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平将門-ナッツ

アメリカ人の97%がドーナッツ好きとか聞きました。
それを聞くと作りたくなってきた。ということで、オリジナルなドーナッツ作成。


材料

米粉 130グラム
クコの実 適量
ベーキングパウダー 小匙 2
ヨーグルト この容器の半分位。
蜂蜜   大匙 2
砂糖   適量

ドーナッツ、駄目だ。何も思い浮かばん。と思っていたら、ド、将門。ということで平将門を妄想しつつ調理することに。


砂糖以外の材料を混ぜ合わせる。

昔は平将門と言えば、名前を聞くのも恐ろしい人物と思っていました。東京、大手町のオフィス街に将門の首塚があるのですが、移動しようとしたり、壊そうとしたら祟りがあると聞いています。例えば、戦後、進駐してきたGHQが首塚を撤去しようとした所、ブルドーザーが横転、運転手が死亡。
最近の話では、爆笑問題の太田光が首塚の傍で、祟りを馬鹿にしたような振る舞い。後日、様々な不幸が彼に降りかかったとか。
又、帝都物語という小説と、それを元にした映画がありましたが、劇中で平将門は恐ろしい怨霊という扱い。


クコの実倍増。

平将門が生きたのは平安時代中期。延喜三年(903)生まれと言われます。
桓武天皇の血を引く五世。皇位を継ぐ見込みのない皇子は臣籍降下といい、皇籍を離れることがあり、将門の家系もそれに当たります。
関東に下向、下総(千葉県)の佐倉辺りを本拠に開発や開墾に従事。成長した将門は都に上り、藤原忠平に仕えるように。
元を辿れば皇族なのに、臣下の血筋の藤原氏に仕える。複雑な気持ちもあった?
都で官位や官職を得て、出世を夢見ていたかもしれませんが、叶いませんでした。父の良将が早世したため、家を守るために帰郷を余儀なくされます。
それに都にいても、主だった官職は藤原氏が独占。その息がかかっていない者はなかなか浮かび上がれないという現実。


しっかり混ざった。

当時は律令制が崩れ、藤原氏による摂関政治。地方でも都からの監視が届きにくいことから、国司として赴任してきた者やその代理が税を横領したり、上乗せして徴収したりとやりたい放題。
そうした乱れた地方の現実は、帰郷した将門にも降りかかりました。
父の所領が叔父達に横領されていました。それが原因で叔父達と合戦。叔父の一人、国香を討ち取り。
一時は将門は捕らえられたものの、この戦は私戦と見做され、また朱雀天皇元服の恩赦で放免。
残りの叔父達はまだ将門を許さず、攻撃。しかし将門の軍は強く、連戦連勝。武名は高まるばかり。


匙で適度な大きさに取り、油で揚げる。

天慶二年(940)武蔵権守で国守と対立した興世王。不動倉を破り、庶民に米を分け与えていた藤原玄明らが武名高い将門に庇護を求めてくると、将門は彼等を保護。常陸国府からの引き渡し要求を拒否。これにより国府との対立が深まり、ついに戦闘に発展したというのが平将門の乱。
懐に入ってきた窮鳥を殺せないというか、頼られると嫌とは言えないのが将門という人物だったのではないか?
このことが朝廷への反乱と見做され、追捕されることになるとは予期していなかったのではないか?雪山で玉を転がしたのと同じ。坂を転がる内に、玉はどんどんと大きくなり、勢いがついて止めるに止められなくなった?


揚がった。

将門軍は破竹の勢いで常陸ばかりか上総、下総、安房、下野、武蔵、相模と関東八か国を占拠。神託があったとして、将門は新皇を名乗るように。こうした絶頂期に将門に会いに来た人物。
藤原秀郷。俵藤太という名前でも知られる武士。瀬田の唐橋で大ムカデを退治したという伝説もある豪傑。
面会した秀郷と将門、会食。その席での将門のちょっとした行為を目にした秀郷は、将門はとうてい大きなことを為せる人物ではないと見切りをつけて、敵方に回ることに決めたといいます。
具体的に何があったのかというと、食べている時、将門は膝の上にこぼれた飯を拾って食べたというのです。

それがどうした?というところですが、秀郷に言わせれば、こぼれた飯を拾って食べることは誰でもする。誰でもすることをする人物は所詮、大人物とは言えない。新皇などと言われる器ではない。
それでは、そうすれば正解?
こぼれた飯をほっとけばよかったのか?それとも払いのければよかったのか?
誰でもすることをする。つまり普通の感覚を持っているということなので、そういう人物が上に立ったら、どんな国が出来ていただろうか?庶民の痛みがわかる君主になったかもしれないとも私には思えます。


ボウルに砂糖。

将門に最初に殺された叔父、国香の子、貞盛と連合した藤原秀郷。将門軍と激突。因みに貞盛の子孫が後の伊勢平氏、つまり平清盛。
馬の歩みが乱れた時、不運にも矢が額に命中。平将門は討ち死に。


熱い内にドーナッツに砂糖をまぶす。

討ち取られた将門の首は都に送られて晒し首。しかし、その首はいつまでも腐敗せず、目を見開いて、
「我が体は何処、体を繋いで、今一度、戦せん」と呟いたとか。
しまいには、その首は体を求めて関東へ飛んで行きましたが、力尽きて落下。その場に葬られました。それが現在の大手町にある首塚。
こうした話から後々、平将門は日本三大怨霊の一人と言われるようになりました。他の二人は菅原道真と崇徳院。


しっかりとまぶす。

中央政府である朝廷の横暴に対して、自分達の権利や自由を求めて立ち上がった武士達、この構図って源頼朝の挙兵に通じる気がします。つまり平将門は早過ぎた?関東の武士は独立独歩の気風がこの頃からあったのかもしません。それが結実したのが鎌倉幕府。また室町時代には幕府は都にあっても鎌倉府という出先機関がありました。
戦国時代には北条氏が関東に独立したような国作り。そして江戸幕府の成立。ついに今は東京が日本の都。


平将門-ナッツ

普通のドーナッツは小麦粉と牛乳で練った生地を揚げた菓子。そのためかコーヒー等の飲み物と一緒でないと、もそもそして食べづらい。しかし、これは米粉。しかもヨーグルトと蜂蜜を入れているので、しっとりしていて飲み物がなくても美味しく食べられる。
子供の頃、パンやビスケットにレーズンが入っているのが苦手でした。どうにも違和感。しかし、この平将門-ナッツに入れたクコの実は殆ど一体化していて、まったく違和感なし。蜂蜜や砂糖と微妙に異なる甘味がいいアクセント。滋養強壮効果があるクコの実入り、薬膳菓子とも言える。

非業の最後を遂げた者は怨霊となるが、丁重に祀ることで神となるという信仰が日本にはあります。平将門も神田明神として東京の守り神。また神田という地名ですが、これは体が訛ったものとか。つまり将門の体を葬った場所。他にも兜町というのは将門の兜を埋めた場所という言い伝え。こうした話が伝わっているということからも、将門は乱れた地方を正してくれる存在として民衆にも支持されていたのかもしれません。そんなことを思いながら、平将門-ナッツをご馳走様でした。

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