通販サイトAmazonの「評価」の功罪

本を買う時にレビューを見てしまい評価が低かったから買うのやめた…というのがなんか本末転倒じゃないか?と思って最近は本を買う前にあまりレビューや評価を見ないようにしている。

具体名を挙げると、ゲームのダウンロードプラットフォームであるsteamの評価は割と参考にしているが、
Amazonの低評価はチェックして嫌な気持ちになったことの方が多い。
たとえそれが的を得ていそうな、ちゃんとしたレビューであっても。

なぜsteamは気にならないかというと閉鎖的だから?あるいは「5つ星評価」ではなく、「圧倒的に好評」「賛否両論」みたいな「文字」で表示されているからかもしれない。
星で表されると、直感的にわかりやすいぶん、ストレートに評価の度合いが深く心に刺さるように印象付けられてしまうのだろう。

自分にその商品が響くかどうか、そして買うかどうかという個人的な行いのはずの「品定め」が、「評価」という相対化された「まわりの空気」みたいなものに邪魔されている感じがすごくするのだ。

常々、周りがいいと思ってるから買うなんて行為は馬鹿げてると思っている私でも、こんな風に「うーん、こんなに評価が悪いならなにかこの商品には欠陥があるのか…?」と購入を躊躇ってしまうのだ。

おかしい。
やっぱりこれはなにかおかしい。

そう思って考えていたら、もしかしたらこの「評価が低いとわかると買いたくなくなる感」は、「穢れの思想」の一種なのでは?という気がしてきた。

評価の低さを、コンテンツや商品の瑕疵=穢れと見なしてしまうなら、たしかに手に取りたくなくなってしまうのも納得がいく。

自分の本棚や、脳内は清浄な空間、神聖な場であって欲しいからだ。
刺激を求めてノイズを取り入れることと、良いと思わないもの、すなわち穢れをそのままにしておくことは違う。

なんとなく感じた穢れ感を避けたいがために、自分がピンときたものを買わずにいてしまう、これ自体も、自分の感覚が「世間の平均的評価」に穢れているのかもしれない。

だからそんな勿体無さを避けたくて、最近は直感的に「これだ!」と思ったらなるべく星の数を見ず、レビューを読まず、欲しいものリストに入れたり、図書館の予約に入れたりするようにしている。

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