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鮭様鍋

梟雄と呼ばれる戦国武将は多い。覇権を握るためには手段を選ばず、どんな残忍なこともやったように言われる人物を妄想しながら、その人物の好物を料理した記録。


材料

鮭        2切れ
里芋       5個
厚揚げ      1個
葱        1本
ひもかわ     1玉
昆布       5センチ
水        200㎖
醤油       100㎖
味醂       50㎖
オイスターソース 大匙1

天文十五年(1546)出羽國(山形県)に生まれた白寿丸が後の最上義光。
最上氏は辿っていくと足利氏に繋がる源氏の名門でしたが、この頃は伊達家の傘下。
父親の義守は分家の出身でしたが、伊達家の後援を得て家督を継いだので、伊達家に頭が上がらない。
伊達家との結び付きを強めるために義光の妹、義姫は伊達輝宗に嫁ぐ。↓

義光は妹と仲が良かったので、よく手紙の遣り取り。
彼の名前、知らなかったら「よしみつ」と読んでしまいそうですが、実は「よしあき」
妹に宛てた手紙に平仮名で「よしあき」と署名していることから判明。
義光が妹同様かそれ以上に好きだったのが鮭。領民にも鮭様と呼ばれて親しまれた。自分が好んだだけではなく、周囲にも勧め、徳川家康にも献上。
ということでメイン食材は鮭。


昆布を煮て出汁を取る。

梟雄とは残忍で猛々しい人といった意味。
義光が梟雄と呼ばれた要因、まずは父親との確執。
父の義守とは異なり、義光は伊達家から離れて自立を図るべしが持論。
そんな長男を危険視して、父は次男に家督を譲ろうとしていたが、義光は弟を謀殺して、家督を強奪同様に継いだ。
という話がありますが、実は一級史料からは弟の存在が立証出来ず、義光の強引さを示そうとした創作の可能性。


昆布を引き上げて、具材を投入。

父と和解成立後は伊達家からの自立、そして出羽統一へ邁進。
その過程で、敵対していた天童氏の重臣と縁組。その仲介で天童氏を屈服させる。降伏の条件として当主、頼澄は助命。その約束を義光は守った。
同じく敵対していた白鳥長久を仮病を使って城へ呼び寄せて暗殺。
手段を選ばない遣り方が梟雄と呼ばれる所以。
ですが、こうした策略は戦國武将の多くはやっているし、大きな戰を起こすよりも最小限の犠牲で目的を達していると言える。
屈服させた勢力に仕えていた武士達はそのまま最上家に召し抱えられたが、新参者として差別されることもなく、元々の家臣達と同列に扱われた。
支配権を巡って争うのは武士だけでいいという思想があったのではないか。


葱と調味料投入。蓋をして煮る。

義光は内政にも十分な力量を見せた。
出羽の庄内地方が豊かな田園地帯になったのは義光が新田開発を奨励したから。山形の名産品は紅花ですが、これも義光が栽培を奨励したのが始まり。
庄内の港湾を整備して交易にも力を入れた。更に庄内で水揚げされる鮭を好んだ。これが鮭様の呼び名の由来。
義光の前に庄内を支配していた大宝寺氏は重税を課していましたが、それを廃止したことで領民にも慕われた。
梟雄どころか名君。


一度、沸騰してから弱火で十五分煮た状態。

秀吉が小田原征伐にやって来ると、伊達政宗がこれに遅参したのは有名な話ですが、実は義光は政宗よりも更に遅参。これは父親の葬儀を行っていたという正当な理由があったのですが、このことがもしかしたら、秀吉の心証をよくしなかったのではないか?
豊臣政権下で、義光が開発した庄内の支配権を上杉家に奪われたのはこれが一因かもしれない。

秀吉の甥で後継者だった秀次が謀反を企んだという嫌疑で切腹させられると、その余波が最上家を襲った。
「駒姫事件」とでも言うべきか。駒姫については↓


あっ、まだ書いてなかった。近日公開?
かいつまんで書くと、義光の愛娘である駒姫は秀次の側室だったことから斬首となり、悲嘆のあまり義光夫人は死亡(自害?)
義光自身も秀次謀反に連座したと疑われて謹慎処分。
とんだとばっちり。
これだけ理不尽なメに遭ったことから、義光の心には豊臣家憎しの炎が灯ったことでしょう。


いい感じに煮えた。

義光は事件以前から次男を徳川家康に出仕させていましたが、以降はますます徳川家寄りになっていく。
秀吉死後、關ヶ原では当然、東軍についた。
最上家の領地は西軍、上杉家と接しているのでその襲撃を受けた。
慶長出羽合戦と呼ばれ、特に長谷堂城で激しい戰。
二万近い上杉勢を相手に長谷堂城に籠る千人の兵はよく守った。
そこへ關ヶ原での西軍敗北の報。上杉方は意気消沈。
自ら救援にやって来た義光率いる兵は意気軒高。退却する敵に襲い掛かる。
総大将の義光自らが先頭切って、敵の大将である直江兼続を追い詰める。
直江も切腹を覚悟した。
その時、飛んで来た鉄砲玉が義光の頭に。


鮭様鍋

目指したのは山形名物の芋煮を鮭で作ること。
昆布出汁に加えて鮭からもいい出汁。オイスターソースを加えた煮汁もコクがある。
じっくり煮たことで里芋も柔らかい。
余っていたので入れた「ひもかわ」もいい色に染まり、味も染み込む。
鮭から動物性、厚揚げから植物性とタンパク質たっぷり。
鮭に含まれるアスタキサンチンは優れた抗酸化物質。脳や目にもいい効果。

玉は被っていた兜の前立てに当たり、義光は無事。強運の持ち主。
結局、直江兼続討ち取りは叶いませんでしたが、上杉に奪われていた庄内を失地回復。戦後も領有を認められて五十七万石の大名に。
これだけの恩を受けた徳川家への傾倒は更に大きくなり、家康に仕えさせていた次男、家親に家督を譲ろうとした。
跡継ぎとしていた義康に高野山に向かい、出家せよと義光は命じる。
結局、義康は暗殺された。
義光梟雄説だと、これも義光の仕業とされるが詳細は不明。

最上義光が梟雄と呼ばれる理由は、敵対勢力だった上杉家や伊達家が近世大名として江戸時代にも健在だったからではないか。
一方、最上家は義光死後、御家騒動により改易。
歴史は勝者、生き残った者が書く。
勝者は自らの正当化のために消えた者達を殊更に悪者にすることがある。
武家同士の争いでは策も用いたが、その後の処置は割と穏やかであり、善政を布いた名君という評価も山形では高い。そんな最上義光を妄想しながら、鮭様鍋をご馳走様でした。

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