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他人への依存を求める自分とそれを許さない自分

最近他人への依存度が高い気がする

それが今しんどい原因なのもわかる

私は普段から人に対して期待するし

人と自分を比べる

人からどう見られているのかも気になる

自分のモチベーションが大きくなるのも人次第

だけど自分は人に割けられる時間のある生活をしていない

あとそもそもそんな人との繋がりがない

必要ないって?

一人いれば十分だって?

そうは思うようで思わない

それは今の人間関係に満足していないからなのかもしれない

それとも一人からではなく多くの人に認められ
期待されたいと思っているのかもしれない


自分はしょうもないことで傷ついていると感じる

例えば内定先の人事との関係が所詮は
内定者とそのフォロー担当という関係なんだなって感じた時

自分は結構落ち込んだ

実際自分の今の内定先に対するモチベーションって
フォロー担当の人事に採ってよかったと思ってもらえるように成長すること

近い将来新卒関係のイベントで一社員として参加し
貢献できるようになることで
今関係のある人事部の方に報いたいと強く思っている

自分はどこにあるのかと一瞬思った

話を戻すが内定者という立場が終わっても
自分は一人の先輩として相手との関係を継続したい

単純に前提として他の人が私と同じ考えをしている
そう思わないようにしないといけない

まだその考えをする癖がなぜか抜けていない

対人関係における考えは個人差がないものだと思っている
そんなはずはいのに

そういった考えが自然と抜けたら楽なはずなのに

これからは結構そういう場面に出会うだろう
「仕事の関係」「ビジネス上の関係」

自分はどうしてもその限られた関係を嫌っている
どれくらい嫌っているのか
コンビニやスーパーの店員と客の関係すらも嫌っている

それほどにビジネスライクな関係は嫌いだ

でも最近 時間の有限さから
「誰かのために自分の時間を割くこと」
「自分のために誰かが時間を割いてくれること」の
素晴らしさありがたさ大変さに気付いたのに

知り合った人全員に自分の時間が割けないように
自分よりも交友関係の広い人はより
他人に対して時間を割くことができないだろう


自分は他人に対する依存度が高い気がする

だけど自分はそれをちゃんとわかっている

人に対して依存するようなことはしないと決めているし

そのために日々予定を入れる 目標を立てることで
自分が依存しないようにする環境を作っている

でもそれは自分が幸せと思うことを捨てているのかもしれない
もしかしたら誰かに依存している自分は幸せかもしれない

その姿はそれこそ自分が安易に二項対立で比較する
「仕事に生きる人」と「家庭で生きる人」
とも関係しているだろう

だけど自分が依存をすることで
「家庭に生きる人」となったとして
依存した自分はきっとその家庭を守る力はない

仕事を お金を得る力を高めることを捨てたのだから
そうなると自分は自分の経済的非力さゆえに
幸せに思えなくなるはずだ

どうすれば自分は
他人に対して依存性の高い自分は
幸せになれるのだろうか

自分の何かを変えるべきなのだろうか
捨てたり諦めたり

少なくとも今の自分を受け入れてもらったところで
それは自分と自分の周りを不幸にする

自分の意思はどこにあるのか
自分の変化すらも他人の目を伺って決めていると感じている

そして何より自分は恐ろしいほどに悲観的に物事を見ているのかもしれない

人生思っている以上にしんどくないのかもしれない
簡単でシンプルなのかもしれない

自分は人に依存することで何が満たされるのかすらもわかっていないのだから自分がわからない自分がとても憎い


【余談】
久々にここまで赤裸々に自分のことを書いた
恥ずかしさがないといえば嘘になる

自分の弱みや苦悩を曝け出しているから
久々に自分が気づいていなかった自分に気づけた気がする

それだけで今日はとても満足だ

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