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夜になると悲しみが寄せてくる。カウンセラーさんの教えを思い出す。


ここ最近、夜に差し掛かると悲しみの波が押し寄せてくる。

それは父がこの世を去ったから、というだけの話ではない。

母の愚痴を一身に受け止めたからか
心の内側から削られるような気分に襲われる。

「父のあんなところが嫌だった」

という言葉の数々で思い出されるのは、
自分も父とおなじような状況で
おなじように母からなじられていた日々。

最近まで自覚していなかったが
私の性格は父に似ていて
自分が納得できないと行動に移せないタイプ
(だから一般論がどうとかあまり関係ない)

翻って母は、外面や一般論でしか考えず
自分の気持ちや本音を他人に見せることはなく
とにかく取り繕うタイプ

なもんで、考え方も行動パターンも根本的に違っていて
母からすると私や父は優柔不断、常識がない、恥ずかしい存在に見えたのでしょう
そういった部分を責められることが多かったです。

父に対する愚痴を聞いていると、
私に対してもそうやって思ってたんだな
と否応なしに感じてしまうので
せっかく長い間落ち着いていた気持ちも沈んでいく。

なにを選択するにしても
自分がこうしたい、と思う反対の方を勧められ
母の勧める選択肢を選ばなければ何年もチクチクと責められる

一番守ってほしい親から、守られてこなかったということ
なにより
私という存在を、
ありのままでいい
そのままで尊いんだ
と、一度でも伝えられなかった
少しも感じられないままに大人になってしまった

その事実を改めて突きつけられているようで、
途方もない悲しさ、寂しさに襲われる。


親のことを友人や親族に話したこともある。
でも、わかってもらうにはどこからどう説明していいのかわからず
結局全然うまく伝えられなくて
(感情の整理がちゃんとできていなかった、自分が口下手なせいもある)

励ましてくれるつもりだったのかもしれないけど
「でも自分で人生を選択してきたんですよね?立派じゃないですか」
「お父さんお母さんは立派な人よ、悪く言わないで」
と返された経験が思い出されて

こんなふうにいつまでも落ち込んでいる自分が
卑しい存在に思えて、恥ずかしくて
また落ち込んで


でも、私は知っている。

わかってくれる人は少ない。
わかってくれる人がわかってくれれば良い。
落ち込んじゃいけない、と思うと逆効果。
なにかでごまかすんじゃなくて、
自分の気持ちがどうして動いて、
なにに対してどう感じたのか。
それを見極めて、自分で受け止める。

それが回復の近道だと思う。



精神科を受診したきっかけは、
そのクリニックで行っているカウンセリングを受けたかったから、でもある。

予約が困難だったため、
医師の受診から2ヶ月ほど経って、ようやく受けることができたのは昨年7月のこと。

カウンセリング自体は、あまり自分には合わないなと感じたのでそれっきりになってしまったが、
思い返すと学んだことがある。

教わったこと①
ゲシュタルトの祈りの言葉

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

https://ieji.org/archive/das-gestalt

教わったこと②
母から言われて染みついた言葉は、たとえ私の口から出てきたとしても私の言葉ではない。お母さんに返しましょう。

教わったこと③
母から責め立てられた時、言葉も出ず体も動けなくなってしまうのは
生き物としての防衛本能で何も悪くない。


私の話をひとしきり聞いてくれたカウンセラーさんは帰り際、
よく今まで生きてこられましたね。
とすごく寄り添って言ってくれたけど
なんだかその言葉を、そのときの私はまだ受け止められなくて
「そうですかね〜」なんてヘラヘラしながら返してしまった。

今だったら、なんて返すかな
ってふと考えます。

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