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海外の選手はメンタルが強いというより…


FAカップセミファイナル、ブライトンVSマンチェスターユナイテッドの試合で、活躍が目立ったと思うのは南米出身の選手。両チームのPK戦のファーストキッカーを担当したのもマクアリスタ(アルゼンチン)とカゼミロ(ブラジル)だったし、カゼミロは自ら1番を名乗り出たそうだ。
こういう大一番や一発勝負に自分の持っている力を最大限に発揮するのは勿論、120%の力を出せるのは南米選手の強さである。これって実は簡単そうで難しく、選手にとっては重要な能力であると思う。それは小さい頃からの環境や国民性から来るものであると窺える。見ていて彼らのこの試合に対する漲るものが他とは違く、そんな中でも楽しんでいるような感じだった。まるで普段(プレミアリーグ)とは違う選手に見えたし、いつも以上に心強く頼もしかった。ワールドカップで南米チームのPK戦が強いこと、昨年アルゼンチンが優勝したことが凄く納得できる。

僕自身、イングランドで半年間プレーをして、僕を含めた日本人選手(今までの経験やキャリアで関わったり見たりした)と海外の選手との大きな違いは、やはりこの言葉には表し難いけどフットボールやスポーツにおいてとても重要な…にあると思う。

これってただ彼らのメンタルが強いのか?
メンタルの強さが僕らと比較した時に桁違いなのか?
そもそもメンタルとは何なのか?
という未知な疑問まで浮かぶほど、そこの差を強く感じる。


しかし、最近になって薄っすらと分かってきたこともある。それは6ヶ月実際にプレーしたこと、世界最高峰のリーグを見たこと、イングランドフットボールに関わったこと、イングランドに住んだことから導き出せた。メンタルとはちょっと違った視点で自分なりの見解を出してみる。



ズバリ結論から言うと、「自分の思いや気持ちを表現したり感情、愛情を素直に表現したり伝えること、すなわち“自己表現が日常生活の中でも上手”で、そういう環境が小さい頃から確保されている。だからフットボールでも感情をプレーに表せるよね。気持ちをプレーに乗せられるよね。」
ということ。


海外の選手は自分を持っている選手が多いというのはよく聞く話だ。これはあながち間違っていないし最初は僕も、「うわー凄い。みんな自分を持ってるな。何かに対して否定できるの凄い。」と感心していた。だが、自分を持っている人は多いし、もはやそれは当たり前でなければいけない領域であると
思ってきた。我ながら自分は持っていると断言できるし。
ただ、それを実際に表現したり、伝えることができるかというところが1番重要なわけだ。
僕はそこに苦戦をした。割と気持ちをプレーに表せるタイプだったが、自分以上にその能力を持った彼らの中に混じるとまるで消えてしまうほど弱かった。


お前練習と試合じゃ人が変わるじゃん。とかアップであんな感じだったあなたに一体何があったの?とか全然ある話で、最初はすごく驚いた。でも今なら納得できる。だって、彼らの自分を表現する能力は凄いから。


試合前のミーティング。
試合に100%を持っていくための監督の言葉も熱いし、チームを同じ方向へと持っていく話し方も上手い。毎試合違ったことを、試合ごとの背景や相手チームのことを含めて、1試合を細かく噛み砕いて何を試合前に訴えかけるのか、選手の気持ちを上げられるか、それを身振り手振りを交えて表現してくれる。

監督が話している最中にも関わらず、そんなことなんて関係なく、1人の選手が「おい、この試合は本当に……」やら割り込んで訴えかける選手もいたりする。この選手は毎試合そういう行動をした。それが、僕らのエースだ。言うまでもなく頼もしい、1番点を取ってくれる選手。
確かに、思ったことを瞬時に伝えるってめちゃめちや大事だよな。思っていても伝えなきゃ、思ってないのと一緒だし。
毎試合この選手が訴えかけてくれるとき、感心していた。


