校倉来夏
料理とかの楽しい系、根が明るい系の記事をいれてあります。
自分で書いた読書メモや映画感想のnoteをまとめてあります。
お気持ち過激派にも多数派にも穏健当事者にも誰からも不評な例の理解増進法だけど、「とりあえず作りました」のアリバイ作りとしては、ほどほど折衷案丸呑みは最大限ベターな落とし所になったんじゃないかなぁと感じる この法律、たぶん外向けなんだと思う。内発的に作る動機も理由もないからな…
ファンアートコンテストとかの応募可能ジャンルを見てると、いつも絵や立体物や映像ばかり。文章のタイプのものはお呼びでないと言われているようで、虚しくなる。けしてそんなつもりはないんだろうけど、遭遇するたび「目で見てわかるもの」が作れないファンはファンでないような気持ちにさせられる。
保険とか相続のこと調べてるとマジで法律婚の配偶者への優遇が羨ましすぎるからとっとと粛々と同性婚できるようにしてくれと願ってやまない。結婚に憧れがうんぬんより、相手が戸籍上同性ってだけでかかる税金が多くなるの、まるで「趣味の付き合い」扱いされてるみたいで納得いかないすぎる
ネットコミュニティに興味を持っても、規約やルールを見て「メンタル疾患抱えてる人はお断り」って書いてあると、リスクを考えたら納得はするけど感情的にはものすごくダメージ入るんだよな…なんで毎回こんなこと確認してからでないと仲間に入れてもらえないのかと。
望まない性自認で扱われるから離婚する、という話。芸能人とか露出の多い人だからこそそうせざるを得なかったのかもしれないけど、そもそも「結婚できる選択肢がある」時点で羨ましいな、と思ってしまうのも事実
彼と我を「恵まれてる人(ずるい人)」と「恵まれてない(けどそれは自分が悪いわけじゃない)」という分断にしがちなの、自分もわりとその病巣に蝕まれてるからこそ日本のよくねぇとこだなぁと。
そこに向き合う勇気もないくせに「恋人がいるやつは救われるからいいよな」という態度を取ってたらうまくいかないのは、障害や病気が原因ではないのではと。恋人じゃなくても小さなコミュニティでもなんでもいいから、価値を作ってそれを提供できる者になれというのはものすごくしっくりくる。
嫌われる勇気とかでも言われてた話だけど、それを日本の社会学から見たような内容でも同じことが指摘されてて、「人間関係で生じる面倒くさいこと」をコスト、不要品として遠ざけたりカットした結果、生物として生きづらくなるのは当然だよね、という
過去に「発達障害の成功例は恋人を見つけた人だけなのはなんで?」という話を書いたことがあったけど、昨日読んだ本で「それは発達に限った話ではなく健全な共同体に所属できないと人間は詰む」ってことなんだと腹落ちした。
かろうじて動ける数時間を仕事に回してるから頼まれた家事すら滞ってるし到底自分のタスクとかやりたいことまで手が回らないけど時間だけは過ぎてくよね… これも双極による「休息なんて時間がもったいないだけ」思考によるものなのかなぁ
メンタルの病は体の病だ、という話に強く頷いたのは、精神的に不調を感じてない(うまくいってる)ときにさえ体が動かない、という場面に最近よく遭遇するからなんだよなぁ。意志の力でどうにもならないのほんとに困る。
一般の健康な人と全く同じ働き方を求められるなら「それって健康な人を雇うと金がかかるから安く買い叩きたいだけでは?」と思うけど、じゃあ「健康の都合に配慮してあげるけど賃金も安いよ」では立ち行かない。とはいえ配慮もあるし高賃金だと健康な人と不公平な気がするし…難しい…とても…
ありがとう……サマーアドベンチャー…
集団で狂い騒ぐ系交流にあまり意義を見出せないのと、玉石混交の考察の海から気の合うものを見つけるのが最近精神の体力的に厳しいので黙々と作ってはアップするだけの創作物製造機になりたい…
「この程度で?」って内容ですら流れ矢に当たったので、ネットで晒け出して活動してる人ってよっぽどすげーんだなと思う
はっきりクソリプ〜〜!って内容でなくても個人的なぼやきに見ず知らずの人から横槍入れられるのがとにかく嫌いなのでTwitter向いてないなと思いました。まる。