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不安とトラウマの枝葉

先月は、常々から嫌っていたクライアントと縁を切った。
フリーの身ならクライアントの愚痴を言ってはならない、みたいな話もあるが、別名でやっているのでこれくらい書くのはいいだろう。

理由は
やたらとワーホリのように働かせたがったり
いきなり新しい事をやらせようとしてきたり
攻撃的な言葉をかけられたり
とにかくいろいろだ。

最後の方は、あまりのストレスでメッセージを見るのすら嫌になっていた。
拒絶反応が出るほど嫌になってしまったらおしまいなので、離れたのは正解だったと思おう。

縁を切った以上、これに関しては思い出したくもないので、ここまでにしておく。


不安の増大

いきなり愚痴を書いてしまったが、本題はここからだ。
今回の縁切りで、仕事量が減ったのである。
その影響で、5月から現在にかけて、作業量の見直しをしていた。

当然、実入りも減ったわけだが、障害年金を頂けるようになったのでそこまで問題はないし、最悪でも半死人のような生活をしていれば生命活動は可能だろう。

問題は不安だ。

実入りが減るという事実は事実でしかないので、ありのままを受け止めるだけなのだが、不安というのはそうもいかない。
特に僕のような不安の強い人間は、不安を膨張させがちで、問題を実際よりも大きくとらえてしまう。

今回の仕事量の減少もそうだ。
仕事を減らしたこと、年金が受給できたこと。
これらは長期的に見ればいいことで、空いた時間を療養やそのための知識の蓄積、セラピーとしての趣味にも割けるわけだが、不安というやつはそれを許してくれない。

動いていない自分やこなした仕事量を思い出させては、不安と恐怖をあおってくる。
こうして一文にもならない文章を書いている間にも、常に不安が頭の片隅にいて、現実に起こるかどうかもわからないお金の問題を突き付けてくるのだ。

ちなみに、知っていてどうなるわけでもないが、脳の情動の中枢『扁桃体』という部分が関係しているそうで、恐怖や不安の出所になってるらしい。
不安や恐怖は人間にとって、昔の過酷な環境を生き延びるのに必要だったわけだが、現代においては邪魔になる事が多いし、僕の場合は人生の足を引っ張ってすらいる。
脳の仕組みと現代社会の構造が合っていないとも言えるかもしれない。

そしてこんな浅知恵をいくら記憶に放り込んでも、不安は無くならないのが困りものだ。
ともかく、僕は不安が非常に強いので、まずは安心しないといけない。
今の行動量でも生きていけるという事を、どうにかして脳にわからせないといけないわけだ。
これに関しては何かいい感じの薬を出してもらうか、無理やり扁桃体にわからせを仕掛けるしかない。

トラウマの枝葉について


話は少し変わるが、仕事量が減ったという事は時間ができるという事だ。
6月は『過剰なストレス反応がない状態での作業量』を計る月として、不安のままに仕事を増やしたりしないように調整している。

しかし、今のところの感覚としては、
仕事に追われる感じがなくなり、自分から仕事を見つけてプチプチ潰すような感じになっている。いい事だ。
今も手持ち無沙汰になったからこんな文章を書いている。

最近までは、冒頭で話したクライアントの影響で、
①ストレスで動けないので時間が足りなくなる
②帳尻合わせで短期デスマーチを敢行して消耗
の無限ループだったが、ようやくそこを抜け出せたわけだ。

先述の不安の増大は置いておくとして、これ自体は非常にいい事だ。
そもそも、雇用して守ってもらえているわけでもないのに仕事に追われるなんて、本末転倒もいいところだった。馬鹿らしいので二度とやらない。

なので、今回の縁切りで出来た時間を趣味に充ててみようと思うのだが、そこにもちょっとしたトラウマがある。

その趣味とは創作だ。
わけあって僕は、自分のつくったものを人に見せるという行為にかなりの恐怖を持っていた。以前は本当にひどい状態で、こうしてnoteを書けるようになるまでにも数年を要している。

趣味にまでこういう恐怖が絡んでくると、本当に生きづらい気分になるが、まぁそういう星の元に生まれてしまったのだから仕方ない。

やろうとしている創作は主に小説、次点で動画だ。
恐怖の強さも同じ順であり、動画に関してはそこまで恐怖がなく、習慣化できればそれなりにできそうな気がしている。以前、少し動画をつくっていた時に構築した環境があるので、それを応用してみるつもりだ。

しかし、問題は小説だ。
昔はそれなりに書いていたが、今はなんというか、ジャンルそのものにあまり触れたくない。ひどい時は本屋に行くのも嫌だったくらいだ。
今はだいぶマシになってきたが、自分で考えた物語を書いてあけっぴろげにするのには未だに強い抵抗がある。

しかし、僕のような意識が半分現実にないような人間にとって、空想のアウトプットができないのは想像以上にしんどい。思考の便秘状態になってしまう。
なので、なるべく楽しく生きるためにも、創作に関するトラウマの解消は最重要課題だ。

有効なのはカウンセリングや認知行動療法だと思うが、そういうのをやるとお金がかかり、先述の不安が膨張してしまうので、ひとまずは様子見しかなさそうだ。

そこにちょうどよさそうなのが、作業ハードルの低い動画づくりだ。
ある程度は借り物の内容で出来るし、創作のリハビリにはちょうどいいので、近々再開してみるつもりだ。

今のメンズヘラーというアカウントと動画つくりのアカウントを紐づける事にも恐怖を感じるので、特にこの場で宣伝はしないでおく。そもそもメンタルヘルスとは関係ないジャンルだし…。

そんなこんなで、最近になってようやく、複雑に絡まりあったメンタルの問題に爪をかけられた感じだ。これまでの人生で刻まれたトラウマとやらを、生きている間にどれだけ解きほぐせるのかはわからないが、やれるだけやってみようと思う。
そうでもしないと、余生が暇で仕方ないので。

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