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【エッセイ】天使と悪魔

ども!

早くも6月後半。

過ぎて行った月日の長さと、過ぎて行く時間の早さに、時々心が追い付かなったりしませんか?あれ?私だけ?💦笑

さて、今回のタイトル【天使と悪魔

『え?何そのタイトル、あゆさんダイジョブ?』なんて思いました?笑

実はこれ、SEKAI NO OWARI が2010年にリリースした曲のタイトルなんです。
当時ドラマの主題歌に起用された曲だったそうですが、、、、
あゆさん当時は全く知りませんでした。
アハハハ😅


セカオワは前から作業中によく聞き流していて、深く聴き入ったことはなかったのですが1年くらい前から、ふとポップな曲調に相反したメッセージ性のある歌詞が多くの曲にあることに気が付き、それからよく聞くようになりました。

SAKAI NO OWARI って?

セカオワは4人組の人気バンドで初代リーダーであるFukaseは、シンガーソングライター、ミュージシャン、俳優、絵本作家とマルチに活躍しています。

ちなみにセカオワの楽曲は多くをFukaseが手掛けています。

今回のタイトルでもある【天使と悪魔】

まず歌詞を見て頂きたいと思います。


********************

天使と悪魔


作詞・作曲 Fukase

「いじめは正義だから悪をこらしめてるんだぞ」

そんな風に子供に教えたのは僕らなんだよ

大人VS大人の正解・不正解のバトルTVで子供らに教える

「ダレが”間違って"るか」

正義のヒーローは悪党を倒すものだと
子供はTVを見て思う

「悪は滅ぼさなきゃね」

もし僕が正しくて君らが間違いなら僕らは戦う運命にあるの?

僕らはいつも「答」で戦うけど
2つあって初めて「答」なんだよ

悪魔と天使の世界であちらが正しいとか
こちらが間違ってるとか分からないんだ

「悪魔と天使」僕らがどちらなのかなんてさ
解るはずもなければ解りたくもない

正義が支配する最悪な世界では
マジョリティーこそが「正しい」と
みんな「間違える」!?

「正義」を生み出した神様聞こえてますか?
あんあものを生み出したからみんな
争うんだよ

戦うべき「悪」は自分の中にいるんだと
「世界」のせいにしちゃダメだと
僕はそう思ったんだ

何かを変えるってことは自分自身を
変えるということとほとんど同じなんだよ

「僕ら」が変わるってことは
「世界」を変えるということと
 ほとんど同じなんだよ

悪魔と天使の世界でこちらが正しいとか
あちらが間違ってるとか解らないんだ

「賛成」と「反対」の間に
「答」が生まれればいい

正しさを主張するだけじゃ
「答」じゃないんだ

否定を否定するという僕の最大の矛盾は
僕の言葉

全てデタラメだってことになんのかな?

*******************



歌詞だけ見るとどんな曲かな?って想像つかないかもですが、曲調は想像超えてポップです😅

あゆさん、お風呂で何となく聞いてたんですが、歌詞がふと耳の入って思わず頭に泡が乗ったまま手を止め聴き入ってしまいました💦笑

え、スゴイ!!!!

今までも彼の曲で何度も心動かされたことはありましたが、今回はまた違った意味で激しく心が動きました、、、。

天真爛漫な子供のような部分、触れたら壊れてしまいそうな繊細さ、そんな彼の人間性が垣間見えるようで、歌詞を見ているとそんな彼の一部がわかる気します。

正義とは

【天使と悪魔】にこんな歌詞があります。

「いじめは正義だから悪をこらしめてるんだぞ」
そんな風に子供に教えたのは僕らなんだよ

大人VS大人の正解・不正解のバトル
TVで子供らに教える「ダレが”間違って"るか」
正義のヒーローは悪党を倒すものだと
子供はTVを見て思う「悪は滅ぼさなきゃね」

天使と悪魔より

先日、ある方とお話をしている時にこんなことがありました。

話題は某芸能人が薬物所持で逮捕されたことについてでしたが、その時に何気に言った言葉のいくつかが私の心の中で強く引っ掛かりました。

『芸能界は甘いんだよ』

『保釈金を出せば出て来られるなんておかしい』

『犯罪(薬物等)を犯す奴なんて許しちゃダメだ』

『犯罪起こすような奴はどうせ○○障害とかなんだよ』

『そういうやつが犯罪を犯すんだ』

…これはごく一部ですがそんなことを言っていました。

私にとってその方はお客様。
なので本来、私はお話を聞く立場にいます。
長年接客業をしているので今までもありとあらゆる方とお話してきました。

基本的にお客さまのお話を必ず肯定することは無くても、少なくても否定をすることは基本ありませんし、冗談とそうじゃない境界線も区別し感じ取ることは得意な方だったと思います。

