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プリャオン・パ豊臣秀長

2026年の大河ドラマが『豊臣兄弟!』に決まったとか。もう再来年の話かい。鬼が笑うどころか、第六天魔王が笑いそうですな。
ということで主役となる豊臣秀長について妄想しながら、ポルトガル料理を作った記録。


材料

浅蜊    15粒
パクチー  1杷
玉葱    半分
大蒜    1欠け
白ワイン  大匙1
塩     小匙2と少々
オリーブ油 大匙1

天文九年(1540)に尾張中村で誕生した小一郎が後の豊臣秀長。
名前については小竹とも言われますが、思うにこれは父親が竹阿弥だったので小さい竹阿弥ということで呼ばれた綽名?
三歳上の兄が藤吉郎、つまり後の秀吉。
秀吉は弥右衛門の子だったが弥右衛門の死後、母が竹阿弥と再婚して生まれたのが小一郎。つまり異父兄弟。
と言われますが、同父兄弟という話もある。
小一郎が一歩、立場を引いて異父弟と名乗った?
五、六歳の頃に竹阿弥と折り合いが悪くなった兄の藤吉郎は家出。


大蒜微塵切り。パクチーをざく切り。

兄がいなくなった後は大黒柱として農業従事。
いずれは村の年寄になることが小さな目標。そこへひょっこりと秀吉と名乗るようになった兄が戻って来る。
音信不通だった兄は尾張の殿様、織田信長に仕官して出世街道まっしぐら。
ところが元々、武士ではない秀吉には譜代の家臣どころか小者もいない。
頼りになるのは近親者ということで、小一郎をスカウトに来たということ。
兄を助けるために付いて行ったと、よく言われる所ですが彼自身にも上昇志向があったのではないか。
年寄というのは言わば顔役、ここにちょっとした出世欲を感じる。
兄についていけば、一足飛びにかなりの出世が出来ると思ったのかもしれない。何しろ目の前の兄が武士の身分を手に入れている。


玉葱微塵切り。

温厚な人格者とよく言われる秀長ですが、そればかりではない風を感じさせる逸話がありました。
足軽小頭となった秀吉ですが、主の信長に追い使われる日々なので、実質的に秀長が足軽達の面倒をみていた。
足軽達の喧嘩を仲裁した秀長ですが、一方がまだぶつくさ文句を言うと、刀を抜いて、
「いつまでも文句言うなら、これで俺を斬れ」と啖呵を切った。
結構な胆力。


オリーブ油で大蒜と玉葱を炒める。

兄が美濃へ近江へと戦に出向くと、それに付いて行き、戦の矢面というよりも留守居や城代等の裏方仕事を実直に務めた。
それでも長島一向一揆には秀吉の名代として出陣。
秀吉が中国地方で毛利家と戦することになった時も同行。
本能寺の変後、中国大返し、山崎の合戦と兄と共に目まぐるしく行動。
信長の後継者として秀吉が急浮上すると徳川家康との対抗上、信長の次男、信雄と組むことを提案。
やがて秀吉に対面するために大坂に来た家康が宿所としたのは秀長の屋敷。
そこに秀吉が密かに訪ねてきて、明日の正式な対面で臣従を誓ってくれるように頼んだというのはドラマ等でよくある場面。


パクチー投入。

「内内のことは利休に、公のことは秀長に相談すべし」とは秀吉に謁見した大友宗麟が遺した言葉。
四国、九州と平らげていき、秀吉は朝廷から『豊臣』の姓を授かり、弟の秀長もそれを名乗る。聚楽第に後陽成天皇が行幸した時は秀吉以外では秀長だけが豊臣と署名。(もしかしたら兄は僭越と思った?)
現代では姓と苗字は同じものという認識ですが、本来は違います。
姓とは天皇から賜ったもので源平藤橘が基本。
源氏、平氏、藤原氏、橘氏で本家筋の者が名乗る。分家や枝分かれした家が識別のために使ったのが苗字。住んでいる場所(例えば尾張の藤原氏は尾藤)や役職(太宰少弐は少弐)を苗字として使うことが多かった。
わかりやすく言うと、徳川家康は源氏の血を引くと自称しているので、姓名は源家康。
秀吉や秀長も姓名は豊臣秀吉や豊臣秀長ですが、苗字は羽柴。
ついでに読み方も『とよとみひでなが』ではなく『とよとみのひでなが』


浅蜊と白ワイン投入。

兄、秀吉の天下統一の仕上げとなった小田原征伐には秀長の姿はなし。
病気がちになり参陣が叶わず。
天正十九年(1591)に領国の大和郡山城にて死去。享年五十二歳。
病死とはいいますが、死因はよくわかっていない。
『医学天正記』によると、秀長の症状はヒ素中毒に近い。
まさかの毒殺?となると下手人や黒幕は?


浅蜊が開いてきた。

有力者の死にはやはり暗殺説が付きまとう。
秀長が死んで得するのは誰?
家康?だとすれば豊臣家を弱体化させるには秀吉本人よりも裏で支える者を消した方がいいと判断?
豊臣政権内で秀長の政敵になりそうな者は石田三成や千利休?
特に利休は茶人で狭い茶室で一服盛った可能性?
怪しい人物が色々と妄想出来る。
もしかしたら兄、秀吉ということもないとはいえない。
秀吉は身内にも容赦ないことを行う人物。
妹の旭を離婚させて無理に家康と結婚。甥の秀次を切腹に追い込む等。
気になるのが、秀吉はこの頃になってようやく実子の鶴松を得た。
我が子に跡を譲るのに弟が障害になると考えた?

プリャオン・パ豊臣秀長

日本風に言うなら浅蜊の酒蒸しですが、白ワインと香草を使っているのがポルトガル風。
浅蜊は海のミネラル豊富。
パクチーにはベータカロチンやビタミンB1。消化促進や疲労回復効果。
白ワインの風味が浅蜊によく合う。

結果的に秀長の死後、半年程で鶴松も亡くなる。もし秀吉が絡んでいたとしたら勇み足?
秀吉を陰で支えていたと一般に言われ、人格者と思われていますが、もしかしたら秀長にもそれなりの後ろ暗さや野心もあったかもしれない。
例えば映画『首』で描かれたように、
「兄者が死んだら、俺が跡取りだな」とか思ったこともあった?
何となくそれを感じ取った秀吉は危険視して、利休に命じて茶室で一服?
以上はすべて私の妄想です。間違っても大河ドラマではこんなことはやらないでしょう。

それにしてももう再来年の大河ドラマとして題名と主演を発表していますが、大丈夫か?
何しろ今年は大峠。来年には津波が来ると『私が見た未来』でも予言されてます。
2025年は日本滅亡と予言する医師もいる。
無事に2026年はやって来るのか?ドラマなんて作れるのか?製作出来ても私はテレビを持っていないので視聴しませんが。
まあ、そんなことにならないように日本人皆で大峠と呼ばれる災厄を回避したいものです。
そんなことを妄想しながら、プリャオン・パ豊臣秀長をご馳走様でした。


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