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この世界の片隅で

今この瞬間、
灼熱のお日様のもとを歩いている人もいれば、積もりに積もった雪の上を歩いている人もいる。
朝が来て1日がはじまる人もいれば、1日が終わって今から寝ようとしている人もいる。

 

世界は広い。
それは、交通手段が発達したこの時代であっても、飛行機を使っても日本から数日かかる場所もあるほどに。

それでもわたしは懲りずに旅に出続ける。
そこにはきれいな絶景を見たいという欲求や、
世界の美味しいものを食べたいという好奇心、
世界を知りたい探求心…。
そんないろいろな想いがあるけれども、きっとわたしが旅に出る一番の理由はこの広い世界を少しでも狭くしたいから。

なにも、物理的にいろいろな国を近づけようとしているわけでも、交通手段をもっと発達させようとしているわけでもない。

世界を狭くするというのは、わたしの中での世界との距離を縮めてくこと。
昨日まで知らなかった国を、その国の人を、身近に感じること。

 

旅ごときでそんなことができるか。

そういわれてしまうかもしれない。
それでも、旅した国は、昨日まで名前だけしか知らなかった国は、旅をすることで自分の中で「名前だけ」以上の意味を持つ。
旅をした国で起きた嬉しかったこと、悲しかったこと、感動した絶景、優しくしてくれた人。
そんな思い出たちが、まるで無色透明な水の中で色水がゆっくりと広がっていくように、ふわりとわたしの中で暖かさを伴って広がっていく。

旅した国で起こった出来事がニュースとしてテレビで流れているときには自然と耳を傾けるようになったり、
旅先で出会った訪れたことのある国の人に親近感を抱いたり。
そうやってわたしの中での世界との距離は少しずつ近くなっていく。
頭の中で描いている地図が日本地図から世界地図になっていく。

「ただいま」を言える場所を、地元の福岡だけでなく、生まれ育った日本だけでなく、もっともっと世界のたくさんの場所に作ってく。
そして、そんな場所に戻って心の中でそっと「ただいま」を伝える。

きっとそれがわたしが旅をする理由。
いつまでも旅を続けてしまう理由。
そして旅が好きな理由。

 

「この世界の片隅で」

いろいろな国を旅して初めてこの言葉が実感を伴って自分の中で溶けて広がっていく。
わたしが今いる場所はこの世界の片隅に過ぎない、と。
わたしはこの世界で点にも満たないぐらいのちっぽけな存在にすぎない、と。
旅は残酷なほどに潔くこの事実をわたしに実感させてくれる。

だけれども、きっとこれからもっとたくさんの国を旅していく中で、まだまだ知らない「世界」の多さに圧倒されつつも、だんだんと自分の中での「世界」が小さくなっていく。
一見相反するような2つの感情が、交わりながらも、それでいてきれいにそれぞれが形を保ちながら、背筋をしゃんと伸ばしてわたしの中で立っている。

 

世界は広い。

それでもそんな世界を少しだけ身近にすることはできる。
旅はあくまでも1つの手段に過ぎないし、旅をしたからといって、その国を必ずしも身近に感じることができるかというとそうではない。
それでも、旅を続けることで昨日まで赤の他人だった「世界」がわたしの中で少しずつ身近になっていくのは間違いない。

 

きっとわたしはこれからも愚直に旅を続けていく。
もっとたくさんの国で、もっとたくさんの景色を見て、もっとたくさんの人に出会うために。

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