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自分と他人って何が違うの? 〜思い出〜

皆さんには思い出がありますか。記憶でも構いません。
そして、その思い出が自分自身をどんな気持ちにさせたか表現できますか。

今日のこと、昨日のこと、1週間前、1ヶ月、1年、それ以上前…。
いつのことでも、どんな思い出でも構いません。

そんな思い出に関してですが、私は他人と比べると…
①自分の思い出が鮮明でない
②思い出と感情が結びついていない、と強く感じます。

思い出と感情が結びついていない

まずは後者に触れます。

例えば他の人が私に「あの時は楽しかったね〜!」と言っても、
その人の言葉の節々から感じることができる
「本当に楽しかったんだろうな」
と、私にまで思わせてくれる感情的な何か同じものは私にはありません。


自分はそんなこともあったな。確かに楽しかったなと冷静に振り返る程度です。

そんな自分と他人を比べると、何とも言えない気持ちになります。
何とも言えない気持ちの中で言語化できるものがあるとすれば、
「そんなに楽しかったことを同じ熱量で話せなくてごめん」
という相手への申し訳なさです。

2人とかで出かけたり遊んだり、時間を共有していたなら尚更です。

あと、これは後から書き足しましたが、他に感じることとして、
「過去」と「現在」が完全に分離された感覚に対する悲しさ、冷たさです。


今の自分は過去から形成されたものだと思う一方で、
今の自分の「体」は自分の「心」が使っているもので、過去の自分の「心」には関係ないと思っている節が少しあります。書いていてより悲しくなりますが。

自分の思い出が鮮明でない

少し話を戻して、他人と比べると自分の思い出が鮮明でないことにも触れます。

私は、昨日一昨日1週間前などなど…その日に何を取り組んだのか。
ということをあまり覚えていません。感情云々以前の問題です。

例えば、個人的に2週間前とかは発表が3つあるなど大変な週だったはずですが、
その記憶も断片的、そしてないに等しいと今は思います。

たとえ、睡眠時間が毎日3時間ほどであったという事実があるにも関わらずです。
今ではあまり大変じゃなかったのではないかとさえ思います。

返ってきた言葉

「〇〇さんは、体と心が別人みたいね」

これは、上記で述べた私が感じていることを他の人に共有した際に帰ってきた言葉です。

先入観を交えたくなかったので、後出ししますが、ここにおける他の人はカウンセラーの方です。他の人の目に映る自分、感じ取られる自分というものはそんな人なんだなと思いました。

上記の発言に至った理由なども言われましたが、正直覚えていません。
損してるなと思いますが、自分の思い出なんてそんなもんです。

自分と他人の比較を通して望むもの

後々読み返した自分も含めて、読み手の方は私が感じていることに対してどのように感じられたでしょうか。私としては、客観的な意見がとても気になります。

少し言い換えますと、
私は「自分と他の人では何かが違うな」という点にとても敏感です。
ですが、「他の人と一緒になりたい(同一化)」を望んでいる訳ではないです。

・絶対的なものとして、自分を知りたい。
・相対的なものとして他人から見た自分を知りたい。

この2点に尽きます。
カウンセラーの方に言われたこととも関係するのかもしれませんが、

私は「自分でもわからない自分」を
他の人を通して理解することを望んでいるのかもしれません。

上記2点の実現を通して、きっと私は次のことがわかると盲信しています。

なんで自分は他の人より、記憶が鮮明ではなく、
そしてそれらの記憶が感情と結びついていないのだろうか。と。

そして、わかることを望むに収まらず、

ヘッダー写真のように例えられるブレた記憶じゃなくなるのではないか。
他の人に自発的に共有したくなる鮮明で美しい記憶に変わるのではないか。

そんなことまでどこか潜在的に願っているとさえ今は思います。

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