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【エッセイ&映画レビュー】聲の形を観て

エッセイを少々💁‍♀️

以前から観たかった作品【聲の形】

まず✋
今回はちょいライトな語り口調で書かせて頂こうと思っております🙇‍♀️

映画を観ることは心の処方箋!
観られる時にガンガン観る私!爆🔥

実は…

超~個人的なことなんだけど💦

ここ3日間で、舌にできた口内炎が超悪化してしまい、痛すぎて喋れない 食べれない状態が丸1日以上続きました😓

昨日は飲み物だけ~、、痩せてまうてー😱

そしてやっと今日プリンをクリア🙌😭
そしてセコマのソフトクリームの上もクリア🙌少しずつ痛みが落ち着いて来た😮‍💨

実はね✋

約4ヶ月前、一年ぶりに帯状疱疹が出てしまったんです、、再発しやすい体質なのかな?😭

元々免疫力が落ちて来ると口内炎が2~3個出来るというわかりやすい体質🫨

ここ数年、春になるとまず前駆症状の神経痛が出てくるんですよね。。

前回は抗ウイルス薬を早めに飲んで悪化こそしなかったものの、やはりかなりの痛みが1ヶ月以上続いたんです💦

(_`Д´)_クッソォォォォォ!!

私は元々身体が弱い、、、

うん、めちゃ弱い😩

noteでは何度か書いてるんだけど、超健康優良児に見える私、、

しかし 実は持病だらけですねん笑笑

おまけに足まで悪い、、
足首関節固定手術までカウントダウン状態🥹
もう満身創痍なんですわ笑

鈍器でぶん殴っても死ななそうなくらい丈夫そうに見えるのにー😅 (例えよ‪𐤔𐤔‬)

まぁ、それも本当の私。

実は今も右半身に痛みが出てきてて
どうかクスリよ効いておくれ、、😭

あ、でも

「なんで私だけ~🥺ウルウル」

「どうせ私、身体弱いから~😢ショボン」

なんて💣💥
クソ💩へなちょこな、後ろ向きなことなど、これっぽっちも考えてませんよ!

んなこと考えた所で丈夫になるわけじゃないし、走れるようになるわけでもない!

あゆさんは強いから…

よく言われることなんだけど🙄

あのね

最初から強い人なんていませんよ?

何度も何度もやられ負けてまたやられて、それでも戦い続けて強くなったんですっ😤

そしてラスボスと戦えるくらいの強さと
スキルを身に着けたわけですよ?🔥(何の話?w)

かと言って所詮私も生身の人間。

シレッと一撃でやられることもある。。💀

クソッ💩
クッパめ💢(マリオだったんかい👋)

おっーと💦話が逸れました🫡

まぁ、こんな体調の時に観たからかな。
つくづく思ったことが

ありのままの自分をさらけ出すことって、とっても勇気がいること“だなって。

特に“病気“や“障害““生きずらさ“なんてセンシティブな部分は、相手が受け入れてくれる場合もあれば、引いちゃうこともある。

「で?なに?同情されたいの?」

「理解しろって それ押し付けじゃね?」

なーんて言われちゃったりね。

快く思わない人だってたくさんいる。

受け取り方って人それぞれだし、それはどうしようもないこと。

だからといって、誰かに気に入られようとして無理したり、気を使って相手に合わせてばっかいると、自分が自分でなくなっちゃうんだよね。

誰かに自分を受け入れてもらうことより、まず一番に受け入れなきゃいけないのは自分自身なんだと私は思う。

そんなことを改めて強く感じた【聲の形】

映画は心の処方箋!

