「努力」して成功した者を妬むのもまた正当である
ネット上での用いられ方を理由に警戒するようになった概念の一つとして間違いなく「努力」があります。
自身が努力していないと見なした対象であったり、あるいはオタクバッシングの文脈における「努力せずに成功したい願望」への攻撃に用いられることが多いように感じられるためです。
俺の活動を支えてくださっている方々の中には、本来自らを高めるために用いられる概念が不特定多数、あるいは特定個人への攻撃に用いられてしまう状況に疲弊している方々や、あるいは努力して成功した人間が放つ輝きそのものが苦手で直視できない、という方も多いと思われます。
なので、俺はなるべく自身の言動から「努力のニオイ」を消したいと思っています。仮にあなたが俺の活動から何らかの「努力」を感じたとしても、俺自身はあくまで努力などしたくないし、していないと主張する立場です。
感情そのものは不当ではない
努力していること、努力して成功した者の存在は正当とされる一方で、そうした成功者に対する羨望や嫉妬の感情は不当とされる。
いかなる負の感情も正の感情も、それを抱くこと自体は不当ではありません。
「努力せずに成功したいと思う権利」「成功者を妬む権利」は誰にでもあります。すでに成功している人間でさえも、自分より成功している人間を妬むことそれ自体は誰にも咎められるものではない。
そうした負の感情を理由に越えてはならない一線を越えた時点で初めてその「行為」が糾弾されるべきであり、感情そのものを不当とすべきではないのです。