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きずとも通信#8 実録!Twitterストーカーの恐怖

あるべき形であれないあなたのそばに、痣身ユフィです。
今回のテーマは「ネットストーカー」。俺が活動を開始する以前、(現在のプロデューサーさん名義の)Twitterにおいて起こった事件についてお話します。

俺とS氏の馴れ初め、そして変貌

俺とその相手(仮にS氏とします)は出会いも交流もTwitter上だけで完結しており、最初は趣味の繋がり、かつ人生が何かとうまくいっていない者同士でした(S氏は自身が『ひきこもり』であると公言されていました)。
SNS上で趣味の繋がり程度だった相手が政治的な話題への言及を増やしていく、という程度でしたら大なり小なり経験された方も多いと思われますし、S氏は政治的な話題といっても差別的な語句を用いるわけでもなく、むしろそういったことに批判的だったので見過ごしていました。

S氏は次第に男性オタクや成年向け創作を行う人々を攻撃することも厭わない過激なフェミニズム思想に傾倒していき、そういった傾向のあるアカウントのpostをRTすることがよくありました。S氏の人柄は普段のpostで把握しているし、あまりにも見ていられないpostをするアカウントだけブロックすればいいという考えで付き合っていましたが、その認識が甘かったようです。
次第に、S氏は当時の俺とフォロー関係にあった人々を(何かしら気に入らないpostをしたという理由で)攻撃したり、RTのみならずお気に入り欄(今でいういいね欄)に相手の怒りに触れるpostがあると削除するようリプライで要求してきたりしました。
何らかの障害や疾患を抱えた当事者である方の自虐的なpostに対して、文脈を踏まえずに「差別的な語句を用いている」という理由からお気に入りを消すよう要求したり、いわゆる「例のアレ」関連のネタに直接触れておらず、物によっては「嫌い」とも公言されている方が「ふぁっ!?」とだけpostした、という理由で「(当該アカウントのスクリーンネーム)は淫夢厨だから」ブロックした上で暴言を吐くなど、当時の俺の価値観から見ても明らかにやりすぎではないかと思うような言動も見られました。

またS氏は俺もまたエロい絵を描く存在であると知っていながら「エロ絵描きの指が全部折れて死ねばいいのに」というような発言を当時の俺と相互フォローしているアカウントで繰り返していました。
今思えばこの時点で強引にでも関係を断ち切るべきだったのでしょうが、そんな相手を俺が早々に切り捨てられなかったのは、当時の俺自身エロい絵を描くことへの後ろめたさがあったからです(このあたりに関しては前回の記事もご参照ください)。
俺は当時から自身の境遇であったり母との関係について度々postしていて、それは相手の目にも入っていました。言うなれば俺は自分が抱えていた罪の意識にまんまとつけ込まれてしまったわけでもあります。

S氏曰く

ある時S氏の側からTwitterアカウントのフォローを解除されたのでとうとう痺れを切らしたのかと思い、こちらも同じようにフォローを解除すると、向こうから「どうしてリムーブしたんですか」とリプライが飛んできました。
俺が事情を説明した上で(形式上は)詫びると、相手は当時俺がフォローしていた特定アカウントが嫌い、相手が過去に晒し的なRT言及をされたアカウントのpostを俺がお気に入りにしたのが嫌だったなどの弁明を受けましたが、RTはともかくお気に入りにまで干渉される筋合いはないと思っていましたし、言ってしまえばこの時俺はS氏に対して母と似た不気味さを感じていました。

俺の我慢の限界

一度フォロー関係が戻ったあともS氏の言動はさらにエスカレートしていき、最終的には俺の方が耐えられなくなってブロックする運びとなりました。
既にS氏はアカウントに鍵をつけていたので俺がブロックした以後にどういった反応をしていたかはわかりませんが、その際に俺がpostした「俺に必要のない罪の意識を植え付けないでくれ」(要約)といった文章から、俺はS氏と親しい複数のアカウントによって「『味方だったが耐えられなくなったので味方でいることをやめる!』などという奴は最初から味方でなかった」「人権軽視に傾倒した」「そもそも普段から(pixiv等にエロ絵を上げていたので)欲望の開陳の仕方に配慮があったと思えない」などの誹りを受けることとなりました。

それからS氏の側が別アカウントで迫ってくるということもなくなりました(現在はブロックされているようです)。しかし色々な悪感情は俺の中に残っています。
あれだけ母の束縛や過干渉から逃れたいと願っていたのにネット上ですらそういう(毒親的な)気質を持つ人物に束縛される、そういった他者を引き寄せてしまう運命にあるのか、という一種の絶望感はありましたし、当時はひときわ悲観的になったものです。

差別者と呼ばれようとも

正直に言ってしまえば、この一件を経験したことで現在ではTwitter上で過激なフェミニズム思想に傾倒した発言、特に二次元の性的表現バッシングを行っているアカウントはすべて敵であるし、そういったアカウント群の主張に耳を貸す必要はないと考えるようになりました。今だったら(輝夜月さんのファンといった文脈を覗いて)Twitterのスクリーンネームにエビつけてるような連中ですね。
俺にとっての理想は「どのような人でも性欲の表出と自慰を阻害されない社会」です。どれだけ性的消費は悪だ、フィクションにおける女性の性的描写は現実の女性の人権を軽視しているなどと言われようと、俺を含めてその表現をしなければ生きていけない人間がいます。それは人によって「創作をしてお金をもらわないと生きていけない」といった経済的な理由であったり、あるいは「俺はこの表現をするしかない」という信仰であったりするでしょう。
現実に生きるすべての人の人権は尊重されるべきです。では性的な表現をしなければ生きていけない人からそれを奪うことは正しいのでしょうか?俺は「間違っている」と答えなくてはならない。なぜならこの問いを「正しい」としたら俺自身が生きられなくなるから。
ネット上でよくあるイデオロギーの対立という以上に、この問題は俺にとって「生きるための闘争」に近いのです。

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