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パワハラの想い出

パワハラとは、主に職場で発生するハラスメントで、立場を利用して弱い者をいじめる事を指す。
上司が部下を激詰めする、などが典型だ。

実は僕も、10年以上前にパワハラを受けた事がある。
思い出すたびに腹が立つので、供養がてらここにその記録を残したいと思う。
ハラスメント認定が緩かった当時でもゴリゴリのハラスメントだったレベルなので、見たくない人はここで引き返すことをオススメする。

パワハラの始まり

僕のパワハラ体験が始まったのは、およそ10年前の事だ。
当時の僕は学校事務職員をしており、4月に初の異動をしたばかりだった。
初任の学校で3年勤めて、2校目の学校に赴任したわけである。

パワハラをしてきたのは、僕と同じタイミングで着任してきた新任の校長であった。教員時代の担当科目は体育だったそうだ。
大卒ストレートで体育教師になり、ゴリゴリに部活動と組合活動に取り組んだという、今思えばあたおか教員の数え役満のような人物だったのだが、当時は勉強が足りなかった。

※知らない人も多いかもしれないので補足しておくと、学校の校長というのはほぼ教員上がりの人間が着任する。
(現場をほっぽって組合活動に執心した教員が教育委員会に栄転して管理職になる、はたから見て疑問な昇進パターンも数多く存在する)
つまり、事務職員の上司でありながら事務職員の仕事内容をまるで知らないのである。

話を戻そう。

僕とパワハラ校長は同じタイミングで同じ学校に赴任したわけだが、4月早々から僕に対するパワハラは始まった。おそらくだが、体育教師ゆえに僕の無気力な雰囲気が気に食わず、なおかつハラスメントしやすい相手だと感じたのだろう。

または、無意識のうちに僕が彼の逆鱗に触れたのかもしれない。
とはいえ、パワハラしたほうが悪いに決まっているが…。


ハラスメントの内容

パワハラをされた、だけではぼんやりとしているので、ハラスメントの内容を紹介していこうと思う。

①大声で怒鳴る


これは典型的な例で、日常的に受けていた。
普通に話せばいい物を、怒鳴り声で叩きつけるように言ってくるのである。
僕は怒鳴り声が苦手なので、内容をどうこうする以前の問題でフリーズしてしまっていた。
ちなみに僕は事務職員で、相手は教員上がりの校長だ。
彼は事務職員の仕事を何も知らずに怒鳴ってくるので、内容が支離滅裂な事も少なくなかったし、別の教員のミスをこちらのミスにされて怒鳴り散らかされるのも日常茶飯事だった。
怒鳴り声が苦手なので返答にも苦労したが、校長の勘違いである事を説明しても言い訳扱いされる事が多かったように思う。
これに関しては日常茶飯事すぎて、個別の例が思い出せないくらいだ。


②性の経験などを人前で質問して笑い者にする


これは今では明確なセクハラである。
大声で怒鳴るほどの頻度ではないが、校長は休憩時間中などに性の経験(経験人数)などについて質問してくる事があった。
恥ずかしながら当時の僕には経験がなかったので、大いにネタにされる事になった。僕と同世代の女性職員がその場にいても大声でネタにしてくるので、かなり嫌な気分になった事を覚えている。


③大勢の前で叱責する


校長は良く発狂して怒鳴ってきたが、場所を選ぶ余裕もなかったようだ。
職員室とか、会議の場とか、他の職員がいようがいまいがお構いなしに怒鳴り散らかしていた。
他の人のいる前で叱るというのはビジネスにおいては明確にNGであり、部下の心を壊す要因になるわけだが、彼は僕を壊したかったのだろうか?