是非、たくさんの人に観て欲しいなぁ😌

この作品、実は内容はあまり知らなくて、ただテーマ的には軽くはないんだろうとは思ってたんですよね。

まさに想像通りではだったけど、色んな意味でとても良い作品だった。

そしてこの作品、京都アニメーションで作られたもの。

私の大好きな【ヴァイオレットエヴァーガーデン】も京アニの作品なんだよね。

どおりで見終わったあとの心に残る作画の美しさと言ったら、、☺️

「京アニ」らしい作品でした😌

聲の形ってどんなお話?
(※ネタバレありあり)

主人公の青年はバイト先をやめ、身の回りの物を全て売り払い、バイトで貯めたお金を銀行で全額おろし、「お金返します」と書かれた包みを寝ている母の枕元に置く。

そんなシーンから始まります。

その後。

橋の上が飛び降りようとする青年。

amazon prime videoより

そしてシーンは小学生時時代へ。

出会い

ある小学校の6年生のクラスに“西宮硝子“という女の子が転校してきました。

彼女は聴覚に障害があり、補聴器を着けていても、ちゃんとは聞こえず、また話すことも ほとんども出来ません。

クラスメイトの前で挨拶するよう担任に促された硝子は、“筆談ノート“を手に取り、文字でクラスのみんなに挨拶をしました。

「はじめまして、西宮硝子と言います」

「私は皆さんとこのノートを通して仲良くなりたいと思っています」

「どうかわたしと話す時はこのノートにお願いします」

amazon prime videoより

「耳が聞こえません」

“聴覚に障害がある“

“話すことが出来ない“

そんな硝子に対し、戸惑うクラスメイト達。

硝子が転校してきたことで、クラスの中で何かが変わって来ました。

”硝子を受け入れようとする生徒”
”受け入れられない生徒”
”黙ってみているだけの生徒”

