linkを貼った上で紹介したい。

「しかしね、お嬢さん、モモヒザ三年、シリ八年、といいましてね」
「なあに、それ」
「腿や膝をスマートに撫でるには、三年の修業が必要、ということです。お尻には八年の修業がいるわけだ。なにせ、相手は若い男なんですから、その点、あまり怒らないでやってください」
(吉行淳之介『街の底で』)

 この作品の解説は文芸評論家の奥野健男氏が筆を執っているのだが、頗る付きに良い解説である。Linkを貼るので良ければ読んでみて欲しい。


 さて、残念ながらこの行に繋がる原稿が見られないことから、これだけ書くと唐突感しか感じられないのだが、要は、男が女の太腿や膝を「いやらしい」と感じられることなく、触れるようになるまでは、3年の歳月を要し、尻にいたっては8年の歳月を要する~ということを云いたいようであることが判る。
 そこに至るまでは、様々な想定外のアクシデントに見舞われ、様々な誤解、様々な危険が待ち構えた山や谷を越えなければならぬということなのだろう。
 言うなれば、これは吉行流の"士道"なのである。


 しかしである。ここからが大事なところだ。
これは、「触る側」からみた士道というという理屈であって、触られる側からみた理屈ではない________。
というのが、新説「女からみたももひざ3年尻8年」説となるのである。
 そう。片方から眺め見ただけでは今の時代、短いのである。届かない。

 まして、この言葉が誕生してから70年の歳月が過ぎようとしているのだ。世は、不倫は文化である~から、W不倫、肉食系女子から草食系男子、年下男子、推しメン、推し活、パパ活と目まぐるしい移り変わりをみせている。

 したがって、"男"士道からの一方通行から眺めた「ももひざ3年尻8年」は
「なにいってんの ?」と嗤われることはあっても感心を受けることは無い。今となっては懐古主義的、些か黴臭いご託宣となるだろう。
 
 ましてだ、「ももひざ3年尻8年」という言葉が生まれた当時の文学界の風潮は、女は子宮でものを考えるという男理論が幅を効かせていた時代でもある。今の時代にあっては、女性蔑視であり、ハラスメントであっというまにやられてしまうだろう。
 故・瀬戸内寂聴先生などは、これに頗る立腹されており(若い頃から)、逝去の直前まで続いていた、横尾忠則氏との交換日記(文通)でも文句を書き記しておられた。

 よって、男目線からではない「ももひざ3年尻8年」論を展開させる必要があったのだが、それを新説「女からみたももひざ3年尻8年」説とし、作品へと昇華させたのが拙著・夢殿「秋 涙(しゅうるい)」なのである。

【あのなぁ… 誰が云うたか知りまへんけどな、ももひざ三年しり八年云うてねぇ、女子(おなご)ちゅうもんはな、後家はんになってからも腿や膝に旦那の温もりを思い出しながら泣く日々は三年にもおよぶそうでしてな、尻にあっては忘れるまでには八年もの時間が必要やちゅうんねんから、そりゃぁ松枝も寂しかったですやろうなぁ。さっさと十八年も経ってくれたらこっちのもんなんやろけど。
 割れ鍋にも綴じ蓋いうて、どんな鍋にもそれなりの蓋はあった方がいろいろ都合も宜しいんやろうけど。自分たちの家の中で、男はんに先立たれ、残された者を見るちゅうのんは不憫でかないしまへん。
 それにしても昔の人はえらい粋なことを云うたものでしたなぁ。でもな、ももひざ三年しり八年てな、きっと考えはったんは男はんなんやろねェ。これまた女子(おなご)の業ちゅうもんをキッチリ知ってはったら、こんな三年だ八年だなんて云えますかいな。ねぇ……観音はん】


 これは、男の浅はかであり、知っているようで知らぬ女という生き物を、吉行が活躍したのと同じ時代に被せた一節なのだ。
ただ、吉行はそれも知っていただろう。男は常に女の手のひらの上で右へ行き、左へ行き、ごろりごろりと転がされる存在であり、逆らうことのできる存在ではないということは、吉行自身がよく理解していたのではないだろうか。
わたしは、宮城真理子との結婚を通じて、吉行淳之介という作家が、女と男を書き続けてきた理由を見た思いが捨てきれないのである。

 斜に構え「ももひざ3年尻8年」と嘯きつつ。
まるで子供のいたずらのように女の尻を触る。
"仕方のない人ね"と流す女に向けた甘えの姿。
それが吉行のダンディズムに思えて仕方がないのである。


文 飛鳥 世一

いいなと思ったら応援しよう!