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まあ、なんとなく【完】

思っている以上に母親だった

大号泣しながら本当のことを母親に告げた。私は母親から罵られると思っていた。が、予想外の返事が返ってきた。「そうだったん。まあ、そんな気もしたけど、それであんたはどうしたいん?」本当にまさかだった…。私が離婚するまで待つというと、「そうしたいならそうしんさい。お父さんには私の口からは言えんから自分の口から言いなさい。」と。母親のまた知らない一面を知った瞬間だった。私が思っていた母親よりも母親はもっと母親だった。

立ち会い出産

立ち会い出産をしたい、と言っていた。私は絶対に嘘だろうと思いながらもやっぱり来てくれるという気持ちが嬉しく最後の手綱のように信頼して待っていた。当日は奇跡的にも土曜日、さらに予定日前日に破水した為東京から朝一の便に乗れば間に合った。子供の計らいなのだろうか?と思いながら彼に連絡をした。が、彼からの返事は一向に来なかった。陣痛で苦しむ中、何度も連絡をした。それでも彼から連絡はなかった。惨めな気持ちと痛みとで押しつぶされそうになりながら耐え忍んだ陣痛だった。

生まれた我が子

やっと連絡がきた、と思った時にはもう私がいきみのがし地獄の最中だった。今更来られても門前払いになる時間帯。コロナ禍だった為出産しか立ち会いができず、絶対明らかに意図的にこの時間に連絡してきている…と思いながら、この時は本当に腹が立った上に信頼した自分が情けなかった。が、生まれてきた我が子の可愛さに全てが吹っ飛んだ。子供が私の全ての負の感情を吹っ飛ばしてくれたと言った方が近いのかもしれない。

ポロシャツに尖った革靴、メガネの大ださ男

産まれて1ヶ月が経ち、やっと彼が会いにきてくれた。引っ越してからというもの一度も会うことはなかったので、約3ヶ月ぶりだった。私は彼に久しぶりに会えることを本当に楽しみにしていた。うきうきしながら私は彼を空港に迎えに行った。まだかなぁ、まだかなぁ、と我が子を抱っこしながら待合のところで待っていた。すると自動ドアの向こう側からポロシャツ、メガネ、ボサボサの髪の毛に先のとんがった革靴を履いた色白でひょろっとした大ダサ男が颯爽と歩みよってきた…。私の心の第一声

きも…

だった。(本当にごめんなさい…。)産後のホルモンバランスの影響でそうなるというのをあとで知るのだが、それにしてもだった…。なんだこの違和感。本当に、本当に、無理だった。今まで彼に対して感じたことのないほどの嫌悪感しか感じなかった。我が子を抱っこされるのですら本当に辞めてほしかった。こっちに引っ越しこの出産してからの約3ヶ月間両親がどれだけ愛情を注いでくれて、どれほどに私を労わってくれていたのか、その間おまえはどこで何してたんだよ。そんな想いも何も知らずにのうのうと来たこの男と、これから2泊3日も一緒に過ごすのかと思ったら吐き気がした。そんな風に私が思うとは思いもしなかった。

地獄の2泊3日

もう本当に嫌すぎたのだろう今となってはほぼ記憶がない2泊3日だが、唯一記憶のあるのは長距離ドライブをしたこと。それが私にとっては喋る気すらしなく、とても苦痛の時間だった。軽自動車の後ろで我が子と一緒に乗っていた。彼が気を遣って一生懸命話してくれていた。それすら無理だった。もう彼がすることなすこと全てが私には受け入れられなかった。気を遣って会話をしてくれた中ですら離婚の話は一切出なかった。彼が帰る日、やっと帰ってくれる!!!と思い、本当に嬉しかった。そして今思い出したが、彼は両親に手土産すら持ってこなかった。彼の病状を心配していた両親がどれだけの贈り物を彼に贈っただろうか…。見返りを求めている訳ではないつもりだったが、両親の顔に泥を塗られた気持ちになった。「飛行機に忘れた。」と言っていたのだが、もうその言葉ですらどうせ嘘だろと思いながら聞いていた。

