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辛味噌炒め茄子徳院

今日は節分。鬼の話はこちら。↓

鬼ではなく、今日は怨霊の話をしながら調理することにします。


材料

茄子 3本
ピーマン 2個
味噌   大匙3
唐辛子  1本
粉唐辛子 小匙1
蜂蜜   大匙1
酒    大匙2
醤油   小匙1
黒摺り胡麻 小匙1
油    適量

茄子もピーマンも夏野菜。今は冬なのに手に入る。旬という言葉はなくなりつつある?と言いつつ、好きなので使ってしまいます。
料理のお供の妄想は崇徳院。
日本三大怨霊の一人と言われます。他の二人は菅原道真と平将門。
平将門については以下を参照下さい。↓


茄子は乱切り。

平安時代末期、鳥羽天皇の第一皇子として誕生した顕仁親王が後の崇徳院。
第一皇子であり、母親も藤原氏ということで天皇になることを約束された生まれ。その定め通り、五歳で即位。
現代的な視点から見ると、随分と早いように感じますが、当時は幼帝が当たり前。幼い内に即位。成人する頃には上皇。天皇の父は治天の君と呼ばれ、実権を握り政治を動かす。つまり院政の時代。
鳥羽天皇が院政を行うために即位させられたのかというと、そうとも言えず。何故なら鳥羽の祖父、白河法皇が健在。崇徳の即位も白河の意向?


ピーマンも乱切り。

白河、鳥羽、崇徳という帝王達には実は不穏な話有り。
鳥羽は崇徳を叔父子と呼んで嫌っていたという。実は白河法皇が鳥羽の后と密通して生まれたのが崇徳という話。
それが本当ならば、祖父の子ですから、父の弟、つまり叔父に当たるので叔父子。
真偽の程は定かではありませんが、白河法皇は平清盛の父であるという話もあり、精力的な帝王だったのでしょう。


唐辛子は輪切りにして種を抜く。

白河法皇が崩御すると、鳥羽院政の開始。手始めに崇徳に譲位を迫る。父の意向に従い、崇徳は弟に皇位継承。
その近衛天皇、跡継ぎなくして崩御。崇徳は自分の子を皇位に就けようと図ります。天皇の父でないと院政が出来ませんから。
ところが、これも法皇となった鳥羽に阻まれる。もう一人の弟、雅仁が践祚。この方が後の後白河天皇。
この措置により、崇徳は政治の実権を握る機会は失われてしまう。


味噌、蜂蜜、醤油を予め混ぜ合わせておく。

これだけ崇徳院の人生を阻んできた鳥羽法皇。それでも父親を慕っていたのか、鳥羽法皇の臨終に崇徳院は駆けつけますが、何と面会を拒否されます。
やはり、叔父子の噂は本当で、顔も見たくもないということか?
鳥羽の死後、崇徳院は動きを見せます。


たっぷりな油で茄子を炒める。茄子が吸い込むので油は多めに。

政治の実権、それに皇統を自分の系譜に持って来ることを目指して、武士達を集めて挙兵。後白河天皇側も武士達を集めて対抗。これが保元の乱。
保元元年(1156)に起こった戦ですが、後白河側には平清盛や源義朝という有力な武士が味方。その夜討ちを受けて、崇徳院側は敗北。捕らえられた崇徳院は讃岐(香川県)へ配流。


茄子に油が回ったら、ピーマンと唐辛子を投入。

配流先で崇徳院は仏教に帰依、出家こそしませんでしたが、法華経、華厳経、涅槃経、大集経、大品般若経の五部大乗経を写経。反省と戦死者の供養のためにと都の寺に納めて欲しいと送りました。しかし、後白河は受け取りを拒絶、讃岐に送り返しました。呪詛が込められているかもしれないという理由から。
このことに落胆したか、或いは怒り狂ったか、崇徳院は配所にいること八年にして崩御。


混ぜておいた調味料、粉唐辛子、黒摺り胡麻を投入。更に炒める。

「保元物語」によると、憤った崇徳院は舌を噛み切り、その血で写本に、
「日本国の大魔縁になり、皇を取って民とし、民を取って皇と成さん」と書き込んだとか。そのまま髪や爪も伸ばし放題。最終的には天狗になったとあります。
この話から、三大怨霊の一人ということに。
崇徳院の予言は、源頼朝が実質的な日本の支配者になったことで現実化?


辛味噌炒め茄子徳院

抗酸化作用があるポリフェノール豊富な茄子、ピーマンはビタミンAとCの宝庫。唐辛子の成分、カプサイシンには体脂肪を燃焼させる効果。育毛にも効果があるとか?コレステロール値も下げてくれます。油と共に摂取すると効果的。
味の方も、味噌の甘じょっぱさの奥に潜む辛みが後から追いかけてくる感じ。正にこれこそ追い求めていた味。

崇徳院が怨霊となったという話は江戸時代の文学作品、雨月物語にも登場。怨霊となったという崇徳院への畏れは、明治天皇が即位するまで続きました。明治天皇は即位に当たり、崇徳院の霊を京都に還御。白峰神宮を創建。この時、慶應四年(1868)。崇徳院の魂は約700年ぶりに都に帰れたということに。
又、昭和三十九年(1964)に昭和天皇は崇徳天皇八百年祭に勅使を派遣。

「思いやれ、都はるかにおきつ波、立ちへだてたる 心細さを」
崇徳院が配所で詠んだ歌ですが、激しい怒りよりも悲哀を感じます。
父親、鳥羽帝により様々な妨害を受けて、思うような人生を送れなかった悲哀。たとえ本当は白河法皇が本当の父親だったとしても、それは本人には何のかかわりもないこと。私はそこに悲哀を感じます。写経を突き返されたことにも、怒りよりも嘆きがあったのではないか。
そんなことを思いながら、辛味噌炒め茄子徳院をご馳走様でした。

日本三大怨霊の残りの一人、菅原道真については、いずれ書くかもしれないし書かないかもしれない。ネタ次第ということで気長にお待ち下さい。待っている人がいるかどうかは定かではありませんが。

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