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チーズ大金地院崇伝

以前、作った大根ステーキの発展形を作りながら、江戸幕府の基礎を作った黒衣の宰相を妄想した記録。

戦国時代、天下を狙った大名には知恵袋として仕える僧侶がいた。僧というのは学識が深いだけではなく、弁が立ちしかも俗世とは距離を置いた存在ということから使者として交渉を担うこともあった。
今川義元には太原崇孚雪斎。毛利輝元には安国寺恵瓊。
そして徳川家康には金地院崇伝。

材料

大根     1/3本
ピザ用チーズ 適量
バター    20グラム
醤油     大匙1
出汁つゆ   200ml
片栗粉    大匙2

室町幕府十三代将軍、足利義輝の側近、一色秀勝の次男として永禄十二年(1569)に誕生したのが後の崇伝。僧侶としての正式な名前は以心崇伝。金地院というのは居住した寺の名で、言わば通称。
十五代将軍義昭の代で室町幕府滅亡。これにより秀勝の次男は南禅寺で出家。以心崇伝となる。
僧侶として優秀だったらしく、二十四歳で摂津福厳寺や相模禅興寺の住職を歴任。三十七歳にて南禅寺の住職となり、朝廷から最高位の衣である紫衣を賜る。


大根を輪切りにして皮を剥いて、十文字に飾り包丁。

秀吉や家康の相談役を務めていた西笑 承兌の推挙により慶長十三年(1608)に駿府に赴いて徳川家康に仕えるようになる。
南禅寺での居所も金地院でしたが、駿府にも金地院が建立され、其処に居住。
貿易船に与える朱印状や明や朝鮮、東南アジア諸国との折衝、寺社の統括などを行う。


圧力鍋に入れて、出汁つゆをひたひたになるまで注いで加圧。

貿易のために家康は当初、キリシタンを黙認していたが禁教の方針を打ち出すと、崇伝は命を受けて実質的な禁教令である『伴天連追放之令』を一晩で書き上げる。
他にも武家諸法度や禁中並公家諸法度等、幕府の基幹政策の殆どは崇伝が作った。
二代将軍秀忠の嫡男、竹千代が元服して名乗った諱、家光を考えたのも崇伝。その後、将軍の多くが家を字を継いでいくことになるので、これも江戸幕府の慣例を作ったと言える。

10分加圧後。

関ヶ原後、征夷大将軍として天下人になっていた徳川家康ですが、目の上のたん瘤が残っている。
秀吉が築いた鉄壁の要塞、大坂城とそこに残る遺児の秀頼。
そんな中、秀頼の命で再建された方広寺の釣鐘に刻まれた銘文が問題に。
「国家安康」と「君臣豊楽」の文言が家康の名前を二つに割って呪っている。更に「豊臣を君として楽しむ」と読めるととんでもないイチャモン。
この解釈を考え付いたのが崇伝と言われる。
ただ崇伝が遺した記録には家康からの諮問で初めて、この問題を知ったとなっている。このことから崇伝が考えた訳ではないという研究者もいる。
本当に知らなかったのか、後世に遺る記録には知らなかったという風にしらばっくれたか?どちら?


バターで大根を焼く。

どちらにしろ、この釣鐘事件がきっかけで関東と大坂は手切れ。大坂の陣が起こり、大坂城に籠った多くの牢人衆と共に豊臣家は滅亡。
戦のきっかけを作った人物として崇伝は恨みを買った。
こればかりではなく禁教令を書いたことからキリシタンにも恨まれ、武家諸法度のために改易に追い込まれた武家にも恨まれ、禁中並に公家諸法度により幕府の下風に立たされた朝廷からも恨まれと、四方八方から恨みの嵐。
「大欲山気根院僭上寺悪国師」というとんでもない異名で呼ばれた。
「天魔外道」とは紫衣事件で出羽に配流となった沢庵が崇伝を称した言葉。


両面に焼き目が付くまで焼く。

僧侶に与える最高位を示す紫衣を授ける際には、朝廷は幕府に許可を得るべしと定めていたにも関わらず、朝廷は紫衣を独断で授与。幕府はこれを咎めて、幕府の許可を得ていない紫衣を剥奪。幕府の決定が朝廷よりも上に立つと示した。
この処置に反対した沢庵らが流罪になったのが紫衣事件。
当初、崇伝は沢庵らを島流しにすべしと主張していたが、柳生宗矩の取りなしで出羽への配流に減刑。


醤油を投入。大根の上にチーズを乗せる。チーズが溶けるまで蓋をして蒸し焼き。

亡くなった家康を神として祀ることになった時、崇伝は吉田神道に基づいて「明神」という神号を贈ることを主張。これに異を唱えたのが南光坊天海。山王一実神道の「権現」にすべしというのが天海の主張。この時代は神仏習合なので僧侶が神号を考えるのも普通なこと。結局は天海が放った言葉が決まり手になる。「豊国大明神を見ればよい」つまりその神号を贈られた秀吉の子孫がどうなったか?ということ。縁起が悪いということで衆議一決。「東照大権現」という神号が徳川家康に贈られることに決定。


いい感じ。

仏が日本の民を救うために神として現れたという本地垂迹説を基にしたのが「明神」逆が反本地垂迹説の「権現」
私から見れば、どちらも?な感じ。
お釈迦様が「実は仏というのは日本の神なんだ」とでも言ったか?


フライパンから取り出した。

神号の件で天海は「権現」とすべしは家康の遺言であると強弁。これに強く反発した崇伝は秀忠の前で天海を叱責。
秀忠の不興を買って一時、遠ざけられる。
自分が推した「明神」が却下され、秀忠の不興を買ったことが余程、不満だったのか、崇伝は「こんなこと有り得ないだろ」とぼやいた手紙を親交があった細川忠興に送っています。


大根を煮た出汁つゆを煮詰めて、水溶き片栗粉でとろみを付ける。ソースを作ってます。

許された後は江戸にも金地院を建立してもらい、京都と江戸の金地院を行き来して尚も幕府のために働く。
順番が前後してしまいましたが、この後に禁中並公家諸法度制定や紫衣事件。


チーズ大金地院崇伝

大根の出汁も加わった煮汁をソースとして絡めて頂く。
チーズの旨味が濃厚な味を大根に加えてくれる。圧力鍋で下茹でしたことで柔らかい。切り込みを入れたことで味もよく沁みている。
チーズからタンパク質、大根から食物繊維やカリウム。特にカリウムは水に溶けやすいので煮汁にもたっぷり含まれている。余さず頂くためにソースにした。

大欲山気根院僭上寺悪国師だの天魔外道などと呼ばれた崇殿ですが、決して欲得で動いていた人物ではないと思います。
力づくの戦国時代を終わらせるためには、皮肉なことですがより大きな力で押さえつけるしかないという思想が徳川家康と共通していたのではないかと思われる。だからこそ家康に重用され、江戸幕府を優れた統治機構にするために持てる力を注いだ。そんな金地院崇殿伝を妄想しながら、チーズ大金地院崇殿伝をご馳走様でした。

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