そして

いじめる生徒

そんなクラスメイトの中にこの話の主人公で冒頭に出てきた青年“石田将也“というやんちゃな男の子がいました。

将也は彼女に興味があるように見えましたが、硝子をからかったり、悪口を言ったり。

やがて、エスカレートしていじめへと発展💦
硝子の高価な補聴器を何個も壊したり💦

ある時、将也は硝子の耳から補聴器を無理やり引き抜き、耳に怪我をさせてします。

その様子を見ていたクラスメイトは

「お前やり過ぎ」

周りはそう言い始めました。

ある日、硝子の母親からの訴えでクラスでいじめがあるのではと校長から話があり、担任は将也に対して怒鳴り、焦った将也は硝子へのいじめを認めました。

将也は

他にもいじめてたやつがいる

と訴えますが、クラスメイトは

「石田がやった」

と彼一人が悪者に。

償い

いじめる側だった将也は一転いじめられる側に。

それから硝子をいじめていた他の同級生は、将也の机に悪口を書いたり嫌がらせを繰り返していました。

amazon prime videoより

それにいち早く気付いた硝子は、将也に気付かれないないよう、早く学校に来て将也の机に書かれた落書きを拭いていました。

将也を本当に心配してくれていたのは自分がいじめていた硝子だけ。

しかし将也は素直になれず、彼女と分かり合えないまま彼女は転校してしまいました。

将也へのいじめはその後も続きます。

自分がいじめられる側になったことで初めて、硝子をいじめたことを後悔し、そんな自分が嫌になった将也は自分なりの償いをしようと決めました。

卒業迄の間、将也に対してのいじめは変わることなく続き、彼は孤独なまま小学校を卒業することに。

そして冒頭に出てきたシーンへ。

彼は橋から飛び降り、死のうと決意。

死ぬ前のケジメのひとつとして、母に弁償させた補聴器のお金を返し、手話を覚え、以前拾った「筆談ノート」を渡しに硝子のもとへ会いにゆきました。

2人は再会。

将也は手話で

「友達になって」

と無意識に硝子に手話で伝えていました。

翌朝。

死のうとしてたことを見透かしていた母に問い詰められ将也は

死ぬのをやめます

と母親に約束をしました。

橋から飛び降り、死のうとしていた将也。

将也は中学時代を思い返します。

かつて仲良くしていた友達が

あいつ いじめっ子だから近づかない方がいい

と同級生に話していました。

「自分犯した罪はそっくりそのまま自分に跳ね返る。その罪を背負い、罰を受ける必要のある人間である」

そう思った将也は孤立したまま中学時代を過ごし、やがて高校生になりました。

彼はもう、同級生の顔すらまともに見れなくなっていました。

amazon prime videoより

そんな学校生活の中、あるきっかけで、長束くんという友達や、西宮硝子の妹である西宮結絃と親しくなり、硝子とも打ち解けていきます。

amazon prime videoより

ある日硝子が小学生時代に引っ越してしまった友達“佐原“の連絡先を知りたいと将也にお願いしました。

それがきっかけとなり、かつてのクラスメイトと繋がるように。

初めは戸惑っていた将也でしたが、次第に将也の周囲には人が増えていきます。

ある日一緒に遊園地へ遊びに行くことになりました。

amazon prime videoより

しかしこれがきっかけとなり皮肉にも関係はこじれだします。

かつてのクラスメイト“植野直花“が将也をいじめる側に寝返ったクラスメイトと仲直りをさせる為偶然を装い将也に会わせました。

また直花は硝子と二人で観覧車に乗ることに。

直花は観覧車の中で

小学生時代、将也がいじめられる側になり辛い思いしたのは硝子が原因だった

と硝子を責めます。

結果、忘れかけていた小学校時代のいじめ問題を蒸し返される形となった将也は

「全部俺のせいだ」

せっかくみんなで集まりましたが、クラスメイト達に向かって当時の思ってた本音ぶちまけみんなを責め立ててしまいます。

再び彼のもとからみんなが去って行きました。

そして将也もまた再び周りの人を避けるように。

ただ、硝子や結絃との関係だけは続いていました。

私さえいなければ

将也と硝子は二人きりでで出かけた時

私といると不幸になる

ふと そんなことを言う硝子

将也は硝子の母親の誕生日を一緒に祝ったりと少しずつ打ち解けていました。

ある日将也は花火大会に西宮家と観に行くことになりました。

花火を一緒に観た後、硝子は勉強があるからと急に家へ帰ります。

すると、結弦に“忘れものを取ってきて“と頼まれた将也が硝子の家に行くと、家に戻っていた硝子が部屋のベランダから飛び降りようとしていました。

慌ててた将也は間一髪硝子を腕を掴み助けましたが、引き上げたその反動で将也自身がベランダから落ちてしまいました。

なんとか一命をとりとめた将也。

硝子は自分のせいで将也の幸せを奪ってしまったと思い、死のうとしたことを皆に謝って周りました

やがて回復した将也は硝子はいつもの橋の上で再会。

硝子は“将也の幸せを自分が奪ったと自分自身を責め、死のうとした“

そう打ち明けます。それを聞いた将也は

生きるのを手伝って欲しい

と硝子にお願いしました。

彼もまた硝子と同じく“自分さえいなければ“そう思っていたから。

