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生きづらかった時代

先日母と話をしていた時に、
「日本の社会にはまらなくても良い、むしろはまってほしくない」
「私は型にはまらない教育をしてきて叩かれたこともあったけど、自由に生きて世界に羽ばたいてほしいと思っている」
「だから小学生の時は生きづらかったよね…」
そんなことを話しました。
 
私は海外の暮らし方が好きだし、自分の好きなことをどんどん形にしたいと改めて思った日です。
今でこそハッピーに毎日を生きている私ですが、小学生の時は振り返りたくないほど辛い日々がありました。
久しぶりに母とそんな話をして、思い出したことがあったので気持ちの消化をするべくnoteに綴っていこうと思います。
 

生きづらかった小学生時代

 
小学校低学年の時に、友人といたずらをしたことが先生の間で、「変な子」というレッテルを張られていたのだと思います。
何が生きづらかったのかは覚えていませんが、高学年になってもとにかく学校の居心地が悪く、担任の先生のことも信頼できず過ごしていました。
 

グループに所属していない私

 
私はグループになじめませんでした。
それよりも気の合う友達と2人でゆっくり話す方が好きで、何人かの友人と過ごしていました。
それをみた6年生の時の担任の先生が、保護者面談の際に
「仲良しグループに所属していないみたいですが仲の良い友人はいますか?」
私は個別で友人と過ごしたいと思っていたのに、グループに入っていない子=友達がいないと決め付けたようなことを言われたのが衝撃でした。
 
教職課程を履修した今の私からすると、一部分しか切り取ってみていない先生だったのだなと思いました。
 

居場所があったから生きられた

 
毎日が辛くても、わたしは自分らしく生きられる居場所を見つけて何とか乗り切ることができました。
それは習い事のフィギュアスケートでの人間関係です。
 
名古屋市内でスケートを習っていたため、県内各所からくる年齢も様々な友人ができ、スケートに行って友人たちに会うととても心が軽くなりました。
この経験から、自分の暮らすコミュニティを1つに絞らないことは本当に大切だと思います。
 
小中学生の時は、学校のコミュニティが人生の多くを占めすぎて、悩みがあると人生の終わりのように感じてしまいます。
しかしわたしは、習い事として地元以外の場所でできたことで、学校が全てではないと思うことができてとても良かったです。
 

その経験があったからこそ得られたスキル

 
振り返っても楽しい思い出がない小学校時代。
そんな不毛な時代を乗り越えたからこそ、得られた力はあると思っています。
周りの人の動きに敏感になっていたため、相手を察する力ができました。
それがスタバやホテルのお仕事につながったり…どんな経験も無駄ではないと改めて実感させられます。
 
小学生時代は辛かったですが、この経験があったからこそ今の自分がいます。
さらに羽ばたけるように頑張ります。

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