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誕生日が嬉しいということ

今日、息子が5歳になりました。

起きてくるなり「もう5歳になった?」と確認して満足げ。



数日前から、保育園のクラスのあの子はもう5歳、あの子はまだ4歳だと位置付け、自分はもうすぐ5歳になるんだよ、と、5歳に仲間入りできることがあたかも誇らしいことであるかのように、興奮気味に繰り返しそんな話ばかりしていた。

たった数日の違い。取るに足らない違い。そこに優劣を見出したがるのは、意味を見出したくなるのは、人間の性か、親の育て方がそうさせるのか。



ふと、

早く生まれる、ということに、意味はあるのか?と考える。

では、早く死ぬ、ということは、どうだろう。

2016年に他界した父は、新型コロナウイルスでこんなになってしまった世界のことを知らない。

では、遅く生まれる、というのは?

遅く生まれたおかげで私は、戦争を経験せずに済んだ。

じゃ、遅く死ぬ、というのは?

あーあ。

これじゃ禅問答。



先日、社会学者の岸政彦さんの本「断片的なものの社会学」を読んだ。

書かれているのは、あらゆるものの「無意味さ」。

そしてあらゆるものの「かけがえのなさ」。



生きているとつい生まれたことの意味を考えてしまう。

意味なんてないのに。ね。


私が生まれてきたことも、息子が生まれてきたことも、意味なんてない。私たちは、意味もなく存在している。

そして、意味もなく存在する、ということにこそ、こんなにも感動を覚えてしまう。


ただ、そこにある。

ただ、ここにいる。

それだけでいい。



今年の5月に、ずっと一緒に暮らしていたトイプードルが亡くなりました。15歳になる誕生日の前の日の夜のことでした。寝たきりだったビート。いつもに増して調子が悪そうだったので、夜間の救急病院へと急いで向かいました。車の中で、苦しそうな声で「あうんあうん」と大きく2度鳴き声を発しました。病院に到着し慌てて診察台に乗せようと抱き上げると、その手足はだらりとぶら下がっているだけでした。




この15年の間の私はと言えば、離婚解雇海外逃亡復職その後の数人の彼たち今の夫との出会い再婚妊娠流産妊活出産、それなりに色々ありました。

その間ビートはずっと私のそばにいた。決して語ることなくただそばいた。それだけでとても救われた。



息子、今日から5歳。彼は、生まれて生きてここにいる。

それだけでいい。


それだけで私は、意味もなく嬉しい。
















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