しかし、そのお客様の発言があまりにも自分本位の考え方であること、偏見を持っていることに自分が気が付いてない事、人の気持ちになって考えることができない事にすら、全く気が付いていない事、そしてあらゆる障害や生きずらさを抱える人に対し、軽々しく『そういうやつが犯罪を犯す』などと言った言葉が私に心の中の何かに激しく触れたことで、お客様という立場ではありますが、そのことに対し憤りを感じ強く抗議しました。

なぜ、私がお客様という立場を超えて抗議をしたのか。

その方を見ていて思うことは、自分の中の”正義”が世の中の大半の人が考える『正義』だと思って信じて疑わない事。

自分で見たもの、聞いたものが全て。
それが正しいものなのか、ソースを調べることもせず、根拠もなく信じ切っていることは怖いとさえ思いました。

そしてその方は

”自分は犯罪を犯すような人間じゃない=正しい=正義”

”犯罪を犯してしまった人=悪=ダメな人間”

そう言っていました。



では私にとっての”正義”とは何なのか。



少なくてもそれは悪党を倒す事でもなく、誹謗中傷することでもない。

ましてや心無い言葉で人を傷つけることでもない…。


マイノリティとマジョリティー

【天使と悪魔】の中にこんな歌詞があります。

正義が支配する最悪な世界では
マジョリティーこそが「正しい」とみんな「間違える」!?
「正義」を生み出した神様聞こえてますか

あんあもの生み出したからみんな争うんだよ

天使と悪魔より

マジョリティーとは『多数』『多数派』という意味。
反対に日本ではマイノリティの意味は『少数』『少数派』ではなく『社会的少数派』をさします。

前回のエッセイにも書いたんですが、世の中には『善と悪』『白と黒』『マイノリティーとマジョリティ』なんでも二つに一つの答えを出そうとする人がいます。

でも私たちが今生きてる世界で何が正解で、どちらが正しくて、そしてマジョリティの思考はいつでもスタンダードなのか。


あなたの見聞きしているものは本当の『正義』ですか?

先ほど話したお客様の言った言葉。

犯罪起こすような奴はどうせ○○障害とかなんだよ

その人の中の『正義』はマイノリティと呼ばれる人に対しての身勝手な『偏見』で、容赦なく傷付けていることに気が付かない、指摘しても自分の中の正義を正当化しようとする。

ただ、これは私の目の前で起きたことで、その人が誰なのか、どんな人間なのかをある程度分かっているからまだマシだと思うんです。

質(タチ)が悪いのは目に見えない、どこのだれかもわからない誰かが自分中の『正義』を振りかざし、全く関わりのない誰かを平気で傷つけてしまうこと。

そして傷付けておいて傷付けた自覚もないこと。その行為が相手を追い詰め時に死に至ってしまうことだってあるってこと。

例えその誹謗中傷がマジョリティー側のものだったとしても、それが正義で、正解でそれが正しいなんてわからないのに。


マイノリティという括り


そもそもマイノリティという括りって世の中に必要なんですかね?

マイノリティって色んな”少数派”と言われる人たちに使われますがどんな種類があるか知ってますか?

  1. 左利きやハーフ

  2. 性的マイノリティ(セクシャルマイノリティ)

  3. 貧困層

  4. 障害や病気を抱える人

  5. 少数民族(エスニックマイノリティ)

  6. 宗教的なマイノリティ

  7. 言語的なマイノリティ
    日本固有の言語(方言・琉球語・アイヌ語など)

  8. 外国から日本にやってきた日本語が不自由な人達


ザっと挙げてもこんなに。


今挙げた中にセクシャルマイノリティとありますが今話題のLGBTQも大きな意味合いで含まれますが、最近LGBTQ法案が成立、この法律は即日施行されました(6月16日)よね?

性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する法律。

引用元:日本経済新聞

そもそもなんですけどね、これってこの日本に於いて法律まで作らなきゃいけないような事だったんでしょうか?

あゆさん、トランスジェンダーやゲイの友人もいました。

では、小学生の時からからそういった人達への理解などを教わっていたかというと当然そんなことはありません。

なんでも『昔が良かったぁ~』なんて考えは毛頭ありませんし、でも昔はいい意味で『マイノリティ』なんて言葉も括りもなかったわけですよ。

でも、いたんですよ、昔からマイノリティと呼ばれる人は。

今でいう貧困層に当てはまる家庭の友達、身体や心に障害を持った同級生やハーフの子。

大人になればLGBTQの友人。

そして子供の頃からTVで活躍してるトランスジェンダーのタレントさんとか見てましたよね?