自分の感情のギャップへの戸惑い

彼が来た2泊3日のあとは死ぬように寝た。とにかく疲れた。その記憶だけが鮮明に残っている。そして私自身が彼への愛が冷めていることに驚き何よりも悲しかった。あれほどまでに彼の全てを受け入れようと思っていたはずの私の彼への愛情がどこにもなくなっていたことが本当にショックだった。これからどうしようと路頭に迷った気持ちになった。なかなか私自身が彼への気持ちが冷めたことを受け入れられない日々が続いた。

社会がつくる理想の家族像

そこから私はとにかく悩んだ。離婚をすると言っている彼への信頼度ももう限界を迎えていた。そして彼自身もこれ以上嘘をつき続けることができない状況になっていた。お互いどちらが切り出すのか、そんな雰囲気が流れていた。しかし私は子供の為を思うとどうしても私から切り出すことはできなかった。自分の彼への愛情はもうないことをはっきりを受け入れることができても、それでも子供のために。子供がパパという存在を認識した時に、この子がどんな思いをするのだろうか、そう思うだけで涙が出てきた。私がしてしまった。自業自得な環境で産んでしまった我が子。もっと幸せな普通な家族の元にこの子を産んであげたかった。もし、パパがいる子に私の努力でできるのであれば、かたちだけでも普通の家庭に、私が耐えることで持てるのであれば、と。ただその思いだけで彼の離婚を待とうと思った。

おまえがおれば幸せやと思うで

数ヶ月悩み、1人では耐えられなくなって友達に相談すると、こう返ってきた。私はそれを聞いてとにかく泣いた。どんだけ泣くねん!というツッコミがそろそろきそうだ。でもその友達が続けて「きっと子供も母ちゃんがおればええよって言うと思うで。両親おらんで祖父母に育てられて立派になってる子なんかいくらでもおるやん。そんな父親にこだわらんでもええやろ。」そしてあの大イケメンオーナーの「最初から知らないっていうことはそれが当たり前になる。」というその言葉もボディブローのようにあとからじわじわとまた効いてきた。

今までありがとう

離婚せんでええよ。たったこれだけの言葉だったと思う。彼にラインの文で送った。あれだけ悩み、あれだけたくさんのことを考えていたが、彼からは「わかった。」とだけ返ってきた。あっけなく終わった最後だったが、この言葉だけでむしろ私は本当にありがたかった。あの頃の私はさようならの言葉に対するアンサーは何も不要だった。もう彼に対してお腹がいっぱいすぎてはち切れそうな状態だった。

憎めない人

ここまで長かった、元カレと言うか、元旦那ではなく、子供のお父さんとも言うのか、、、とのエピソード。需要があるのかないのか…。もうこの長い長いエピソードは自分の中で整理整頓したかった。美化されていることも多くあるだろう。それでも、私からすると彼は本当に憎めない人。今でも毎月養育費を支払ってくれていて。世の中からしたら当たり前、でも私はとても感謝している。


