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小説『スズメバチの黄色』は最高にサイバーパンクだ

始めに:この記事内には『スズメバチの黄色』のネタバレが含まれていますが、この小説は何回読み返しても面白いしここを覗いたところでその面白さは1ミリも減りませんがそれはそれとして早く読むんだ。早く!早く!


最初に言っておくと、『スズメバチの黄色』は最高にサイバーパンクで、ジュブナイルでヤクザな史上最高のエンターテインメントだ。小説でありながら漫画のようにどこのページから読んでもめちゃくちゃ面白く、頭から読み始めると映画のように最後まで夢中になって読み切ってしまう、凄まじいパワを秘めている。


色んなところで言われているがこの小説を読むにあたってニンジャスレイヤーの知識は一切必要ない。当然劇中では月を砕いたのはニンジャスレイヤーだとも、霞ヶ関で天下りと財閥が熾烈なニンジャ大戦を繰り広げたことなどは一切書かれていない。そんなことを言うやつは狂ってるからだ。代わりにあるのは龍256というキメラテックカルチャーアジアンサイバーパンク舞台と、暗黒メガコーポ、カルト組織、そして濃厚なヤクザだ。そしてただ一つ知るべきことは、クソ野郎に全てを奪われた若者が自分自身を取り戻し、奪い返す物語であるということだけだ。

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老元千葉

外見年齢12歳。女のようにきめ細やかな肌。灰色の髪に群青の瞳。12の時に花魁を抱き、パナマ産の葉巻を好む、若干16歳のヤクザのオヤブン。その全てが彼のことだ。『スズメバチの黄色』はラオモト・チバの物語である。あの地獄のようなニンジャスレイヤー本編からこの龍256へと落ち延びたチバは、さながら荒野を彷徨う流浪のルンペン野郎だが、その実ソウカイヤ再興を決意する真のヤクザオヤブンであり、ゴロツキがたむろする胡乱なバーに突如現れた歴戦のガンスリンガーであり、両親の敵討ちのため単身タルサドゥームのアジトに忍び込んだコナンでもある。彼が纏う黄金のソンケイはこの本の登場人物を全て合わせてもカス札にしかならないほどに滾っており、その容姿でうらなり坊やと侮った者は次の瞬間、心の底を見通すカタナのような視線と弱者を震え上げさせる容赦無い罵声、そして抜き身のチャカから真のヤクザのみが宿すソンケイを感じ、恐れ、平伏し、忠誠を誓うことだろう。


火蛇

学は無いが頭は切れる、しかし自分を達観して現状を変える行動に移せず、ケチなヤクザの使い走りとして使い潰される。それが火蛇を待ち受ける運命の筈だった。しかし、鎖に繋がれ犬の餌になるのを待つばかりだったサボタイを救ったのは他でもなくチバだ。火蛇の最大の持ち味は華麗なパルクールを可能にするサイバネ化した両脚でも、人体を容易に溶断するヒートウィップでもない。真の男を知っているが故に身につけた、ソンケイへの深い理解である。彼はヤクザではないが真のヤクザの何たるかを知っている。それは彼がまだ盃を交わすに至らない若輩で濁りなき純粋な人間性を持っているためであり、それ故にチバに見出されたのだ。「人は一瞬で変われる」とはとあるヤクザの偉大な言葉だが、火蛇もまさしく、チバと出会い「変わった」人間だ。

大熊猫

世の中には「友情」「努力」「勝利」という言葉があるが、このスズメバチの黄色で言い換えるならそれは「ユウジョウ」「カラテ」「ソンケイ」となるだろう。大熊猫はこの混沌の世において何より「ユウジョウ」を大切にする稀有な若者だ。彼のハッキング能力は龍256の全貌を見渡すほどだが、電脳に意識を飛ばし全能感にトリップすることも、口座を電子素子で満載にすることもせず、飯店の宅配ドローンを遠隔操作する延長線上にあるに過ぎない。彼の要塞の如き電脳基地もただの興味本位で作り上げた代物であり、その中心にはいつも火蛇がいるのだ。


