東京探索記 15 目黒~3月終わりの日の一風景~
3月末になってやっとソメイヨシノの開花が宣言された東京。昨年の今頃はもう桜は散っていて、地球温暖化でどんどん早くなるぞと今年は3月初めから花見を身構えていた諸兄も多いことと思いますが、3月になってからも真冬の寒さが続き、結局例年通りに近いタイミングの開花に落ち着きましたね。こればかりはお天道さまの気分次第、というところでしょうか。
さて、花見目的ではないのですが、3月30日に目黒区内を散歩しました。
そういえば、江戸時代に何代めかの将軍様が、目黒の茶屋で休憩中に魚を食して、「さんぽは目黒にかぎる」と叫んだという逸話が残っていますね。江戸の昔から目黒には坂あり、階段あり、暗渠あり、庚申塔のような古いものも残されていて散歩好きにはたまらないテーマパーク的な場所です。
んん? 将軍は「さんぽ」ではなくて「さんま」と言ったのでは?
いえいえ、あれは付き人の聞き間違いです……と信じています(^-^;
3月30日の目黒新橋からの様子はこんな感じです。花見目的で出てきた人たちも多く、権之助坂からここ新橋にかけては大賑わいでした。桜の花はまだだったけれども初夏の陽気の暖かさでよかったと思います。
そんな目黒を半日歩いて目に留まったものたちを紹介していきます。
まずは手書きの防犯連絡所。元の文字が消えてしまったので黒いマジックのようなものでなぞってそれらしくしていますが、手書き感たっぷりでいいですね👍
次は朱い鳥居だらけ。と言っても神社ではありません。なので参拝はしませんでした。マナーは守りましょう。
この日、いちばんの驚きはこれ。埋められた扉。トマソン物件を超越している豪快さにびっくり。なぜこんなことになったのか?扉の向こうに閉じ込められている人はいないのか、とか心配になってしまいます…
いたら事件になっているでしょうが。
この埋められた扉のそばには陸軍境界石!
といっても本来の場所からは移されています。元あった場所の土地に新しい建物を建てるとか道路にするとかいった事情でここに引き取られたものと思います。
これらは、目黒区「めぐろ歴史資料館」にあります。この地はもともとは中学校でしたが統廃合で廃校となり、いまは区の施設として使われています。館内には目黒区の古代から現在までの遺跡、史跡を展示。関係書籍の物販もしています。そして校庭ではおそろいのユニホームを着た子どもたちが野球の練習をしていました。
坂の上からの眺め。左へ行くと中目黒八幡神社へ、右はさきほどのめぐろ歴史資料館へ通じる坂です。ここで振り返ったら上空には羽田空港へ向かうジェット機、右奥には小さくですが麻布台ヒルズの黒い建物が見えます。
y字路。路面に書かれた文字にぴったりな感じです。
さて、東京の坂名で多いのは?というと上位にあがるのが富士見坂。ほとんどが江戸時代につけられた名称ですが、今では坂と坂名はあれどもその場所から富士山が見えることはまずありません。それくらいビルだらけ。
でもここは店名の「フジミ」のとおり、富士山が目の前に見えます。ん?本物ではないって、いえ目をつむれば霊峰富士に見えてきます。
「普通車通行不可」と書かれていると、では大型車は?聞きたくなる。
ただの天邪鬼ですね(^-^;
これは何のオチもありません。スズランが咲いていました。白い小さな花が可憐で素敵ですね。
つるまき荘。いいネーミングですね。
「つるまき」というと、弦巻、川が蛇行して流れている地形を指します。
西池袋の池を水源として江戸川橋で神田川にそそぐ弦巻川。そして中目黒で目黒川に合流している蛇崩川の最上流に近い場所の町名、世田谷区弦巻。というように川関連で命名されるのが多いのですが、このつるまき荘の近くには蛇行した川はありません。
なぜこの名称になったのか?
謎は謎を呼ぶ…ほどでもありませんがちょっと疑問。
そして最後は、どこまでもまっすぐな道のかなたの夕陽とランナー。
もう数メートルで品川区になるという目黒区の端っこ目黒本町の交差点での一枚。
JR目黒駅を午後2時前に出発して約4時間後、品川区の武蔵小山駅まで歩いてこの日の散歩はゴールへ。計14kmほどの散歩でした。
ちなみにJR目黒駅も品川区なので、結局品川区から歩きだして品川区にゴールしているわけでした(笑)
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