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なぜ僕はウォーカブルを目指しているのか

筑波大学新聞に「卒業生からの手紙」というコーナーがあります。第368号(2022.1.31発行)に、「なぜ僕はウォーカブルを目指しているのか。」を後輩に伝えるために手紙を寄稿しました。

記事のリンクを貼ります。(7ページです)

筑波大学新聞 第368号 2022.1.31発行


さて、文字数制限で伝えたかった細かいニュアンスを削除して掲載されていますので、改めて原文をnoteに掲載したいと思います。ちなみに、見出しは編集側でつける決まりらしく、ちょっとイケてないものになっているので、僕が提案したタイトルを付け直しています。


みなさんクルマ持ってますか?


「ウォーカブルシティ(Walkable City)」直訳すると「歩ける街」。

それだけではありません。

クルマ中心に作られてきた都市を、ひと中心、徒歩・公共交通中心に転換して、ライフスタイル自体も歩く暮らしに転換したまちのことです。

今や世界中のまちづくりの潮流になっていて、ニューヨーク、ポートランド、パリ、バルセロナ、ストックホルムなど世界の名だたる都市は、行き過ぎたモータリゼーション(自動車の普及)を反省し、10年、20年前からとっくにウォーカブルシティに舵を切っています。

悲しいですが、日本は後発組になってしまっています。

ストックホルム都市計画のタイトルは、なんと「The Walkable City」。

3年前、私はフランスの地方都市を旅行し、「なんて日本は遅れているんだろう」と衝撃を受けました。人々が便利な公共交通を使い、歩いて暮らし、日本でよく見るみるシャッター街もありません。

私は現在、国土交通省から小山市に出向し、ウォーカブルシティづくりを目指して仕事をしていますが、その志の源流は大学時代まで遡りさかのぼります。

実習で見たもの


社会工学類3年生の2006年に、土浦市を対象にした都市計画マスタープラン策定実習があり、現地調査で衝撃を受けました。

土浦駅周辺のシャッター街、大型店の撤退(当時は土浦に丸井がありました)、空き家空き店舗増加、交通渋滞、バス路線撤退などモータリゼーションが引き起こす問題に直面したのです。

現在では交通事故や環境問題は深刻化し、歩かない生活による健康問題も顕在化してきています。

17年前の課題を未だに乗り越えられていない日本の状況に悲しくなります。


当時、土浦で見たみた“都市の衰退”は、筑波大生として車生活を謳歌していた自分の価値観を大きく変えるものでした。

(今は車を持たず、ウォーカブルな子育て生活を楽しんでいます)。


問題解決にむけて動く


その後の私は、土浦で見た問題解決のための勉強や仕事を選んでいきます。

研究は、人々の気持ちと行動を車依存から公共交通にシフトさせるにはどうすればよいか。

新卒で就職したJR東日本では、新たな駅づくり、駅を中心としたまちづくり。

その後転職した国土交通省では、法律や補助金を活用して、土浦のように困っている都市の支援をしました。

今行っていること

そして現在の小山市では、当時土浦でできなかった問題解決策を「実行」する仕事をしています。ここであの頃の伏線を回収する日が来るとは夢にも思っていませんでした。

(実習の際に、栃木市のまちづくりが面白そうだと思って、独自に市役所にお願いして視察に行っていました。今そのお隣で仕事をしていることにも縁を感じます)

実習での発表資料を見返すと、当時の提案内容を小山市で実行していて、嬉しいような、進歩のないような複雑な気持ちになります。

   例えば再開発事業市バスのサービス改善公園道路でのイベント開催、空き店舗再生などを、地域の方と協力して行っています。

「小山は車社会」で、苦労することはたくさんあります。しかし3年継続してこんな声も増えてきました。「車を手放してバス通勤している」「駅前広場を歩行者中心に再整備したい」。協力してくれる人が増えるたびうれしく嬉しくなります。

例えば、地域の有名ブロガーさんがまちづくりについて記事を書いてくれたり、街のカフェ経営者とのインタビューが動画になっていたり、ウェブマガジンが立ち上がったりしています。
僕自身も過去にnoteに記事を投稿しています。


最後に


実習の経験が、自分の価値観や仕事観感に影響を与える体験を紹介しました。大学には授業だけではなく、その後の自分に影響を与える経験がたくさんあると思います。もしかしたら、それは私のように後で気づくことになるかもしれません。大学での生活は人生のどこかでつながって、何かに結びつくはずです。


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