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父の死去に際して。

以前から患っていた父が他界しました。

ここ数ヶ月は体調の悪化から仕事も辞め、
自宅にいる時間が増えた父。

それでも当初はあちこち趣味のために旅をしたり、出掛けたりしていました。

年末ごろから本格的にしんどくなり
なかなか外出も難しくなったことにあわせて
母の介助も増え。

多趣味で家にいる時間が少なかった父が
ずっと家にいるようになったことで
母の負担が格段に増えたことは明らかでした。

父の前ではつとめて明るく頑張っていた母でしたが、
私に会えば積年の愚痴が出るわ出るわ。

私自身、アダルトチルドレンだと
機能不全家庭で育ったんだと自覚したのは
ごく最近でしたが
母の話を聞くに、約40年前に両親が結婚した当初から
機能不全夫婦だったことがよくわかりました。

母も若くして結婚したこと、
なにより母自身に父がいなかったこともあり
夫という存在にどうあってほしいかわかっていなかった、
ということも大きかったかもしれません。

よく離婚しなかったな…
自分だったら即離婚だわ…
というエピソードの数々。

結婚と同時に長男を授かった両親でしたが、
当時母が父に愛想をつかして別れたいと思い実家に帰ると、
母の祖母から「父親がいないとかわいそうよ」と諭されたそうです。
時代を感じます。

母自身も、こどものためには両親揃っていなければいけないと強く思っていたようで
離婚には至らなかったようですが
そのこどものための我慢が、こどもの性格を歪ませてしまったとは
なんとも皮肉な話です。

およそ40年も自閉気味の父に振り回されてきた母がかわいそうになってしまって。
夫にもすべて話しました。

すると夫は

「そうだったとしても、こどもにつらく当たって傷つけていい理由にならないよ」

と言ってくれて、

ああ、この人は私より私をちゃんと見てくれているんだ

と改めて感じると同時に
この言葉に何度も救われました


紆余曲折ありながらも、両親と対峙して
アダルトチルドレンを脱した(かもしれない)私ですが

父の余命が短くなければ、問題に正面から向き合うことなんて絶対にできなかったと思います。

向き合って、
乗り越えて、
亡くなる3週間前には両親と私とで旅行もできて
(こどもたちと留守番してくれた夫にこれまた感謝)

もう、なにもやり残したことはないなって思えています

本当は手を握って、ありがとうなんて言いたかったけど
亡くなるほんの数日前まで自分が死に向かっていると認めなかった父にはそんなこと言えなくて。

なにより、本人の発達特性からか触れられることを極端に嫌がるので
なかなか難しかったな。


治療のするしないも、タイミングも、
趣味も仕事も、
なにもかも自分で決断して
本当に命のかぎりを尽くして亡くなった父。

振り回され続けた家族としては、
疲れたな〜!
という気持ちもあるけど
あっぱれだな。よかったな。
という思いでいっぱいです。

お父さん64年間おつかれさまでした。
きっと生きづらい世の中だったと思う。

お空でお酒を浴びるように飲んで
治療のせいで味を感じにくかったから
美味しいものもたくさん食べてね!

また会おうね。

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