④物を叩きつける


これは回数こそ少ないが、怒鳴る勢いで物を叩きつける事があった。
中でも嫌だったのは、僕がつくった会議資料で、教職員のミスが発覚した時に資料を叩きつけた事だった。
教職員のミスで僕が怒鳴られる、資料を叩きつけられる、会議中なので他の職員もいる、という数え役満みたいな状況だ。
この時ばかりは、持っているボールペンをへし折りたくなるくらいに嫌だった。


⑤他の職員はOKな物を自分だけNGしてくる


これもあるあるである。
何かの集計があった時に、教職員が忘れた時はご愛敬で僕の場合は怒鳴る、というような差別を校長はよくやっていた。
もっとも嫌だったのは、夏休みなどの年休がとりやすい時期に、教員の年休は笑顔で通して僕の年休には説教をしてきた事である。

とまぁ、ざっと振り返ったパワハラ内容はこんな感じである。
説明も兼ねて個別のパワハラ内容も思い返しながら書いたが、記憶がおぼろげな部分もある。忘れたいのかもしれない。

ちなみにパワハラを受けた期間だが、2年間である。
家庭問題とパワハラが重なった時期はさすがに発狂しそうだった。

これらのパワハラで、僕はすっかり職場に対して警戒心を持つようになった。
教員は常識がないので、夜遅くや休日に携帯に電話をかけてくることも少なくないのだが、そのたびに動悸がしていた。
日曜の夕方には死にそうな顔をしていたし、平日の朝はタバコを吸って出勤までの猶予時間を過ごし、ゲロを吐いてから出勤していた。

他の職員がフォローしてくれたこともあったし、僕と同じようにパワハラ校長を嫌う職員と愚痴り合うなどしていたので、どうにかしのげていたのかもしれない。


壊れた瞬間

そんなこんなで耐えていたわけだが、ある日をきっかけに心が壊れたのを記憶している。
2年間のパワハラに耐え、新年度に向かって準備している最中の事だった。

パワハラ校長は僕へのパワハラについて
『半人前の事務職員を一人前に鍛えようとしている』
という認知でいたらしい。
事務の仕事も知らずにこれをやるのは頭がおかしいとしか思えないが、教職員の一定数は頭がおかしいので仕方ない。

僕はただパワハラを耐えるかやり過ごしていたのだが、パワハラ校長からしたらいちおうは成長しているように見えたようだ。さらに言うと、僕はまだまだ半人前で、これから一人前に仕様という腹積もりだったらしい。
だからこそ、僕の心をへし折るような言葉を言ったのである。

その内容は
『これまでは半人前と思って甘くしていたが、来年度からはもっと厳しく指導していく』
だった。

この言葉で、自分の中で何かが折れる感覚を初めて味わった。
2年間、こちらの仕事に理解もなく、ただ自分の感情だけで怒鳴り散らしてきた彼が、今後はさらに無茶苦茶な罵倒をしてくる。
そうとしか感じられなかったのである。

その日を境に、精神的なストレスが身体にあらわれるようになってきた。
頑張ってパワハラに耐えてきたが、来年度はさらにきつくなることが確定し、精神が力尽きたんだろう。

まず、夜に眠る事が出来なくなった。
寝つきが悪いとかではなく、いつまでたっても意識がなくなってくれないのだ。横になって目を閉じても、頭の中では職場で怒鳴られるリスク探しが行われ、心臓がバクバク鳴って眠れないのである。

次に、心因性の発熱と頭痛があらわれるようになった。
出勤すると頭痛が起きるようになり、定時の時間になった頃にはすっかり熱が出てしまうようになった。風邪薬や解熱鎮痛剤を飲んで対策したが、心因性ゆえに改善されることはなかった。

そんな状態でどうにか出勤だけはしていたわけだが、いよいよ症状も極まってきて、最後は文章が読めなくなってしまった。
文字を認識して読むことはできるが、読み進めていく事が出来ないのである。
文字は認識できるが、文章を読み取る事が出来なくなる、というのが的確だろうか。言葉の意味を繋げようとすると思考がパンクすると言ってもいいかもしれない。
とにかく、数行の文章の意味を読み取ることが困難になった。
事務仕事は不可能である。

不眠と発熱ときて、とうとう文章が読めなくなり、これはいよいよまずいと思い、人生初のメンタルクリニックに行くことになった。
即ドクターストップがかかり、うつ病の診断書が出た。

これを出せば職場に行かなくて済むと考えると嬉しくはあったが、絶望のあまり、人気のない駐車場で座り込んでしまった。
心の中で誰かに助けを求め続けたが、都合よく手を差し伸べる人などいなかった。
敷地のすみっこに設置された、アンパンマンの自販機の声が虚しく響いていたことはよく覚えている。

