世の中の人は、そんなに自分に注目していない

最近、Twitterで美輪明宏さんの言葉のbotというものをフォローしました

タイトルの言葉は、そんな美輪明宏さんの言葉の中で、僕の心にとても響いた言葉です

何故この言葉が響いたのかというと、自分で言うのも気恥ずかしいのですが、僕は結構人の目を気にしてしまう性質の人間です。だかかなのか、「これが自分なんだ!」というような行動を自分発信ですることが苦手です。それで人にどう思われてしまうのか、というある種の杞憂に苛まれてしまうからです。

しかし、この言葉に出会って、自分が大々的に注目されるような存在なのか考えてみれば、別にそうでもないなと思ったのです。皆から注目されて好かれるような存在になれれば、どれだけ幸せだろうかとも思います。そういう側面ももちろん僕の中にあります。ただ、自分がそれなりに有名になったところで、極論ですが、半数以上の人の人生に影響を与えるほどの存在だから!それぐらい君は注目されてるんだから!となることはまず有り得ないことです。確実にそうなるよ!と言われたらそりゃ、色々と自分を押し殺して生きなきゃいけないでしょうが、もう1度言いますが、そんなことはまず有り得ません。

僕自身が人や物に『注目』する時についても考えてみたのですが、人間の本質の部分や振る舞いなどには、その時々に注目はしますが、よく考えてみればそこまで深く見ることもないなということが多いことに気付きました。「周囲の物事に敏感じゃない!」と言われたりもするのでしょうが、そんなにしつこく見ていれば、それは『注目』を通り越して『執着』かなとも思ったりします。その辺りの線引きもまだ上手くは出来ませんが、それはもう少し時間をかけながら自分なりの基準として定めたいと思います。

美輪さんのこの言葉に出会ったり、noteを始めるきっかけにもなった出来事があって以降、「これが本当の自分だ!」というような行動を、これまでよりもあまり気にすることなく出来るようになってきていると思っています。そしてこれは本当にここ1ヶ月ぐらいの話なので、長い付き合いの人たちよりも、この1年以内に知り合った人たちの方が、結構僕の本質にあたる部分を見ていたり、自分の口から喋って知ってもらっているかなとも思います。僕自身の考え方の変化もありますが、そういう部分を見せれる安心感のようなものがある人たちが、今の環境には多いことも大きいなと思います。

まだ杞憂が完全に抜けた訳ではありませんが、少しずつもっと自分らしさを出していけるように生きていこうと思います。

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