そんな彼は、チームの中で1番仲良くしてくれた選手だった。この選手だけでないが、沢山の愛をもらって、居心地の良い場所を作ってくれた。日常から愛情をくれた。彼のガールフレンドが来た試合では良く点を取るし活躍していたし、僕がアシストをすれば1番に駆け寄ってくれる。試合中に今日の「お前はここまで完璧だ!このまま続けるぞ!」って言える選手はいるだろうか?笑
それくらい熱く伝えてくれる。勿論嬉しいし気持ちが乗せられる。
つまり、日常から僕に対して愛情を表現してくれたのだ。ガールフレンドと長く続いているのが良くわかる。だって、思いを伝えてくれる彼氏なんて最高だもん。



彼だけでなく、イングランドで生活を送っていると、みんな愛情表現が豊かだなって思う。小さい子にもペットにもパートナーにも沢山の愛を表現している。ブライトンはLGBTQが認められている街で、男性同士、女性同士が手を繋いでいたりキスをしている光景をよく目にする。人それぞれ個性があって当然だし、何ら可笑しいことではない。むしろこの価値観に出会えて、新しい世界に触れられて良かった。


「みんな違ってみんな良い、人それぞれの個がある。」という個性を大切にしているから、各々の自分像と考えを持っている、尚且つ表現もできる。(表現しやすい環境でもあるから)それはこのような文化から「お前が言うなよ」とか「しゃしゃるな、でしゃばるな」とかが無いからだろう。そう言う場面に出くわしても、そう思っているのは自分だけだった。下手な選手でも物を言うし(そもそも意見を言うのに上手い下手なんて関係ないが)、言うまでもなく先輩後輩とかの上下関係も存在しなかった。(海外では年齢を聞くこと自体が失礼に当たるとも言われており、シーズン終了まで何歳なのか知らない選手もいた。)若い選手が何歳も離れている選手に対して要求するのなんて当たり前の光景だった。
勿論それは試合に勝つために必要なことで、勝つためにやっていることだ。だからそのいざこざがピッチ外で続くことなんてない、試合が終わればみんなで楽しくビールを飲んでいる。


言い合ったり要求し合うことはチームに愛がないとできないと思う。間違いなく、僕がいたチームは過去1番愛に溢れたチームだった。僕に対しても、他の一個人に対しても、それぞれ強い愛を持っていた。
それは彼らが小さい頃から、沢山の愛を注がれて成長してきたから、今こうやって表現できるのだと思う。

イングランドの街には緑豊かな公園が沢山あり、そこで小さい子はよく遊んでいる。聞いたところによるとあまり習い事という文化がなく、放課後は公園に行ってみんなで遊ぶというのが主流なんだとか。
やはり多く見受けられるのが、フットボールを楽しむ子たち。
勿論それは、「やらされている」フットボールではなく、楽しいという良い感情から芽生えた自発的にボールを蹴る姿だ。根本的にこの「フットボールが楽しい」という一つの感情表現から始まっているかどうかが何より大事で、その感情を大人になっても忘れてはいけない。



僕自身、沢山の愛を注がれてここまで成長してきたし、楽しそう、やりたい、あの選手に憧れてという良い感情がきっかけでサッカーを始めた。だから今でもフットボールは楽しいものである。そして、唯一の感情を表に出せる土俵、喜怒哀楽を表現できる場所である。フットボールは機械やコントローラーに動かされてやるものではなく、人と人が結んでやるスポーツだから人間の心とか感情が大きく影響する。
フットボールの最中だけ人がガラリと変わるなんてことは滅多にないし、性格が良くも悪くも出やすいスポーツであると思う。


だからこそ日常から自分の感情表現を豊かに、もっと相手に、何かに対して伝えて良い気がした。クールぶる人より、チームメイトのようにI love youとか全然言っちゃう人のがかっこいい。何回も言うけど思いは伝えないと伝わらない。「思っていても英語でなんて表現するのか分からない、悔しいときがあった。」でもどうだろう、日本語で日本人相手にそう言う場面に出くわした際、単刀直入に伝えていただろうか。
間違いなく変に躊躇っていた。それをクリアしていくことが、ピッチ上での表現力や120%の力を発揮できることに繋がるのではないか。

と僕は思う。


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