4.豊かで愚かなパワー

 自分でいろいろ調べている中で、躁状態というそのパワーがいかにしてすごいのか、そしていかにして愚かなものなのか、面白いエピソードがたくさん出てきました。

 実は双極性障害だったのではないかと言われている人たちがいます。有名どころでは、ゲーテ、ゴッホ、ベートーヴェン、太宰治、カート・コバーンなど。実際にそうだったのかは本人に聞いてもいないしもちろん会った事もないので分かりません。でもこの名前を見て、パッと思い浮かぶことはただ一つ。

「不安定」

 中でも一番「らしい」と思ったのが、画家のゴッホの話。数え切れないくらいの不安定エピソードがたくさんあります。
 自傷癖、アルコール依存、ニコチン中毒、精神病院への入退院のくり返し、徘徊など。基本的な不安定を全て易々と実行に移してますね。

 知っている人もたくさんいると思いますが、一番強烈なのが画家仲間のゴーギャンとの暮らし。
 ゴーギャンが一緒に住んでくれる事が嬉しすぎて、部屋中に絵を書きまくり、日記にはゴーギャンのことのみ、話せなかった日は発作で倒れたそうです。ものすごい執着への集中力。

 そして、ゴーギャンとの関係が終わった日に、自分の左耳を剃刀で切り落としたのです。その耳たぶの一部を娼婦に送りつけるという何とも大胆な行動。
 まさに、完璧な不安定です。パーフェクト!

 少し話がずれますが、昔付き合っていた男の口癖が、「俺はカート・コバーンの生まれ変わりだ」でした。ことあるごとに言っていた気がします。
 なんでそんな男を一瞬でも好きだったのか、今となっては全く分かりません。大して顔も良くなかったし、大して歌も上手くなかった。
 ついに別れ話を切り出した次の日、電話がかかってきて自殺をほのめかされましたが「死ぬならカートみたいにショットガンで逝きなね」とヒジョーに本人にとって有益なアドバイスをしました。
 そんな彼は今、札幌で可愛いチワワと共に暮らしているらしいです。

 話を戻して、ゲーテにしろゴッホにしろベートーヴェンにしろ、躁状態の時に傑作を生んでいるらしいという事でした(余計なお世話だ!)。いや、もしかしたら躁状態にでもならないと、世界的に後世に残るような作品を生み出せないのかもしれません。

 躁状態というものが、脳のエラーだとして、それが正常に働かないために生み出している状態なんだとしたら、それは本当にエラーと言えるのでしょうか。むしろ凡人には発揮できないパワーを持っているんじゃないか。

 そう思わせてくれるようなエピソードではありましたが、それは全てずっとずっと後の未来に分かること。あとから考えるとそうだったのかもね、という話です。当時の本人も、周りにいた人たちも、相当な苦しさを味わったに違いありません。

 躁状態の時、他人との距離感が分からなくなります。今は通常時でももう分からなくなってきていますが、わたしはそれが一番苦しいんです。

 双極性障害の人には芸術的センスがあるとか、創造性やアイデアに富んでいる、などよく言われたりします(それはなぜだかちょっぴり嬉しい)。

 他人との距離感が分からず、自分を表現することが上手くできず、代わりに芸術というツールを使う。素晴らしいパワーの転換だと思います。生き続けるために自分が唯一できる命がけのコミュニケーション方法。
 躁状態の時にあらわれる次から次へと浮かぶ考え、アイデア。とめどなく脳が回転していくので、創造性も集中力も高まる。そしてこれも、生き続けるために自分が唯一できる命がけの選択肢。

 でもこの命がけのコミュニケーション方法、自己表現、それが受け入れられなかったら?世間の一般常識を考えられないほど大きく逸脱する、愚かな選択肢だとしたら?そのことに自分が気づいていないとしたら・・・?

 躁状態は、程度の差はあれど、確実に自分自身をギリギリ削っています。規模が小さいとしても、それは当人にとっては命がけなのです。

 だから次に必ず鬱状態がやってきます。自分の身を守るための強制終了期間。
 いきなり電源を切られたもんだから、上手くいってたのになんで?!と思い、自分を責めます。辛くて苦しい、でも実はその裏で自分はちゃんと、コンセントにささっているのです。
 鬱状態の時はそんなこと冷静に考えられないくらいキツイけどね。今はこうやって書けているから、もちろん鬱状態ではありません。

 もし今、ゴッホに会うことができたら、

「あなたが苦しみながら世に残した絵や生き様は、今の世ではたくさんの人に希望を与えています」

 と言ってお酒を奢ってあげたいです。喜んでくれるだろうか。
 次の日に耳たぶが送られてくるかもしれない。それはちょっと嫌だな・・・。