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本能寺は変

過去に書き散らした記事を振り返る温故知新を目的としたレヴュー。
昨年12月に北野武監督の映画『首』を見た感想と重要な登場人物の一人、千利休について書きました。

裏アカウントに英訳をup。英語に興味ある方は御覧下さい。

ついでにこちらは登場人物の一人、曽呂利新左衛門について。

もう公開は終わってしまいましたが、『首』の主題は本能寺の変。
天下統一間近の織田信長が臣下の明智光秀に討たれた事件ですが、戦国のミステリーと呼んでもいい位に謎が多い。
そもそも光秀が信長を討った理由も怨恨、野望、誰かに唆された等、諸説。
肝心の信長も首どころか肉片も見つからず。

『首』だけではなく、これまで何度もドラマや映画で描かれてきた本能寺の変ですが、暗い中に燃え上がる本能寺というのが定番。
しかし変が起こったのは六月二日早朝。これは旧暦ですから現代の暦に直すと6月21日。つまり夏。夜明けが早いのでもう日が昇ってたんじゃないの?炎に包まれた本能寺という場面も私には疑問。
これから私が妄想する本能寺の変を書きます。

どうして信長が城ではなく寺に宿泊したかですが、現代でも堀や塀を備えている寺は少なくない。屋根は瓦葺なので多少は燃えにくい。城程ではなくても防御設備があるということ。
本能寺の地下には火薬庫があったと私は考える。
どさくさ紛れの失火或いは意図的に火薬が発火。爆発したために信長は肉片も残さず吹き飛んだ?

そもそも戦闘すらなかったのではないか?
光秀を始めとする信長のやっていることに反対する家臣達が主君を翻意させるために武力を背景に信長を説得しようとしていたのが本能寺。
交渉決裂或いは誰かが意図的に火薬に火を放ち、爆発。

信長がやっていたこととは人身売買。
信長が生まれた織田弾正忠家は守護代の分家。尾張一国すら統べていなかったのに信長一代で急成長。天下人の階段を駆け上がった。その理由の一つは鉄砲という新兵器を大量に入手、配備したこと。
鉄砲を撃つために不可欠な硝石は日本には産出せず。輸入に頼るしかなかった。硝石の対価として輸出されていたのが奴隷。それも女。

譜代の家臣だった柴田勝家や丹羽長秀等は信長の意向に逆らえないが、新参者である光秀とか秀吉は奴隷貿易などという非道を快く思わなかったのではないか。
秀吉も光秀と通じていたので、信長死後、いち早く上方に戻れた。
非道な主亡き後の主導権争いが山崎の合戦。
光秀と本能寺の変については、以下でも詳しく述べています。

奴隷とか人身売買なんて遠い昔の話。令和の日本には無縁と思うなかれ。
警視庁の統計によれば、昨年の行方不明者の数は85000人近い。この数字は十年間、ほぼ横ばい。
つまり十年で85万人位が日本国から姿を消している。どこに行ったんでしょうね?
最近、地震の被災者の中学生が集団避難。
どうして中学生?高校生は避難させないのか?どうして親と引き離す?
何故か彼等は自前のスマホを取り上げられたとか?親と連絡を取りにくくするため?
考えれば考える程、奇妙。
消えてしまう中学生がいなければいいのだがと危惧。
何が言いたいかはお察し下さい。



なーんてね。どうやら本能寺の変から始まった妄想が過ぎたようです

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