では、それをどう受け止めていたかというと自然と受け入れていたんですよ。『あぁ、そうなんだね~』って。

まぁ、マイノリティとされてる側の人の中には差別を受けたり不当な扱いを受けた人だって当然いるとは思います。

かといって、SDGsの17の目標にまで掲げるって、それってそういう人たちを逆にカテゴライズして括る必要ってあったんでしょうか?

それって逆にわざわざ差別を生み出しているように見えるのは私だけでしょうか?

そして、より混乱を生み出してしまうような気がするんです。

変えるということ

戦うべき「悪」は自分の中にいるんだと
「世界」のせいにしちゃダメだと僕はそう思ったんだ

天使と悪魔より

何かを変えるってことは自分自身を
変えるということとほとんど同じなんだよ
「僕ら」が変わるってことは「世界」を変えるということと
ほとんど同じなんだよ

天使と悪魔より

Fukaseの歌詞は本当深いなぁ。。。

何かを変えるってことは自分自身を変えることとほとんど同じ

私、いつも思うんです。

何かを変えられるとしたら、その方法は自分が変わること』だって。
自分が変わることで変わった自分を違った目で相手が見るようになる

そして自分が変わることで、自分を取り巻く世界も違って見えてくる


冒頭に書いたお客様の話に戻りますが、悲しいかな世の中には人の気持ちを思いやれない人、自分こそが『正義』だと思ってる人もいます。では、そういった人に対しどう接したらいいのか。

先ほど書いたように自分が変わることで相手が変わるでしょうか?

これは私個人の考えですが、変わりたいと思ってる人なら自分が変わることで相手も変わるかもかもしれません。

でも『なんで変わらなきゃいけないの?』『変わる必要なくない?』という
考えに人には関わらないのが一番と思います。

みんながみんな分かり合えるなど あり得ないことですからね。

悪魔と天使の世界でこちらが正しいとか
あちらが間違ってるとか解らないんだ
「賛成」と「反対」の間に「答」が生まれればいい
正しさを主張するだけじゃ「答」じゃないんだ
否定を否定するという僕の最大の矛盾は
僕の言葉 全てデタラメだってことになんのかな?

天使と悪魔より

正しさを主張するだけが『答』じゃない。

賛成』と『反対』の間に答えが生まれればいい。

違いを受け入れる。
日本人は本来そういった寛容さやアイデンティティを持っていて、それは変える必要も 変わらなくてはいけないものでもないと思うんですけどね。

最後に

SEKAI NO OWARI のFukaseは10代の頃にADHD(注意欠陥・多動性障害)であることを自ら公表しています。

彼はADHDを抱えていても才能に溢れた人です。

でも学生時代にはパニック障害や強迫性障害などで入院するほど苦しんだ経験も持つ人です。(現在は寛解しています)

繊細な神経を持つ故に大変な思いをした彼だからこそ、彼の書く歌詞と世界観は本当に素晴らしい。


昔は『落ち着きのない人』『忘れものの多い人』今思えばそう言った個性を持った人って普通に周りにいましたよね。


発達障害者支援法、障害者自立支援法は2000年以降に施行され、2013年に診断基準が改訂されましたが、これを見てもまだまだ歴史は浅く認識されるようになって間もないとも言えます。

それ故に、間違った理解や認識で差別や偏見の目で見られることもまだまだまだ少なくはありません。

冒頭に書いたお客様が本当、いい例です。

私の身近には発達障害の人もいます。生きづらさを抱えて生きてる人もいます。

そして私自身も生きずらさを抱えて生きている一人です。

発達の偏りがあることで、大変なこともあります。でもそれは障害があったって無くたって人には得手不得手があるように、個性の一部だと思うんです。

そう言った違いを許容し受け入れることこそがいま最も必要なことであり、その根本は親や学校や地域が育んでいくものだと私は考えます。

法律が出来たから差別が無くなるわけじゃない。

大切なことは自分に常に問い続け考えること。

考えることをやめた時、人の心の成長は止まります。
そして考えること、自分に問うことをやめた時人は頑なになります。

そして頑なになった心は人の思いや考えを受け入れられなくなります。

そして、頑になったことで周囲から理解が得られなくなり、やがて自分の周りから人が去っていき、気が付いたらもう、孤独になっているかもしれません。



世の中から差別や偏見は無くならないかもしれない。



でもあなたの中の天使と悪魔は手を繋でいて欲しい。

手を繋ぐこと、受け入れること。

その間にきっと


答えは生まれると思うから。


そう心から願うばかりです。



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