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オイスター小松菜つ目漱石

現在、私が書いている日本語の文章。こういう日本文の型を作ったのは夏目漱石。
江戸時代の文書程、遡らなくても明治時代の文章でも、現代人にはわかり辛い。例を挙げると森鴎外の『舞姫』ですが、現代人が読んでも内容がなかなか掴めない。他の例としては樋口一葉の『たけくらべ』
何故かというと、こうした小説は文語体で書かれているから。
夏目漱石の小説、『坊ちゃん』『吾輩は猫である』『三四郎』等は現代人がそのまま読んでもすんなりと話についていける。これは話し言葉に近い、言文一致体で書かれているから。二葉亭四迷と共に言文一致体を定着させた夏目漱石を妄想しながら料理した記録。


材料

小松菜      1杷
自家製豆腐    半丁
シメジ      1パック
大蒜       1欠け
オイスターソース 大匙2
醤油       大匙1
酒        大匙1
塩        小匙1
胡椒       適量
片栗粉      大匙1

慶應三年(1867)江戸に生まれた夏目金之助が後の漱石。
当時の夏目家は名主でしたが、先祖は徳川家に仕えた武士で、三方ヶ原の合戦で家康の危機を救ったことがあるとか。
五男だった金之助は生後すぐに里子に。しかし姉が不憫に思い、連れ戻す。それでも結局は塩原昌之助の養子に。
これも塩原家の不和により、七歳で実家に戻されるという複雑な幼年期。


小松菜を茎と葉に切り、水に晒す。15分位。蓚酸を抜くためと付着している泥を落とすため。

成績優秀だった金之助、特に英語に意欲的。
後に筆名とする『漱石』ですが、元々は正岡子規が使っていた名前。
漱石枕流という故事から付けたもの。
本当は流れで口を漱ぎ、石を枕に眠るという質素な暮らしの例えだったのを言い間違えた人が、
「石で口を漱ぎ、流れを枕にする」と言ってしまい。笑われると、
「石で口を漱ぐのは歯を磨くためで、流れを枕にするのは耳を洗うためだ」と答えたという話で、負け惜しみが強い例え。
同窓生で交流があった正岡子規から、譲り受けて使うように。


シメジは石突を落として、食べやすくほぐす。

東大卒業、英国留学、そして教師となった漱石ですが、名前の通りに負け惜しみが強い逸話あり。
授業の内容が教科書と違うという指摘を受けると、それは教科書が間違っているから、教科書を書き直せと生徒に言ったとか。自分の間違いは認めない負け惜しみ。
もう一例、懐手をしている生徒に、
「態度がよくないが、そんなに私の授業がつまらないか」と問う。
実はその生徒、何等かの事情で手がありませんでした。
それを知った漱石、謝ることはなく、
「私もない知恵を絞っているのだから、おまえも思い切ってない手を出せ」と告げる。
こちらは負け惜しみとも取れるし、考えようによっては厳しい言葉で励ましている?(深読みし過ぎ?)


自家製豆腐は細かく。

この自家製豆腐、数日前に作成。残りの半丁は味噌汁の具にしました。豆腐の作り方はこちらをどうぞ。↓

夏目漱石、かなりの甘党。
一か月でジャムを4キロ舐めたとか、当時はまだ珍しかったアイスクリーム製造機を購入。夫婦喧嘩の元に。
英国留学中に甘味の虜になったらしく、朝食のパンにはバターやジャムをこってり塗っていたという話。
甘い物、特に砂糖は中毒性があることをよく示しています。
こういう食生活が祟って、ついには糖尿病発症。
そればかりではなく胃潰瘍が原因で湯治に行った伊豆、修善寺で大量吐血。
肩こりや頭痛、ノイローゼと生涯、様々な病気に苦しめられたのも、食生活がよろしくなかったと思われます。やはり食は大切。


大蒜を摺り下ろす。

東京帝国大学でも教鞭を取った漱石ですが、前任はラフカデイオ・ハーンこと小泉八雲。八雲の授業はかなり好評だったらしく、漱石本人もハーンさんの後はやり辛いとぼやいたそうです。学生達も小泉八雲留任運動をしたり、漱石の授業にあからさまな不平不満を述べたりと散々。
漱石の授業はやはり魅力がなかった?ということか。
東大と同時に一高でも教えていたのですが、態度が悪いと叱責した生徒が日光、華厳の滝に投身自殺。
漱石に怒られたことが直接の原因かはわかりませんが、これまた非難の的。
精神的にまいった漱石は神経衰弱。家族に当たり散らすように。
そんな中で書かれたのが『吾輩は猫である』
これが好評で『坊ちゃん』等を発表。人気作家になっていく。


まずは小松菜の茎を炒める。

作家として生きていくことを決めて、教師を退職。『朝日新聞』に入社。
職業作家になった筈なのに、新聞社?
専属作家という意味合いだったのか?


シメジと豆腐投入。

『虞美人草』『三四郎』等々、今でも読み継がれる作品は朝日新聞に連載。ということから、やはり専属作家という意味合いで入社ということかと思われる。


最後に葉を投入。調味料と大蒜投入して炒めていく。

生涯、苦しめられた胃潰瘍の悪化により、伊豆修善寺で療養に出掛けたのが明治四十三年(1910)
この時に起こったのが、先に少し触れて置いた吐血事件。
修善寺温泉、菊屋旅館にて、腎疾患が原因で800グラムという大量吐血。生死の境を彷徨うことに。
『修善寺の大患』と呼ばれる事件。
晩年の漱石が座右の銘とした『則天去私』とは、この時の体験から生まれたのでは?


水溶き片栗粉投入。とろみを付けるためと、味が濃いので薄める意味合い。

天に則り、私を去る。これを実践したのかと思われる逸話が翌年、明治四十四年(1911)の文部省からの文学博士授与を辞退したことでしょうか。今更、私の栄誉などには興味がないという心境か。
その後もノイローゼ、リウマチ、痔と病気の百貨店状態に苦しめられる漱石。


オイスター小松菜つ目漱石

茎のシャキシャキを残し、葉はしんなり、シメジの歯ごたえ、しっかり豆腐の滋味。大蒜の辛みにオイスターソースの甘味に、醤油の塩味。正に味の百貨店状態。
豆腐のタンパク質、シメジや小松菜から各種ビタミン、オイスターソースからグリコーゲンやタウリン摂取。栄養価も高い。

現代の話し言葉に割と近い、言文一致体の文章を作った夏目漱石。その恩恵で私も駄文を綴ることが出来ています。
本当は漱石が言ったのではないという説もありますが、最後に紹介する逸話。
I love youをどう訳すのかと問われて、漱石は
「日本人はそんなことは言わない。月が綺麗ですねとでもしておきなさい」と答えた。
あからさまに口に出すのではなく、婉曲的な表現を好む日本人の本質を示している?そんなことを思いながら、オイスター小松菜つ目漱石をご馳走様でした。

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