その日の夜は、春とは思えない寒々しい気分で診断書を眺めていた。
そして翌日、崖から飛び降りるような気持ちで、校長に診断書を提出し、そのまま休職する事になった。

パワハラの自覚がなかった

直接言われたわけではないが、とうのパワハラ校長にはパワハラをしている自覚がなかったらしい。
他の職員から、校長がショックを受けているという話を聞いて、むしろこっちがショックを受けた。

自分が知らない仕事で感情だけで怒鳴る事
他の職員と明らかに別の扱いをするのは教育
性的な経験の質問をして笑い者にする事を雑談

問いただしたわけではないが、彼はおそらくこう認識していたのだろう。
頭がおかしいとしか思えないが…。

今でもこういう恐ろしい人間が一定数いるのかと思うと寒気がする。
しかし、学校というのは頭のおかしい大人が密集しがちなので、今もこういうやつはいるのかもしれない。

ちなみに、僕のいた自治体で起きた別のパワハラ事件では、被害者が自殺してしまった。
加害者は校長で、元体育教師で、受け持っていた部活が野球という、
僕にパワハラした校長とまったく同じルートをたどった人間だった。

ツイッターに溢れる学校の教師はおかしい、みたいな論調に乗っかりたくはないが、やはりおかしい奴は一定数いるのだ。
特に大学からストレートで教員になった奴はおかしい割合が高く、体育教師となるとさらに割合は上がる。

中学校の体育教師で運動部を指導している人間だと数え役満状態だ。
全員がそうというわけじゃないが、この属性だけで警戒するくらいに危険な奴が混じっているのである。

とまぁ、被害体験から僕はこんな偏見を持ってしまったし、改めるつもりもない。教員の中にもいい人はいるが、属性や集団としての教員は大嫌いだ。


休職後

結局、僕は半年ほど休職した。
休職中は家で寝て過ごしたり、気心知れた友人と遊んだりしていた。
やはり学校関係者は頭がおかしいのか、休職中にも些細な事で電話をかけてきやがったが、さすがにそれは無視した。

半年ほど休んだおかげでだいぶ楽になり、なんとか元の職場に復帰した。

件のパワハラ校長も変わらず同じ職場だったが、僕に対する当たりはそこまでひどいものではなくなった。
怒鳴ってくる事もあったが、例に漏れず校長の勘違いか、実際は教員がやらかした案件だったので、逐一反論して説明する事にした。
非を認めないこともあったが、認めた場合は謝ってくるようにもなった。

校長が反省した部分もあったかもしれないが、僕の中で何かが変質したところもあった。
相手に怒鳴られたところで、精神的に動じる事が減ったのだ。
仕事全体に対して、一歩引いて接するようになったとも言える。
これを進歩というべきか、人として一段階壊れたというべきかはわからないが、そんな調子で僕は勤続を続けた。
数年後には組織自体に嫌気がさして退職したわけだが…。


訴えればよかった

最近になってパワハラ被害を思い出すことが増えた。
今思っても、許せないような仕打ちの数々で、思い返すたびにイラついている。

10年が経過しても、この怒りが消える事はなさそうだった。

パワハラ被害を掘り返して訴えてやりたいとも思ったが、どうやら3年が時効らしい。もっとも、時効が過ぎていなくても、証拠とかを揃えた状態じゃないとダメだろう。

パワハラを受けまくって休職をしたタイミングで、しかるべきところに被害を訴えてやればよかったと今は思う。
受けた被害に対してやり返すというのは尊厳を守るためだけでなく、後腐れを無くすためにも重要であり、僕はその機を逸した事になる。

しかし、当時の自分には証拠を集めて正当な手続きを踏んで相手を訴えるほどの気力は残っていなかった。
どうするのが正解なのかも、今になってようやくわかったくらいだ。

悔しいが、泣き寝入りするしかないのが現状である。

殴られたらその場で殴り返すくらいのメンタルが必要なんだな、と思えたのがこの件の学びだろうか。


書いていたら意識がぼんやりしてきた
書き洩らしがあったらいつか加筆するかもしれない

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