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東京路地紀行 8 港区三田1丁目(再訪その1)

2023年7月初、梅雨の晴れ間で薄日もさす蒸し暑い日、三田1丁目を再訪問。そしてこれが最後かもしれない。今年の2月、夜訪れたときは、立ち入り禁止となる場所はあったものの、まだ町の解体ははじまっておらず、営業している店舗もあるほどでほんとうに解体、再開発は始まるのかと思ったほどだった。
一つの町がまだ機能しているように思えるのに消えてしまうなど信じられなかった。ある朝目覚めると町は忽然と消えていた、なんてアトランティス大陸、ムー大陸、またはイースター島でのおとぎ話だろうと。
しかしこの日訪れると解体されつつある町が目の前に広がっていた。

前回の訪問記録(東京路地紀行1)のときに書いたかもしれないが、私がこの町を知ったのは、陣内秀信氏の著作「東京の空間人類学」を読んでのこと。この著作は1985年に書かれたもので当時の三田1丁目(三田小山町)の写真が掲載されていた。その町風景写真にある家屋ですら築数十年は経っていそうなのに、ほぼ同じ家屋が30年後の世界にもまだ現役で残っていたのが衝撃的だった。
本郷菊坂、谷根千、月島のような観光地化された(というと地元の方々には失礼かもしれないが)路地とは違ってそこに住んでいる人、用事のある人しかいかないほんものの路地が都心の港区に静かに息づいているというのが、その後の路地探索人生を歩むきっかけともなったといえる衝撃的な光景だった。…かなりおおげさに書いてしまっているが(笑)

古川にかかる小山橋を渡ると首都高速と高層団地の世界に。かつては橋の手前に八百屋があって再開発が決まってもぎりぎりまで営業していた。(買ったわけではないので八百屋?というのがあいまいだが)

人が去っても、樹々はその土地に根を張り生き続ける。再開発で更地にされてしまう運命の地でこの夏も白いムクゲがきれいな花を咲かせている。面倒を見てくれる人がいなくても育つ逞しさ。強制的にその営みを絶たれてしまうのは悲しい。移植とかできたらいいのにな。

ここもぎりぎりまで営業していた豆腐屋さん。むかし、街歩きで来たついでに豆腐を買って帰った人もいたっけ。

今年の2月の夜に訪れたときはまだ営業していて、静かな夜の街に煌々と輝いていた。日本の航空会社からボーイング747はなくなったが、ついにクリーニング業界の747もさよならだ。Take off!!

再開発されてしまえば、町の雰囲気はすっかり変わり、旧町名の「小山」を思い出すこともなくなるのだろう。そもそも電信柱そのものが地表からなくなるかもしれない。

無人の町となったからのぞかせてもらった。裏路地ともいう空間。抜けられるような抜けないような。子供だったら走っていきそう!
自分が子供の頃はこういう場所があると走り抜けていた(;'∀')

奥がどうなっているのか、気になったけど。

解体待ちの木造家屋。古いけどきれいに手入れされている感じがする。住んでいた方がしっかりメンテナンスをしていたのだと感じられる建物。特に窓枠とガラス窓が懐かしい。昔のガラス窓は割れやすかったからよく残っているな、と感動しました。

こちらも解体待ちの木造家屋。1階には傷みもみられますが、2階の外見はきれい。玄関の引き戸の上の意匠をみるとなにか商売でもしていたのかな?

なんの空間だろう。物干し?植木鉢置き場?それとも天日干し用の出っ張り?謎を残したまま、建物は歴史の闇に消えていく…

昭和の町と背後の高層マンション。このアングルが好きで訪れるたびに撮っていたけど、いよいよ撮り納め。

参考文献
「東京の空間人類学」 陣内秀信著 筑摩書房

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