蠱毒

蟲毒はケチな三下ヤクザで、情緒不安定だが頭は回り、強者には媚びへつらい、弱者には高圧的であり、しかも成り上がるためなら己の属する組織すら躊躇いなく売り渡す、つまり最低のクソ野郎だ。その目はひどく濁っており、真のヤクザの象徴たるソンケイの影も形も存在しない。しかし若手の幹部最有力者らしく舎弟の扱い方は手慣れており、暴力、言葉、態度などあらゆる面から飴と鞭を使い分け、手駒として使役し、最後には使い潰す。誰にも知られない暗部で下劣極まりない手段で地位を築いてきたその立ち回りは実際狡猾だが、それは斜陽となりつつある老頭という組織の腹の中だからこそであり、龍256の外からやってきた、真のヤクザオヤブンであるチバには一瞬でその本性を見抜かれる程度の悪質なヤクザに過ぎない。

終盤にはまさにチバによって悪事を暴かれ、完全にケツに火が付いた状態になるが、老頭、デッドスカル、武田、KATANAの4勢力が入り乱れる混沌の修羅場をつくり出すという恐るべき悪運の強さを発揮する。ドラッグをキメながら凄まじい形相で銃をコッキングし、持ちうる全てのツテを総動員して龍256を血の海へと変えるべくベンツを走らせる様はむしろ見ていて清々しささえ感じる狂気だ。


氷川

ディセンション後すぐにKATANAにスカウトされたのか、ニンジャもヤクザもモータルも必死な混沌の時代にその力を手にしたためか、それともコリの女王が斃れた後だったためなのか、氷川がニンジャとなっても残虐に人を殺めるニンジャとならなかった理由は不明だ。少なくとも彼は、かつてのリーダーだった火蛇と軽口を言い合い、親に金を振り込み、クールなアーマーに身を包むKATANAを最高にスマートな組織だと自慢する程度には人間性を失ってはいない。彼は以前の悪童だった自分とは完全に決別したと言ってはばからないが、その歯ぎしりとこみ上げてくる怒りは、紛れもなく氷川の人間としての感情だ。


脳外科医

「私の名前は脳外科医と言うんです」という”挨拶”から始まる殺戮。脳外科医は血を見るのが何より好きであり、命の取り合いに興奮し、一方的な蹂躙で嗜虐心を満たすクソ異常者である。そう、正しく常人ではない。彼女にとってはヤクザも重サイバネアサシンもハッカーも等しく取るに足らない存在だ。金ともソンケイとも一切交わらない世界の住人であり、龍256を暗躍し、氷川と超常の力の応酬を繰り広げる姿は、サイバーパンクヤクザ小説である本作にフィクションじみた異様さをまざまざと見せつける。


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サイバーパンクとは

上に書いた通り、『スズメバチの黄色』は最高にサイバーパンクだ。サイバーパンクとは一体何なのか?重金属酸性雨やディストピア社会など、風景描写的なサイバーパンクもあれば、「精神的サイバーパンク」「実質サイバーパンク」「キアヌが出ればサイバーパンク」など、サイバーパンクを語る言葉は多い。だが、どれが正解だということも無い。サイバーパンクは全人類がその心に内包している情景であるからだ。例えば、映画「ブレードランナー」は史上最高のサイバーパンク作品の一つだが、それは映画全体を俯瞰して語られがちだ。しかし、今はそんな高慢ちきな知識をひけらかす必要は一切ない。俺はサイバーパンク博士ではない。つまり何が重要かというと、ルドガーバウアーが殺し合っていたハリソンフォードを救うのは最高にサイバーパンクだし、ライアンゴズリングが「チクショー!」と言ったりすることがめちゃくちゃサイバーパンクだということだ。

『スズメバチの黄色』には人間が本来持つ原始的な感情、欲求、つまりエゴの爆発が全編にわたって記されている。金、名声、妬み、快楽、功名心、再起……そのどれもが理性とはかけ離れたものだ。しかし、テクノロジーの進歩により既存の価値観は破壊され、自社と他者の境界が曖昧になる未来において、それは何よりも己自身を強く保持できる重要なピースだ。つまり、エゴが強いものがすべてを制する。『スズメバチの黄色』は混迷の未来で決断的エゴを抱えて奮い立つ若者たちの物語であり、その表紙からは黄金のソンケイが立ち上っているのだ。


(終わりです)

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