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フランス交換留学のキラキラからは遠ざかった話

映画勉強するために行ったアメリカのテキサスで興味と友達の影響で学び始め、最後には専攻までにしたフランス語。
専攻までしたら交換留学くらいしないとと気軽にプログラムに応募。出発に向けて毎日自己勉強、クラス参加、カンバセーショングループ週二回参加をこなし、コミュニケーション力をつけた。実際に出発前までには通常会話はできるようになっていた。(できてると自分は思っていた)

2007年1月留学先レンヌに到着。パリからTGVで西へ約2時間乗ったところにある、ブルターニュの中では大きな都市。大学街としても有名である。かの有名なモンサンミッシェルからも数時間以内の場所です。この場所を留学先に選んだ理由は2005年の夏にロンドンのヒステルで出会ったフランス人の女性2人がここの出身だったから。同じ大学(レンヌ第二大学)を選び、一週間の半分を語学学校、残り半分を大学の授業履修としてすべてアメリカの大学の単位に変換できるように整えた。

場所も決まり、クラス設定までは良かったが、実際に語学学校のレベルチェックテストを受けて一気に雲行きが怪しくなった。

全くできない。。。。

気持ちはすでに下の写真のように叫びたかった。。。

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アメリカの大学ではクラスの中でもトップの方の位置し、先生たちからも好評価ばかりで調子に乗っていた。レベルチェック結果も全体レベルの半分以下に位置していた。がっかりした。
その上クラスメイトのレベルが高い。欧州中心各国から生徒がいて、どの生徒も積極的に発言するし物怖じしない。自分は今でも授業中どれだけ発言したかも覚えていない。。。。

語学学校のレベルがこれだから、ネイティブと一緒に過ごす通常の大学クラスはもっと悲惨だ。その上に自分が取ったクラスは仏→英翻訳、英→仏翻訳、テクニカル翻訳用語、などだ。。。英語ネイティブではない人間が、翻訳のクラスに参加したという自殺行為。毎晩授業前後には電子辞書と睨めっこしあって、単語単語全て翻訳した。

授業ついていけない二重苦に加えてもっと辛かったのが、友人ができなかったことだった。アメリカの大学で出会ったフランス人たちはみんな気さくでいつも自分に笑顔で話してくれた。
フランスの学校では、常に既存グループと行動するのが普通で新たに入っていく余地がなかった。唯一の拠り所がロンドン時代の友人とそのグループだった。終末自宅に遊びに行ったり、サンミッシェル通りという飲み屋外のバーでアルコール度数10%ほどのベルギービールの大瓶をみんなでおごりあって、飲み続けた。腹が減ればバーに目に前のトルコ人のおっさんがやってるケバブ店でケバブフリット(ケバブにフライドポテトがのったパターン)にケチャップとマヨネーズをつけて頬張った。

流石にこの状況を打開するためにとった行動が大学の日本人サークル参加だった。結果は大正解。日本語を勉強するフランス人は誰もが気さくですぐに自分を受け入れてくれた。そのサークルでは日本からの交換留学生も何名かいて、フランス留学話に盛り上がって酒を交わすこともあった。
改めて自分の居場所を各地で見つけることは大事だなと思った。

留学期間中はフランス各地にいる友人やアメリカから同じく留学していた友人を訪ねることができた。パリには数回、その他ル・マン、トゥール、サンセール、カレ、リヨン、トゥールーズ、マルセイユ、などなど。フランス以外にもアメリカで知り合った友人を訪ねてデンマーク、アイルランド、フィンランド、ドイツなども訪れることができた。格安航空会社がまだまだ日本では浸透していない時代でヨーロッパではRyan Airなどの格安航空会社を利用して片道1万円以下で近隣国へ行けた。ヨーロッパのよさを別の意味でも感じることができた。

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このNoteの初めにかなりネガティヴな情報を入れたが最終的にはいろいろな出会いや再会もあって実りある留学生活6カ月でした。

タイトルに「キラキラじゃない」と入れたのは、フランス留学というとイメージは「パリでバゲット🥖持って、オシャレな道通る」とか「洒落た服買える」とか、そういうのがあるかもしれないけど、実際にはフランスも各地違ったよさと歴史があるし、友人1人作るのにもかなり苦労する。頑張り次第では好転できるかもしれないけど、そうできない人もいると思う。自分は色々なコネクションから出会いがあってラッキーだった方。自分は「キラキラ」とか似合わないし、似合わなくていい。泥臭い感じでフランス留学を終えました。

https://twitter.com/AyumuMinegishi







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