これは勝手な私の彼に対する解。彼は本当に不器用で虚言癖持ちの心優しい人。「断る」ことができないが故こんな風になってしまった。彼が私に話してくれた俺は「俺がない」という話、そしてADHDというのは本当だと横にいて感じた。彼自身もそんな自分にどう対処していいのかわからず、大学生という若い時期に子供ができてしまい、流されるがままに結婚をし、子育てをしなくちゃいけない。精神疾患がある中で偽らなくてはならないものが多くあった彼は周りに合わせることで精一杯だった。同年代がたくさん遊んでいる時期に彼は働かざる終えなく、自分自身もまた父親としての精神が伴わない。少しの出来心からマッチングアプリをはじめ、すると私に出逢い、断りたいけど断れない。一般的に見れば倫理を外れた嘘をついてしまった。でもそれは彼にとっての正当防衛。誰も傷つけずにことを終えたかった。でもきっと相手が私だったということは彼にとっては想定外だったのかもしれない。誰も傷付けたくないと思うが故に大きな大きな傷をつけてしまった、彼自身にも私にも。これは彼から聞いた訳ではなく、あくまで私の彼に対する解釈。彼を知らない人からすればもっと冷酷で残酷なエピソードにも聞こえるのかもしれない。もっと怒れよ。人生そんな甘くないだろ、そんな声もあるかもしれない。それでも私は最後まで彼への愛情は捨てきれない。というよりもまた彼への愛は変化しているが、もう2度と会いたくないと思うほどの憎悪はない。完全消化された愛がここにある。

社会背景

何度か考えたが、もし彼に出会っていなければ、と。でも彼と出会っていない人生は私にとって考えられない。彼と出逢えたおかげでまた多くのことを知り得たことが多かった。無駄なことなんか1つもなかった。最近はインスタとかで「サレ妻」とかそういうエピソードでこういう大どんでん返しのノンフィクションが漫画とかであげてたりする人をみるし、実際知人にこのエピソードインスタにあげたらくそバズりそうやん!とかも言われた。でも、私は私ってすごい可哀想でしょ!もっと彼を恨んでよ!!!というような同情を買うようなエピソード漫画にする気はサラサラにない。もちろん私がサレ妻という立場ではない、サレ妻から恨まれるべき人だからかもしれない。私はむしろ、彼のような人に対する理解ある社会になってほしいと願ってこのエピソードを書いた。彼と言う人は本当に腹立たしく、本当に許されざるべき人間ではないのか?と。絶対に違う。なぜ彼が嘘をついてまでしてここまで生きてこなきゃいけなくなったのか。こういう人に対して許すべきだと主張がしたいわけではない。もちろん腹が立って傷付いてこのクソと思ったことなんて普通にあるけど。それでも、許すな!とかこんな男滅んでしまえばいいとか、そんな言葉で片付ける世の中は、私は嫌いだ。私が書いたこのエピソードは他人事ではない。みんなが生きている日常生活の中で語られずともひっそりと潜んでいるようなものだと思う。どんなことでも受け取り手がどう受け取るかで社会は少しでもよくなると信じている。私は彼と出逢い、もっと他者への想像力を豊かにして接していこうと思った。


後悔がないといえば嘘になる。でもそれも全て含めて彼で良かった。私にとって彼に対する愛情は冷めても今も憎めない。大丈夫かなとすら心配もしてる。

そして今の私

友人はほとんどが結婚して家族があったり、結婚してなくとも仕事にやりがいを感じて日々奮闘する友人がいて、彼氏との日々を紡いでいる友人を心から羨み、なんて情けない人生なんだろうと自分を惨めに思う日だってもちろんあって。

でも、そんな日もあっていいんだって、子供の笑顔がそう私に教えてくれる。どうしようもなく子供に辛くあたっても、子供は私に変わらず「たーたん」って呼んでくれて。

普通に結婚していたら両親はもっと安心できたのかなって思う日だってあって。でも、この子の笑顔が両親を笑顔にして、こんな家族のカタチも全然ありじゃんって教えてくれる。

彼と出逢っていなければこれほど両親に感謝できることもなかっただろう。彼と出逢っていなければもっと他者を理解したいと思えることもなかった。彼と出逢っていなければ私は今こんな風に地元での暮らしに幸せを生み出せなかったとも思う。

彼に出逢えてよかった。

そして、あなたでよかった。
あなたは自分のことを「なにもない」と今もまだ卑下しているかもしれない。あなたはなにもないことはない。私はあなたがあるから今の私がある。もっと自信を持って生きていってほしい。

まあなんとなくで始まったけど、このなんとなくは間違ってなかった。

今までありがとう。


有り難う。


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