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わたしにできることはここまで

「わたしにできるのはここまで」とスパッと思える人、最強説。

誰かを好きになったから告白した。結果がどうであれわたしにできるのはここまで。
友達が落ち込んでいたので励ましたり寄り添ったりしたんだけど、解決はできなかった。でもわたしにできることはここまで。
道に誰かが倒れていたので救急車呼んだ。そのあと、その人がどうなったかは分からないけど、わたしにできることはここまで。
仕事中、同僚が上司に怒られていた。同じことを繰り返さないように一緒に考えた、わたしにできることはここまで。

そう思える人って、フワッとした暖かい優しさを持ち合わせている人だと思います。

そしてわたしの場合。
告白した。断られたらわたしの何がダメだったのか永遠考える(もうそんな淡い恋はないけどね)。
友達の悩みを解決するために、自己犠牲をしてでも踏み込んでいく。
誰かのために救急車を呼んだら、わたしも一緒に病院へ付き添おうとする。
同僚が上司にもう怒られないように、上司に提出する前に、自分の仕事を投げ打ってまで同僚の仕事をいちいちチェックする。
と、こんな具合です。

一歩多いんだと思います。その一歩を踏み出してしまうことで、余計に自分が辛くなっていくのを分かっているのに、どうしても踏み出さずにいられない。
そしてそれは時に相手にとっても「重く」なっていくのだと思います。

「わたしにできるのはここまで」ってスパッと切ることができれば、心の余裕ができる分、結果的に穏やかな人になれるんじゃないかな。そしたら自分にも他人にも優しくできて、おぉ気がつけば自分もみんなもハッピーじゃないかーってなる気がする。

「わたしにできるのはここまで」って最強だと思いました。
一歩踏み込んで潰れてしまったら、元も子もない。

前の記事で、明日の通院の時に今の気持ちをダダダダとiPadに打ち込んで、先生に見てもらう話をしたのですが、うちにはプリンターがないから紙に出力できません。
多分、前のわたしだったらネットプリントとかを駆使して、なんとか印刷して持っていっていたと思います。

でも、患者が持ってきたものを、先生が分かりやすく飲み込むのって、わたしの仕事じゃないなって思ったんですよね。それは先生がやるべきことなのではないのかな。
今のわたしにできるのはiPadにダダダと書いたものを見せる、ここまで。

iPad忘れて行ったら意味ないので、もうバッグに入れる!
明日、つぶやきかなんかで「iPad忘れた・・・」って言ってたら、壮大なツッコミをお願いします。