将也は自分の学校の文化祭に一緒に行こうと硝子を誘いました。

学校では将也の親友となった永束君や、かつてのクラスメイト、友人達と顔を合わせます。

その時、将也がベランダから落下したのを救け出してくれたのが友人達だったと知らされます。

集まった友人たちと共に文化祭を回ってくれるようお願いする将也。

amazon prime videoより

学園祭の人混みの中、顔を上げ周りをゆっくり見回すと、今まで見えていなかった人の顔が、聞こえていなかった声が 、将也の前に鮮やかに広がりました。

amazon prime videoより

生きる資格がないと思っていた
将也の目に映ったもの

それは

生きてもいい世界
生きたいと思える世界。

将也はやっと自分を許すことが出来たのでした。

感想

私自身、小中学生だった頃に思いを巡らせながら観た映画でした。

この作品は「障害」「いじめ」「差別」「自死」「友情」「生きる」「許容」等など本当に色んなテーマが詰まっていたと思います。

小学生だった頃。

昨日まで仲良くしていた友達に突然“無視される“そんなことがありました。

まるで私が目の前に存在しないかのように、視線すら合わせてもらえない、そんなことがありました。

その時は何が原因で無視されたのかが分からず、昨日まで当たり前に楽しく過ごしていた時間や居場所が突然無くなったことは本当に辛かったし悲しかった。

後日、私を無視していた数人に放課後呼び出され言われたのは、私がリーダー格の子を「バカにした」という理由でした。

当時、大阪に住んでいた私。
考えてみると話の語尾に

「アホちゃうか~」
「○○ほんまアホやな~」

とアホアホマン(いやアホアホウーマンw)ばりに“·アホ“と連呼していたように思います。

まぁ口ぐせみたいなものだったんですけどね。

でも、言われた方はすごく嫌だったんでしょうね。

そしていきなり無視…
みんなでガン無視ですよ。

結局、謝ったことで仲は元に戻ったものの、次は違う子が“無視“のターゲットになっていました。

子供の頃って本当に残酷だったなって思います。

大人から見れば「そんなことで?」って理由で
簡単にいじめに発展することも珍しくない。

ましてや、硝子のように耳が聞こえない、話せないとなるといじめの対象になりやすい。

小中学生の頃って友達が全てみたいな所ありますよね。

私は転校を小学生で1回、中学で2回経験しました。

「転校」って、自分を受け入れてもらえるのか、友達になれるのか、それだけでとても不安なもの。

ましてや、硝子は「耳が聞こえない」「話せない」どれほど不安だったのかと想像がつきます。

すぐ「ごめんなさい」と言ってしまう硝子。

それは嫌われたくないという気持ちの現れだったのでしょう。

そんな硝子を

受け入れようとする子もいれば、受け入れられない子、見てるだけの子もいる。

本当は障害があろうがなんだろうが関係ないはず。

でも現実はやっぱ違うんですよね、、。

違いがあって当然と受け入れることは大人であっても難しい。

それに人には相性の良い人も入れば、良くない人もいます。

そこで大切になるのが「許容」だと思うのです。

ちなみに許容とは

本来は許せないことを、大目に見て許すこと。 許して認めること。

要するに「こういう人もいるんだ」と受け止めることだと思うんです。

受け入れるのが無理ならそれでだけいい。

何も無理に好きになる必要はない。

違いを認めるという事はそういう事なのかなと。

それは他人に対してだけでなく、自分に対してだってそう。

どんな自分もまず受け入れる。

例えば私。

持病はあるし一生治らない。
足も悪くて走ることも出来ない、足は事故のせいで傷だらけ。

「あぁ健康になりたい」
「傷のない綺麗な脚になりたい」
「思いっきり走りたい」
「スキーしたい!スノボやりたい!」

全部無理🙅‍♀️

努力したって変えられないことはある。

それを嘆いて何になる?
変わるの?

そんなこと嘆いてるくらいなら
出来ることを探す!

世の中には色んな障害や生きずらさを抱えてる人がいる。

それを全て理解しろとは言えないけど、「許容」することはできるんじゃないかな。

そもそも、これが出来れば普通とか、これが出来ないから可哀想なんて、決まりも答えもないこと。

「これが私」
「それがあなた」

そう思えるだけでずいぶんお互い生きやすくなると思うんだけどね。

最後に

この作品のタイトル【聲の形】

なぜ【声】ではなく【聲】なのか。

調べてみると…

題名を「聲」の字にしたのは、調べた際にそれぞれ「声と手と耳」が組み合わさってできているという説があることを知ったためであることと、「気持ちを伝える方法は声だけじゃない」という意味を込めて「聲」にしたという。

Wikipediaより

気持ちを伝えるのは声だけじゃない

そういう意味では、私の書くnoteも「聲」のひとつかもしれません。

声に出来なくても

時には「行動する」ことで
時には「文字」で表すことで。

そして想い願うのもまたひとつの

聲の形

なのかもしれません。

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