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死んだ人の後に残る人達。

知り合いのバリスタさんが亡くなった。
事故なのか自殺なのかは隠されている。

"ここ"から居なくなってしまうんじゃ

ないかと、
思った時があって、
その言葉は
「もっとコーヒー淹れていたかったなぁ」

ただ、この発言だけ。

不思議とその言葉を聞いたとき、
私は寂しさと焦りを感じたのを覚えている。

何処に行くの?
もう終わりにしてしまうの?

やりたいこと、これから前に進んでいく人だと
てっきり思っていた。
けど同時にその人は「30歳になるまでには絶対に死にたい」
とも言っていた。

その発言に対して周りは冗談だと感じていた。
けど私は、その似た気持ちが自分にもあって密かに共感していた。

「30歳を超える自分なんて想像できないし、
したくない」と言っていたその人。

それでも、その人は
その言葉をかき消すくらい色んな事に挑戦していた。

勤めていたカフェをやめて、
責任者という立場を捨てて独立をして
自分が淹れるコーヒーを飲みに来てくれる人を
笑顔で招いていた。

楽しそうに笑う姿の裏には、
何を隠して苦しんでいたのだろう。

何も分からなくなるくらい何かを抱え込んでいたの?

自殺なんて、自分勝手で
自己中心的で残された人の事を考えてない
エゴな死に方だ。

けどそれでも、
私はそのバリスタさんが好きだった。

いつでも自分がカフェにいくと気づいてくれて、
「内緒ですよ」って言いながら
美味しく抽出してくれたエスプレッソを出してくれた。

それが本当に、
今まで飲んだどのエスプレッソよりも美味しくて。
「美味しすぎるんだけど」
「でしょー?」

なんて笑いあっていた。

何があったかは、もう
本人が居ないからわからない。

誰にも分からない。

ただ寂しいよ。
自分が知っている人が居なくなるのは寂しいよ。

生きる方法より、
死ぬ方法を選んでしまった貴方は
今どこで何をしているの。

今度、そっちで会えたら話聞かせてよ。
美味しいエスプレッソ飲ませてよ。

伝えたい事を、ためらっている人がいるなら
伝えてほしい。

気持ちはいつ届かなくなるか分からない。
伝えるのは怖い。

けど、聞いて。
伝えられないで別れる方がもっと悲しい。

そう思うんだ。

自分の気持ち、伝えられているかな。

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