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自家製豆富じ原鎌足

こじつけもここまできたか。いよいよネタ枯れかと思いつつ時々、作っている自家製豆腐を作りながら、天皇家の次に長く日本の歴史に深く関わってきた藤原氏の元祖、藤原鎌足を妄想した記録。


材料

一晩水に漬けた大豆 200グラム
にがり       20ml
ぬるま湯      30ml

これだけというシンプルさ。

藤原鎌足とはいうものの、彼が藤原姓を賜ったのは臨終の時なので、自分で名乗ったことはありません。本来の名前は中臣鎌足。
彼が生まれた頃は蘇我氏全盛時代。
少し前、聖徳太子が生きていた頃には、崇峻天皇の暗殺等を行い、排仏派の物部氏を排斥して権力を掌握。それでも太子が生きていた頃はまだ抑えが効いていましたが、太子の死後はいよいよやりたい放題。聖徳太子の遺児、山背大兄王を攻め殺し、冠位十二階の制も無視。
このままいけば、国を乗っ取られる危機。


分量外の水を適当に入れて、大豆をミキサーで砕く。

中臣氏は神事や祭祀を司る家。学問にも秀でていた鎌足ですが、蘇我氏の専横には苦々しい思い。
法興寺で蹴鞠が行われた時、それに参加していた中大兄皇子が勢いよく鞠を蹴り上げると、履まで飛んでしまう。その場に居た鎌足はさっと履を拾って奉る。これが運命の出会い。
中大兄皇子は舒明天皇と皇極天皇の子であり、皇位継承権もある皇族。しかも鎌足と同じく蘇我氏が我が物顔をしているのをよく思っておらず、二人は意気投合。蘇我氏の頭領、入鹿を除く相談を重ねるように。


ミキサーに掛けた大豆を煮る。混ぜながら沸騰。一旦、火を消して泡が少し収まったら、弱火で10分煮る。

皇極天皇四年(645)、高句麗、百済、新羅の三国が貢物を献上する儀式が行われる飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を成敗することに。
参内を怠ることもある入鹿は、この儀式には出てくると踏んだから、この時を選びました。というのも蘇我氏は渡来人達と繋がりが深い。というよりも蘇我氏自体が渡来人だったと思われます。研究者によっては朝鮮系どころかペルシャ系だったとも。
蘇我氏の中でも本宗家である入鹿の家系には批判的だった蘇我倉山田石川麻呂を味方に引き入れ、国書を読み上げる中、中大兄皇子は自ら入鹿を斬殺。
このことを知った入鹿の父、蝦夷は翌日、館に火を放って自害。稲目、馬子、蝦夷、入鹿と四代に渡って政治を思うままにした蘇我の宗家は滅亡。
この蘇我氏追討事件を大化の改新と思っている人が多いかと思いますが、これは乙巳の変と呼ばれる事変で、あくまでもきっかけ。この後に中大兄皇子と鎌足が打ち出していく新たな政策が大化の改新の肝。
即ち公地公民制、戸籍の整備とそれに基づいた班田収授。税制の改革。大化という独自の年号の制定。


煮た後、晒し布で絞って豆乳とおからに分ける。

蘇我氏を始めとする豪族が領地や領民を抱えていたのを否定して、すべての土地や人を天皇直属としたということ。天皇という一君の下、すべての民が平等という理想。
蘇我氏は自分の土地や民を抱えて、天皇を凌ぐ力を手中に。そのまま放置していれば、国は奪われていたかもしれません。
中大兄皇子や鎌足はそれを阻止して、この国を元の形に戻した。
残念な話ですが、現在の日本も外国勢力に乗っ取られそうになっています。そのことにどれだけの日本人が危機感を抱いているか。
大企業の株主の多くは外国企業や個人となり、日本人が稼いだ利益はどんどん流出。不況にさせられているために企業や土地もどんどん買収されていく。これを阻止しなければならない国会議員も買収されている有様。それどころか何割かの議員は日本人ですらない。遠い昔の中大兄皇子や鎌足のように国を取り戻す努力をすべき時。


豆乳を温める。75°から80°位まで。

暫くは皇太子の立場で改新を進めて行った中大兄皇子は即位して天智天皇に。即位後八年経った669年、何故かこの頃は年号が使われていないので、西暦で表記。
狩りに出掛けた鎌足は落馬して背中を強打。それが元で亡くなる。死に際して天智天皇から最上の冠位である大織冠と「藤原」の姓を授けられました。


ぬるま湯に混ぜたにがりを回しながら投入。混ぜていくと5分位で凝固してくる。

死後、藤原鎌足は奈良県多武峰に祀られ、談山神社のご祭神。
元々、神仏習合でしたが、明治の廃仏毀釈で無理に神社になった経緯あり。
昭和九年(1934)大阪府茨木市の阿武山古墳から被葬者の人骨。「多武峰略記」に鎌足は摂津国安威に葬られた後、多武峰に改葬されたという話が書かれていることから、安威に当たる地の古墳から出た人骨が鎌足ではないかと言われました。
皇室に繋がる可能性もあることから詳細な調査は行われず、埋め戻される。
その後、平成二十五年(2013)に行われた調査で発掘された冠がどうやら大織冠らしいとの結果。
埋め戻される前のX線原版を診断すると、被葬者は腰椎などを強打して、合併症で亡くなったらしいと思われ、落馬事故の結果?
ここまで証拠がそろうと、ほぼ間違いなく藤原鎌足でしょう。


布を詰めた箱に凝固した豆腐を入れていく。

鎌足の子が不比等、この人が古代の日本を作ったような人物で、それにより父の履歴も盛られている可能性もあります。鎌足と不比等の親子が作った基礎の上に、彼等の子孫達は正に藤蔓のように皇室や日本に絡みついて繁栄。


蓋をして重し。15分放置。

あまり知られていないかもしれませんが、鎌倉に鎌足の足跡。
足利氏に縁が深い浄妙寺。山号は稲荷山。その名の通り、裏山に稲荷神社。その名も鎌足稲荷神社。
鹿島神宮に参詣する途中、この地に宿泊した鎌足。夢の中に白髪の老人が現れ、
「所持している鎌槍を此処に埋めれば、世はよく治まる」とお告げを受けて、鎌槍を埋めた地に建立されたのが鎌足稲荷神社。
鎌倉という地名はこの故事から生まれたと言われます。
浄妙寺の動画を御覧下さい。↓

藤原氏の氏神、春日大社の神は鹿島から鹿に乗って来たという社伝。言わば鹿島は藤原氏にとっての故地。そこに鎌足が参詣に向かったのも頷ける。


自家製豆富じ原鎌足

凝固したばかりの豆腐はおぼろ豆腐。これも美味ですが、箱に入れてしっかりと固めた豆腐もしっかり、ずっしりな木綿豆腐です。
絹ごし豆腐はまた製法が違う。

鎌足が生まれた時、鎌を咥えた白狐が現れ、鎌を置いて行ったという伝説。
鎌倉に埋めた鎌槍とはこれか?狐ということから稲荷神社?

豆腐作り、思うよりも難しくないです。手作り豆腐は格別。この豆腐、まだ冷蔵庫の中。どう料理しようかな。

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