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新じゃがイ亀山社中

春野菜が花盛り。新じゃがもよく出回っています。柔らかく皮ごと食べられる新じゃがを烏賊と合わせて料理しながら、幕末の風雲児と呼ばれた人物の虚実を妄想した記録。


材料

ヤリイカ 1杯
新じゃが 5個
塩麹   大匙3
胡椒   少々
バター  20グラム

新じゃがはやわらかく、皮ごと食べられるのがよい。
ふかしたジャガイモにイカの塩辛を乗せて食べると美味いと聞くことがありますが、塩辛って名前の通りにかなり塩辛い。もう少し柔らかな塩味に出来ないかと思い、塩麹で自作。
イカ、か、亀山社中ということでそこの主だった坂本龍馬について取り留めもなくあれこれと妄想。


新じゃがを圧力鍋で茹でる。

長崎市の高台に、亀山社中記念館があります。龍馬キ〇ガイとして知られる俳優の武田鉄矢が名誉館長。
亀山社中とは土佐を脱藩した龍馬が薩摩などの後援を得て設立した日本初の株式会社。ということになっていますが、実は違います。
幕臣の小栗上野介が設立した兵庫商社の方がそう呼ばれるべき。
小栗上野介については、こちらをどうぞ。↓

商社であったとは言える亀山社中。それを改組したのが海援隊。
社中があったと言われる場所に平成二十一年に開館。元は個人所有でしたが、持主の好意により記念館となり、その直後に見学に行ったことがあります。
受け取ったパンフレットに気になる文言。一言一句まではっきりとは思い出せませんが、
「ここが亀山社中があった地と言われています」とありました。
つまり、はっきりそうだとわかっていないということ。
ホームページをチェックしたら、やはり其処にも同じ記述。つまり何の確証もないのに亀山社中があった場所としている。更に内部には龍馬がよくもたれていたという床柱があったのを思い出します。その床柱だって怪しいということになる。


これからイカを捌く。

似たような龍馬つながりの名所として、京都、伏見の寺田屋があります。
こちらは龍馬の定宿だった所。此処に宿泊していた時、伏見奉行所の捕り方に包囲され、折しも入浴中だった寺田屋の養女、おりょうがいち早く気配を察して、殆ど裸のままで二階に駆け上がり、龍馬に急を告げる。
龍馬は高杉晋作から贈られたというピストルを発砲。捕り方を射殺。しかし龍馬自身も左手の親指付け根を深く切られる重傷。


身と外側を引っ張って外す。

この後、龍馬はおりょうと結婚。薩摩へ日本初の新婚旅行。
さて、その寺田屋ですが、当時の建物ではありません。
鳥羽伏見の戦いの折り、寺田屋の建物は全焼。現在の建物は再建された物。
昔、見学に行った時、おりょうが入っていた風呂桶とか、弾痕だのがそれらしく展示されていましたが、そんな訳あるかい。


軟骨を除いて、皮を剥く。足は先を切って、適当な長さに切る。

好意的に解釈すれば、亀山社中記念館も寺田屋も来てくれるお客様に喜んでもらおうとしている主旨か。しかし、嘘はよくない。
イメージで再現しているのならば、はっきりとそう書くべきではないの?
騙しているのではなく、黙っているだけだということか?詭弁。


輪切り

坂本龍馬という人物についてですが、司馬遼太郎が書いた快男児ではなかったと私は思っています。どちらかと言えば、薄暗い所がある策謀家。
というか、本当は司馬遼太郎自身もあくまでもフィクションだと割り切って書いていたのではないか?だからこそ、彼が書いた小説の題名は「竜馬がゆく」
龍ではなく竜の字を使っていることが、その現れ。


茹で上がった新じゃがを食べやすい大きさに切る。

20年程前、高知の博物館で龍馬が授けられたという北辰一刀流の免状を見たことがありました。長刀の免状。
これが文字通り長い刀なのか、薙刀なのかはよくわかりません。その後、その博物館が閉鎖。一時、免状は行方不明に。
無事に再発見されて、新たに展示されたと聞きます。
坂本龍馬は剣の達人だった。だからこそ、斬られながらも中岡慎太郎を数日後に死亡させる程の重傷を負わせることが出来た。因みに私は龍馬を斬ったのは中岡だと思っています。詳しくはこちらをご覧下さい。↓


バターでイカを炒める。

龍馬を始め、脱藩した浪人達、己の才覚で生き抜かねばならず、藩に戻れば捕まる。それどころか家族にまで脱藩の罪は及ぶ。そうイメージしている人が多いかもしれませんが、これも違う。
龍馬の家族が何等かの処罰を受けた風は見られない。それどころか、龍馬は姉の乙女によく手紙を送っている。自分の動向や居場所がバレる恐れがある手紙をわざわざ送るということは、別に脱藩が問題にされた訳ではない?


新じゃがと塩麹、胡椒投入。

江戸時代、当然ながら現代のような郵便制度はありません。飛脚を頼むとなると最大で現代の価値だと45万円近い価格。何通も出すとなると結構な金額。
これも距離や日数で変動があったようです。
江戸や大坂という都市ではなく、高知という地方では特別便になるかと思われるので、そこそこの金額?
作家の加治将一先生が説いておられるように、実は龍馬の手紙というのは姉に宛てた物と藩に送った物とが混載していたのではないか。
飛脚の料金は藩による着払い。姉に宛てた手紙はカモフラージュで、同封した諸国の情勢を知らせる手紙があった?それは藩に届けられて、読んだ後は処分されて現存しない。つまり脱藩浪人というのは表向きで、実際は藩によって全国に遣わされたスパイではないか。


いい感じに煮詰まった。

藩という軛を嫌って、自由に飛び回ったのは表向き。裏では藩と繋がり、諸国の情報を伝える役割を脱藩者は担っていた?そう考えた方が諸事、辻褄が合う気がする。何の後ろ盾もない龍馬が福井藩主の松平春嶽やら幕臣の勝海舟等の大物と面会出来たのも、裏で手を回した者が存在したと考えた方がすんなりと納得出来る。


新じゃがイ亀山社中

新じゃがはビタミンC豊富。通常のじゃがいもの四倍。レモン1個分とか。
アミノ酸の代謝を支援するナイアシンも含まれる。イカのタンパク質とタウリンも摂取。
塩麹を使ったことで、塩辛のようなきつい塩味ではなく、柔らかな塩辛さがイカによく絡む。皮ごとたべられる新じゃがが微かな甘さを感じさせる。

龍馬は神戸海軍操練所の塾頭と思う人もいるかもしれませんが、これは誤り。龍馬は勝海舟の私塾の塾頭。
勝は土佐藩の老公、山内容堂に龍馬達の脱藩の罪を許して欲しいと頼んだことがありますが、容堂は彼等のことは勝に任せようと返答。
実は脱藩は表向きだったとしたら、容堂は腹の中では滑稽に思った?
一筆書いてくれと頼まれて、容堂は瓢箪の絵を書いて、鯨海酔公と書名。
脱藩の罪を許すなどとは書いていません。はぐらかしているようにしか見えない。
知っているつもりになっている坂本龍馬ですが、謎が多い。まだまだ掘り下げられると妄想しながら、新じゃがイ亀山社中をご馳走様でした。

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