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アタカマヒューマノイドの考察

アタカマで発見された体長15cmほどのミイラのニュースで、2018年続報があった。
身体的な人間との相違としては、チューリップのつぼみの先がとがったような頭蓋骨、肋骨が10対(人間は12対)しかないこと、があげられる。
レンドゲン確認でも内蔵がきちんと存在していること、歯が永久歯であること、などが確認されていた。
分析までの経緯は下記の通り。

2003年
チリのアタカマ砂漠のラ・ノリアという町の教会の廃墟で布に包まれた状態で発見される。体長は15cm程度。手の指は目視で5本。

2013年
スタンフォード大の分析結果では97%が人間と一致。性別は男性で推定死亡年齢は6-8歳、呼吸および食べ物を代謝した形跡がみられる。プロジェリアの疑いはこの頃ももたれてはいた。(上記のmovieでは91%一致といってる)

2018年
同大学にて分析が続けられ、ネイティブアメリカンとヨーロッパ人の混血であるチリ人の女性の乳児で、胎児もしくは生まれて間もなくなくなった可能性がある。顔面奇形、小人症、骨の老化などさまざまな遺伝子変化により骨に変形がみられたため、前回の死亡年齢はずれていた。死後40年ほど経過しているとみられる。

ちなみに、アタカマで発見されたミイラとそっくりのものがある。
アリョシェンカだ。

1996年
Kyshtymの自宅近くの墓地でタマラ氏により、発見される。
発見当時の身体的特徴:体長は25cm程度で色が灰色、体はゼリー状でまるまる太っていた。
頭は複数枚の花びらを重ねたような、玉ねぎ型の形をしており、口や鼻、耳等なく小さい穴があいてるのみ。歯も長い舌もあった。手足の指は四本ずつ。アリョシェンカと名前を付け、食事もさせていたと主張。

1996年8月
タマラ氏は急遽精神病院に入院することとなる。アリョシェンカを家に置き去り。隣人で以前もアリョシェンカを見たことがあるナルディノフ氏が家にいくとすでにアリョシェンカは亡くなっており、ミイラ化していた。遺体を自宅に持って帰ったところでそこへ別件で警察がきて偶然発見したアレシェンカの遺体を怪しんで、専門家に鑑定を依頼した。上記のmovieはそのときのものと見られる。出産後数日生きて死んだ乳児ではないかとしたが、その後遺体の行方は不明となっている。

2004年
アリョシェンカの亡骸をつつんでいた布に血痕がついていたようで、モスクワ・バビロフ総合遺伝学研究所でDNA鑑定が行われた結果、奇形のある人間の幼い女児と判断した。

2つは同種のケースなのか検証してみよう

まず両者の圧倒的な違いは、生きていた状態が確認されているか否かだ。
アリョシェンカはタマラ氏が入院してまもなくもうミイラ化していたという。この条件で想定されるケースは下記の2つ。

1.  実はかなり前のミイラで最初から死亡していて、生きていると思い込んでいた。
2.  遺伝疾患等の影響で急激にミイラ化するような要因がある。もしくは外的要因でそうなった。

両者が発見された場所を思い出してみよう。
アタカマヒューマノイドは教会の廃墟、アリョシェンカは墓地だ。
仮に母親が、子供の遺体の埋葬先を考えたと仮定すると、どちらもあてはまるのではないだろうか。
記録されているアリョシェンカの状態をみても、1ヶ月もたたずにあのような状態になるとは想像しづらい。
もともと、頭は花びらのようであったといった記述があり、実際に発見されたときから頭蓋骨の形状がはっきりと確認できるミイラの状態だったのではないか、とも思える。
個人的な見解としては1が妥当ではないかと思う。

次に色の違いだが、これは砂漠の近くの廃墟と墓地といった気象条件の違いが影響していると思われる。
アタカマ近辺で見つかった他のミイラも同様の色味をしている。

新生児の頭蓋骨をみても、形状としては一番近く人間の奇形胎児あるいは新生児の可能性が高い。
因にツタンカーメン王の子供と思われる胎児のミイラもあるが、変形した頭部などをのぞけば、なかなか近しくも見える。(25-37週目程度と言われている)

形態の類似性等から同様の遺伝疾患であると思われる。
双方のDNAの相似を検証する価値はありそうだ。
バビロフの場合は布に付着した血液なので、人間の女性のDNAが出たとしても、産後すぐ捨てられた可能性を考えれば母親のDNAの可能性もありえるが。いずれにしても本体の喪失は悔やまれる。

不確かなこと DNA

DNAが97%が一致しているということは、3%の違いがあるわけだが。
人間とのDNAの3%相違がどのくらいのレベルのものなのか見てみる。

バナナ   ->  50%相違
猫    ->  10%相違
チンパンジー  -> 3-4%相違
他の人間   ->  0.2%相違

3%は種族が異なるレベルでの違いという所感はある。
アリョシェンカとアタカマヒューマノイドの発見年数の差は8年ほど。
もしアリョシェンカも死後数十年経っていたならば、誕生時期が近いかもしれない。その場合、ある種の奇形児が生まれやすい時期があった…つまり核や枯葉剤などの兵器や、産廃、工場からの毒物の流出など異常をもたらすような環境があった可能性もある。

また同様のミイラを発見したら調べてみたいと思う。

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