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アンコく寺恵瓊

どかた家には砂糖という物質が存在しません。砂糖には中毒性があると聞いているから、甘味を出す時には蜂蜜とか味醂を使うようにしています。砂糖を使わずに甘い物が作れるかに挑戦しながら、毛利家の外交僧でありながら大名になった人物を妄想した記録。


材料

小豆(一晩、水に漬けておく) 200グラム
フルーツ酢          100グラム
蜂蜜             大匙3
塩              一つまみ

新羅三郎義光を遠祖とする武田氏、源氏の名門であり、もっとも有名なのは武田信玄を生んだ甲斐武田氏ですが、幾つかに枝分かれして若狭や安芸の守護になった武田家も存在。
安芸守護の武田家は残念ながら勢力が振るわず、安芸国内は大小多くの国人勢力が相争う。大内と尼子という大勢力にも押され気味。
ついには毛利元就により、居城の銀山城を落とされて滅亡。
その一族に生まれたのが安国寺恵瓊。
没落した一族ですから、行く宛てもなかったのか出家することに。安芸の安国寺で出家後、都の東福寺で修行。


蜂蜜屋さんから購入。ドラゴンフルーツが入った蜂蜜酢。これをメインに甘味を付ける。

東福寺で恵瓊の師となった恵心は毛利元就の長男、隆元と親交があり、その縁から弟子の恵瓊も関係を持つことに。天正二年(1574)に安芸安国寺の住持となり、そればかりか東福寺や南禅寺という都を代表する禅寺の住持も務めたことから、安国寺恵瓊はかなり優秀だったのかと思われます。
毛利家の外交僧という役割を担うようになったのは、師の恵心の推挙があったのか?


小豆を沸騰するまで茹でる。渋切りと言って、灰汁抜きのため。

中央政界で織田信長と将軍、足利義昭の関係が険悪となり、ついに義昭が都を追放されることになると、義昭は毛利家を頼ろうとしましたが、恵瓊は出来れば、それを避けようとしていました。
いずれは義昭は信長と戦えと毛利家に命じるだろうと予測出来たから。信長とは敵対するよりも融和した方が毛利家のためという判断。
「信長の天下は五年か三年は持つだろうが、その後は高転び、仰のけに転ぶ。藤吉郎はさりとての者」
という人物評を恵瓊は残しています。
信長、そして後に続くであろう秀吉の将来性を予見していた。
恵瓊のこの人物評を以て、恵瓊は優れた予言を残していたと言う人もいますが、予言というよりも卓越した観察眼で信長や秀吉という人物を見ていたことによる未来予測と言うべきかと思います。
恵瓊に予知能力があったというなら、自分の行く末は予知出来なかったのか?と思えてしまうから。
しかし恵瓊の思惑とは裏腹に結局、毛利家は信長や秀吉と対決する道へ。


渋切り後、圧力鍋に移して、被る位の水を入れて加圧。

信長の指令で戦いに来た秀吉との和戦交渉も恵瓊が担当。その折り、万一、毛利家を滅ぼすようなことになったら、吉川或いは小早川家に遺領の一部を与えてくれるようにと交渉していたとか。もしかしたら、毛利の家名が消えてもいいと考えていたのではないかと妄想。
何しろ、恵瓊の実家は毛利家に滅ぼされています。仕えていながらも、心の何処かには恨みを残していた?
恵瓊という人物、僧侶ではありながら酒癖が悪く、男色家。寺院は女人禁制ですから、お坊さんに男色は珍しくないことかもしれませんが、酔った挙句に主君、毛利輝元の小姓に手を出してしまったことがありました。
主としながらも芯から敬ってはいないので、そんなことが出来た?


加圧後、フルーツ酢と蜂蜜を少しづつ投入しながら、煮詰めていく。

秀吉による全国統一が進んでいくと、恵瓊は秀吉にも重用されるようになっていき、四国で六万石の所領を与えられて大名に。
毛利家の外交僧でありながら、秀吉から領地を与えられているということから、半ば独立大名のような形?
或いは有力大名から有能な家臣を引き抜こうとする秀吉がよく使う手口?


水分が飛んできたら、マッシャーでお好みの状態まで潰す。半殺しでも全殺しでも。

秀吉の死後、次の覇権争い。
恵瓊は毛利輝元を西軍の総大将に押し上げて、大坂城に入城を促す。自身も軍勢を率いて関ケ原へ。
南宮山に布陣。ここは家康の本陣の真裏に当たり、一駆けすれば家康の首をも狙えると意気込んでいました。合戦が始まると早速、動こうとするものの思わぬ邪魔。
恵瓊の軍勢の前面に吉川広家が布陣。戦が始まると、吉川勢はゆるゆると弁当を広げ始めました。何と呑気なというか、これはわざとやっていること。恵瓊の軍勢が家康の本陣に向かうのを阻む行為。
実は吉川広家は東軍と内通。毛利家存続を条件に不戦。それどころか恵瓊や他の毛利家中の主戦派を引き留める工作を担っていました。


アンコく寺恵瓊

小豆には抗酸化作用があるポリフェノール。というか色が濃い野菜や豆には特にポリフェノールが含まれています。ドラゴンフルーツ配合の酢を使ったことから、フルーツの風味が加味されて、砂糖使用のアンコよりも爽やかな味。これが甘過ぎず、いい感じ。

一応は西軍、しかも主筋に当たる吉川家を攻撃して進むことも出来ず、結局、慧海は参戦出来ないままに関ケ原終了。
その後ですが、縄目の恥を受けるよりは自決されては如何かと平井藤九郎と長坂長七郎という二名の家臣に勧められますが、恵瓊は拒否。
あろうことか、平井達は恵瓊に斬り付ける。もしかしたら吉川広家辺りから殺害指令?
恵瓊は首を縮めて逃げ回り、右頬に怪我。その場では命を拾ったものの、ついに捕らえられて、石田三成や小西行長と共に斬首。
京都、建仁寺の庭に首塚があったのを記憶していますが、訪れたのは結構な昔なので、どういった墓だったか、よく思い出せず。
一族の仇である毛利家に仕え、忠節を尽くしたのか、心の奥底ではよくは思っていなかったのか?安国寺恵瓊の心中を妄想しながら、アンコく寺恵瓊をご馳走様でした。

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