公民連携エージェントを諦めた男の物語



入江智子さんの本が出ます。

ご案内の通り、彼女は元部下であり、今は公民連携事業のパートナーとして大阪府大東市で切磋琢磨している戦友でもある。
元部下だから、初めは「入江ちゃん(僕は呼び捨てにはしない)」その次に「入江さん」で今は「入江社長」と対外的には呼んでいる(もちろんプライベートの時は入江ちゃんと声かけているが)。

彼女が公民連携エージェントして活躍するまでの苦難のストーリーはこの本に満載されているので、しっかりと購入して感じてとって欲しい。僕はそれまでの繋ぎのストーリーを書いてみたい

木下斉氏との出会い


よく逸話として紹介し、入江ちゃんの書籍にもでてくる僕が市長に連れられてoガス主催のセミナーに休日拉致され、聞かされた時の講師が木下さんというのが定説だけど、僕自身はその前から木下さんのことは知っていた。


そう、「まちづくり:デッドライン」だ。
2014年10月の出会い以前にこの本を読破していて、このデッドラインと名付けられたセンスを妙に気に入っていたのである
この書物の中に僕の故郷大阪府枚方市の鍵屋の市が出てくるのだが、子供の時には「喰らわんか舟」や東海道53次の旅籠の話での鍵屋のことは知っていたし、大阪府大東市の企画担当職員であった僕は「北河内地域広域行政圏」の企画担当職員と仲がよく、枚方市の職員さんとともにこの鍵屋は訪れ飯を食ったこともあったのだ。

その鍵屋で「マーケット」をしてる、それもものすごい店舗が出店していてということは恥ずかしながら知らなかった。このデッドラインで知り、「枚方愛」溢れる僕はずっとそのことが気になっていての再会であった。

「まちづくり:デッドライン」をなぜ手にしたか。元々乱読の僕はたまたま山崎亮さんにハマり大阪の人ということもあってマルヤガーデンから何かの繋がりだったのかもしれないが定かではない。
人の出会いの面白いところはこの鍵屋でのマーケットの仕掛け人が後に大東市で「大東ズンチャッチャ夜市」創設に導いて下さった加藤寛之さんだということはこの時はもちろん知らない。

そんな奇妙な繋がりが後々大きく広がっていよいよ真打ち入江ちゃんの登場になるのだけど、もう少し彼女との話を。

平成16年度に僕は大東市都市整備部都市政策課に異動になる。
入庁して10年間企画課に在籍し大阪府企画室に2年派遣されまた企画課に配属された生粋の企画人で14年も経過すると自慢だけど誰も僕を超えることができないほど、誰もが僕の意見に反論できない状況になっていた。特に14年のうち、8年間が共産党政権という変わった環境で政治的な対立が常態化しているような乱世では僕の経験と考えに頼らざるを得なかったのだろうと今思えば感じる。
ただ、この伸びた鼻はあまりにもそびえてしまい、周囲からは疎まれていたのは薄々感じていた。
当時の課長は特に顕著で僕が大阪府から戻ることさえ拒否していたほどだ。なので異動は時間の問題だったのだけど、その先が事務職が一度も配属されたことのない、技術職の定位置であった「都市政策課まちづくり係長」というのは嫌がらせとお試しということもあったのだろう。ここでの出来事は色々あるのだけど、本論と関係ないので、つまりは同じ部の建築営繕担当に入江智子ちゃんはいた。

市営住宅建て替え事業は都市整備部の長年の課題であったのだけど、高度成長期に一気に建設され、老朽化が同時期に重なってしまったのだけど、なんせ金がない、平成の始めには赤字日本一である。共産党政権が誕生した背景には財政がずっと赤字なのにハコモノ整備が止まらなかった前政権への鉄槌であったのかもしれないがとにかく大東市の特有の課題でもあった。

なので建て替えの是非はきまれど、財政危機から脱することができずに、加えて市営住宅という、周囲の住民からは一部の住民への便益に過ぎない建物に金をかけるなという雰囲気でもあった。
 とはいえ耐震性がなく、老朽化が進み、お風呂もない住宅をいつまでも放置しておくことは不作為に当たるのではないかという恐れを抱いていた上司はなんとかしたいが答えを見つけられないまま時が過ぎていった

(続く)


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