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敦盛回鍋肉

「人間五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻の如くなり。一度、この世に生を受け、滅せぬもののあるべきか」
織田信長が好んで歌い、舞ったという幸若舞の敦盛。実はこの部分しか知りません。
それでも、この一節を暗誦しながら料理した記録。


材料

厚揚げ  1丁
キャベツ 1/4
玉葱   1/4
大蒜   1欠け
唐辛子  1本
粉唐辛粉 小匙1
塩    小匙半分
味噌   大匙1

回鍋肉、豚肉とキャベツを豆板醤と甜面醤で炒めた中華料理ですが、私はほぼベジタリアン。豚肉の代わりに厚揚げを使用。
豆板醤ではなく粉唐辛子と鷹の爪使用。甜面醤の代わりに九州味噌使用。
甘い九州味噌ならば、甜面醤より更なる旨味が出る筈。
(本当は豆板醤と甜面醤を切らしていただけです)
厚揚げを盛った和風回鍋肉、敦盛回鍋肉ということで調理と妄想開始。

平敦盛は清盛の弟、経盛の子。笛の名手として知られ、祖父の忠盛が鳥羽院より賜った青葉という笛を譲られたと言われます。
平安時代末期、源平合戦が始まった頃はまだ十代前半。

大蒜微塵切り。

都落ちした平家一門、播磨(兵庫県)の一の谷に要害を築いて、再上洛の機会を窺う。ここは背後は険しい岩山で前面は海。前後の道さえ封鎖してしまえば、堅固な陣地になるという場所。
背後の崖を駆け下りてきた義経率いる軍勢に奇襲され、平家勢は沖に浮かべていた船へと敗走。その中には敦盛の姿も。


玉葱細切り。

そこへ姿を見せたのが熊谷次郎直実。彼についてはこちら。↓

熊谷次郎と敦盛の場面、↑でも書いていますが、リンク先に飛ぶのが面倒な人のために、かいつまんで此処でも書きます。
「そこを行く公達、馬を返して我と勝負せよ」
呼び掛ける熊谷次郎。呼び掛けられた敦盛、武士として逃げる訳にはいかず、馬首を巡らす。
力と経験に勝る熊谷、ついに敦盛を地に組み伏せる。
兜の中の顔を見ると、まだ幼さが残る顔立ち。
それを見てしまった熊谷の手は鈍ります。
前日の戦で熊谷の息子、小次郎は負傷。子が怪我をしただけでも親の自分は案じた。この公達の親も此処で息子が討たれたと聞くと、悲嘆にくれることだろう。


厚揚げを食べやすい大きさに切る。

「逃げなされ」
熊谷はそう告げるものの、敦盛は首を横に振る。
「今、ここで見逃されたとしても、後ろから来る者達に討たれるは必定。そなたにこの首をくれてやる」
敦盛が言う通り、すでに後ろには他の源氏武者が近づきつつある状態。
むざむざ他の者に討たれるよりはと、熊谷も覚悟を決める。
「お名前を」
「我が首を見せれば、知っている者がいるだろう」
こうして敦盛は討たれ、持っていた青葉の笛も共に熊谷の手に渡る。
平家物語でも屈指の名場面でもある『敦盛最後』


キャベツざく切り。

琵琶法師により語り継がれてきた場面であり、能や歌舞伎にも翻案。
そして信長が好んだ幸若舞にも取り上げられました。
この時、平敦盛は十七歳。これは数え年ですから満年齢だと15歳。
現代だと中学生。若くとも武士に生まれたからには、常に死の覚悟があったということか。


大蒜と玉葱を炒める。大蒜の香が立ち、玉葱に油が回るまで。

一の谷、現代の神戸市須磨区に当たり、戦没者を供養している須磨寺を訪れたことがあります。敦盛最後の場面を再現した銅像とか、義経が腰かけて首実見した場所とか、青葉の笛も拝見したことを覚えています。
平敦盛の墓所もこの寺にあります。


キャベツ投入。

15年という短い生涯を終えた敦盛、正に夢幻のような生涯だったかもしれません。幸若舞の歌詞の通りというべきか。
現代では50歳はまだ現役で働いている世代ですが、江戸時代、どうかしたら戦後すぐ位までは人間五十年と言われていました。
幸若舞と同じく信長が好んだ小唄に、
「死のうは一定。しのび草には何しよぞ」というものがあります。
どちらも同じく命の儚さ、人生の短さを詠っているようにも感じられます。つまりはニヒリズム?


キャベツがしんなりしたら、厚揚げと輪切り唐辛子を投入。

人生などは短く儚い、夢幻のようなものでしかない。永遠なるものではないという無常観。
日本語にすると、虚無主義と言われるニヒリズム。
人生などは短い、どうせ死ぬのだし、何をしても無駄なこと。永遠なるものなどは何もない。人間如きが何かに抗っても意味のないこと。流されるままに死を待って日々を費消していくのみ。


唐辛子粉と味噌投入。

というのがニヒリズムと思っている人が多いかと思います。実は違います。本当のニヒリズムというものは、どうせ何も変わらないかもしれないし、意味もないかもしれない。だったらやるだけのことをやってみようということ。そんなことを誰かが動画で言っていたのを覚えています。


いい感じになってきた。

そういう視点から、幸若舞『敦盛』の歌詞を見てみると、違った風に見えてきます。
どうせ何をやっても変わらないかもしれない。意味ないかもしれない。やってもやらなくても変わらないのなら、やってみよう。
凡人ならば、変わらないならやらないとなりそうですが、そこは天才、信長というべきか。或いはひねくれているというべきか。


敦盛回鍋肉

キャベツの甘味が唐辛子の辛みをよく中和。味噌が沁み込む厚揚げも美味。
炒めた玉葱も甘く、血液サラサラ効果もバッチリ。
キャベツからビタミン、厚揚げからタンパク質もしっかりと頂けます。

何をやっても変わらないから、何もやらない。
何をやっても変わらないなら、何かやってみよう。
似ているようでもまったく違う心構え。あなたはどちらを選ぶ?
自問自答しながら、敦盛回鍋肉をご馳走様でした。

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