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麻婆豆富じ原道長

「この世をば、我が世と思ふ望月の欠けたることもなしと思えば」
藤原道長の有名な歌。
「この世は私のためにある」と山本リンダの歌みたいな心境?と思われがちですが、実際はどうだったのか?この歌を詠った藤原道長とはどんな人物だったのか?そんなことを妄想しながら、麻婆豆腐を作った記録。


材料

葱     1本
生姜    1欠け
大蒜    1欠け
豆板醤   小匙1
自家製豆腐 1丁
醤油    大匙2
胡麻油   適量
大豆肉粒状 好きなだけ
片栗粉   大匙1
水     200ml位
蜂蜜    小匙1
干し海老  大匙1

「この世をば」の歌がどういう状況で詠まれたのかというと、宴会の席。
寛文二年(1018)十月十六日のこと。日付までわかっているのは、藤原実資の日記『小右記』に記されているから。
藤原道長の三女、威子が後一条天皇の皇后になった祝宴が開かれ、その二次会で道長が即興で詠んだ歌。
この歌に返歌をつけてみよと、道長は実資に持ちかける。
「素晴らしい歌で、とても返歌など付けられませぬ。皆でこの歌を唱和しよう」と実資。
お追従?と思ってしまいそうですが、この実資という人、時には道長に意見する反骨心もあった人。それがこんな返答をしたというのは、呆れたからではないかという解釈もあります。
思い上がりも甚だしいが、宴の主役をこき下ろしたり、恥をかかせる訳にはいかず、取り上げず持ち上げておいた?
しかし、考えようによっては「この世」ではなく「この夜」と言ったのではなかったか?そうだとすると、単に皆が祝ってくれている今宵は自分にとって最高の夜だという程の意味?


大豆肉を水で戻しておく。

藤原兼家の五男として生まれた道長。兄達が伝染病などにより相次いで亡くなったことにより、藤原北家の跡継ぎとなり、兄の嫡男つまり甥の伊周との政争に勝利、左大臣となり政権掌握。三人の娘を次々に入内させて天皇の外戚という地位で摂政を歴任して、権力を万全なものに。


葱、生姜、大蒜を微塵切り

約400年間という長い平安時代ですが、平安時代と聞いて多くの人が思い浮かべる有名人の多くが道長とほぼ同じ時代に生きています。
紫式部、清少納言、安倍晴明、源頼光等々。
しかも、そうした人々の殆どが道長と深い関係。


自家製豆腐を賽の目に切る。

お公家さんといえば、おっとりしている或いは陰湿なイメージがありますが、道長は豪快で覇気ある性格だったようで、父が当時の関白の子、公任と比べて我が息子達は足元にも及ばぬ。
「公任の影も踏めまい」と嘆く。
兄達は俯くのみだったのに、道長は
「影どころか顔を踏んでやる」と鼻息荒い返答。

また弓術に優れていたと言われます。
父、兼家の葬儀での堂々とした態度を見て感じ入った源頼光は自ら、道長に従うように。


葱、生姜、大蒜を炒める。香が立つまで。

現代に至るまで1000年以上も読み継がれている『源氏物語』の作者、紫式部ですが、道長と只ならぬ関係だったという話があります。
『尊卑分脈』という系図集に、それを思わせる記述。
紫式部について道長妾と記載。
また『紫式部日記』にも、夜半に道長が訪ねて来たので追い返したという記述。
男女のことをあまり深く追求するのも野暮というものか。
ただ、『尊卑分脈』は室町時代初期に編纂されたものなので、年月が経っているので信憑性には疑問符?


大豆肉、干し海老、水投入して煮る。

道長が娘、彰子を入内させた一条天皇、そして道長自身からも信頼されていたのが陰陽師、安倍晴明。
出家した道長、法成寺という寺院を建立。このことから、道長は御堂関白と呼ばれます。実際には道長は摂政になったけれど、関白には任官していません。その法成寺に日参。或る日、連れている犬が行くなとばかりに吠え、しまいには袖を咥えて離さない。
何かあるのではと、晴明に相談。
「あなた様を呪う物が埋められているかもしれません」との返答。
山門の下を掘らせてみると、呪物である土器発見。
そんな逸話が『宇治拾遺物語』にあります。


豆腐投入。

兄が伝染病で亡くなったことにより、家督が回って来て、出世の糸口となった道長ですが、後々、今度は自らの基盤が病により脅かされる事態。
自身が感染したということではなく、天皇家に入れた娘。
末娘の嬉子を後朱雀天皇に入内させたものの、嬉子は親仁親王の出産後に天然痘で死亡。後冷泉天皇として即位した親王には世継ぎがなく、天皇の外祖父という権力の拠り所を失う。
ついに望月も欠け始めた?


調味料投入。水溶き片栗粉でとろみ。

寛文三年(1019)に出家した道長。法名は行観(後に行覚)となりました。
そして法成寺を建立。先述の安倍晴明の逸話はこの頃のこと。


麻婆豆富じ原道長

自家製豆腐があまり崩れないしっかりとした作り。葱、生姜、大蒜とたっぷりな薬味が旨味を盛り上げる。海老出汁が柔らかな旨味。その中に潜む豆板醤の辛みと、我ながらよい出来。
大豆肉と豆腐、どちらも原料は同じで、タンパク質豊富。
大蒜や葱から食欲増進のアリシン、生姜からは水溶性ビタミンであるナイアシン。その他のビタミンも摂取。

行覚となった藤原道長、晩年はどうやら糖尿病だったようです。今は生活習慣病と呼ばれますが、少し昔は贅沢病とも呼ばれた病気。
最後は阿弥陀如来像と自分の指を糸で繋ぎ、念仏を唱えながら往生を遂げたと言われます。

平安時代といえば思い出される代表的な人物でありながら、その実像はよく知られていない藤原道長を妄想しながら、麻婆豆富じ原道長をご馳走様でした。

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