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【コラボイベント3 海外比較で考えるコロナ禍で変わる家庭料理】

コロナ禍が続き、家でごはんを作り、食べる機会が増えてきているのではないでしょうか?

そんな中、長い時間をかけて独自の家庭料理が発展し、現代でも家族や友人と食卓を囲むことを大切に豊かな食文化を育む国、イタリア。

そんなイタリアの家庭料理を研究している料理研究家・中小路 葵さんに、

(1)イタリアの食文化で変わらず受け継がれているものとは?          

(2)コロナ禍でどのように食卓が変わったのか?

(3)料理をすることの意味とは?

などを聞いてみました!!和の食卓のこれからを考えるシリーズ、第3回です。

ーイタリア料理との出会い、食との関わりは?

〈イタリア料理との出会い〉

大学卒業後、クックパッドの海外事業部に就職し、クックパッドがサービスを展開する国で料理のコミュニティ・ビルディングをしていました。イタリアが大好きだったので、仕事の合間を縫ってプライベートでイタリアを訪れていました。その頻度は2年で9回。今まで50カ国くらい旅をしていましたが、イタリアが刺さりました。そのうちにクックパッド・イタリアのスタッフとも仲良くなり、イタリアのユーザーさんをはじめ、イタリア各地のマンマ(イタリア語で’お母さん’の意味)に家においでと言われ、お家でマンマと料理を一緒に作りながら、彼女たちの家庭料理を教えてもらうようになりました。

〈食との関わり〉

現在は会社員としてコンサルティングの仕事をしながら、複業でイタリアの家庭料理研究家として活動しています。主な活動としては、オンライン料理教室「イタリアのマンマ直伝パスタクラス」でイタリアのマンマに教えてもらったのシンプルで美味しい料理をオンラインで教えています。他にも雑誌「1番近いイタリア」を四半期に一度発行したり、現地のマンマから直接ディープな郷土料理を習うオンライン料理留学「Serie A」を実施しています。

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ーマンマの料理の特徴は?

“マンマ”というのはイタリア語でお母さんという意味です。

マンマの料理は、一言でいうと、シンプルで、美味しい。特別なスキルが必要なのではない、奇をてらった食材を使うわけでもない。どこにでもある食材を使って、シンプルな作り方で作られているのだけれど、これが本当に美味しい。

イタリア料理の根幹をなす「クッチーナ・ポーヴェラ(訳すと庶民の料理)」というのは、基本的に遠くから食材を運べないため、いかにその時その土地にある食材を美味しく料理するかという生活者の知恵が詰め込まれています。

あと、マンマの料理は、これに加え、遊び心を忘れていません。同じ材料でも形を可愛らしくするためにひと手間かけてくるくる巻いてみたり、面白い形に切ってみたり。効率化が叫ばれている中でも、料理の余白というものを今でも忘れずに持っているのがマンマの料理だと思います。

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ーIT化(レシピサイトの普及)により食がどう変化するか

インターネットの普及は間違いなくイタリア家庭料理の世界にも多大な影響を与えていますし、これからも変わらないと思います。

レシピサイトの普及により日本においてもイタリアにおいても共通して言えるのは、食のバリエーションが増えたことだと思います。  

面白いのはそこからです。      

日本においては、特に時短・簡単レシピが人気です。私がもともといたクックパッドは、主婦の「今日何作ろう」を解決するサービスで、レシピサイトで人気なのは「時短・簡単」なレシピやテクニックが多い。その背景には共働きも増えて、忙しい主婦が、毎日の料理において、限られた時間と予算の中でいかに食事を作るか、という向き合い方が挙げられます。

一方、イタリアにおいては、時短や簡単であることが日本ほど注目されません。楽に出来るのは良いこと。でも、極端なまでに効率化に走らず、時間をかけて料理をすることの楽しさや、煮えている鍋がもたらすワクワク感のようなものを感じながら料理をしていると思います。「電子レンジで簡単〇〇」みたいなのがここまでもてはやされることはありません。       

またレシピの使い方においても日本ではきっちりと分量を計り同じものが再生産されていきます。それに対し、イタリアでは調味料などは計らず感覚で料理し、必ずしも毎回同じ味にならないことが当たり前とされています。お菓子はきちんとはかるのですけれどね。料理は目分量、1カップのカップは手にコップで1カップです。

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ーコロナ禍によってイタリアで食の変化があったか?

一概に言えるわけではないですが、二極化しているように思います。もともとイタリアは家庭でごはんを作って食べるということが多い国。その中でも特にステイホームが続いたことにより、生まれた時間を使って丁寧にごはんやお菓子を作る機会が増えたとも言えます。一方で、コロナ禍が長期化することによってデリバリーが普及し、それを利用する人々も増えています。そういった意味で同じ家でご飯を食べるにしても、作る人もいれば、デリバリーする人もいるように二極化しているのではないかと思います。

ー中小路さんが思う料理することの意味とは?

私が料理と向き合う中で、自分に問うていることは「料理をしなくてもいいこの時代に、なぜ料理をするのだろう」という問いです。

今、一言でいうとしたら"豊かさ"だと思います。

そう思うようになった背景にある自分の原体験としては2つあり、1つ目は私自身が母の料理を食べて育ったという思い出。母が作った料理を囲んで父と弟と4人で食べた毎日の食卓や、お誕生日や行事に、みんなで年に一度のハレの日の料理を楽しんだことは、今ふりかえると、かけがえのない時間でした。2つ目はイタリアで、沢山の手間と時間をかけて作られたラザニアをみんなで囲んで食べた思い出。ラザニアって、すごく手間と時間がかかるのです。小麦と卵でパスタを打ち、ひき肉や玉ねぎでラグーを作り、牛乳やペシャメルを作り、それを層にして、オーブンで50分焼く。そのラザニアが信じられないくらい美味しかった。よく見ると1つ1つには特別なスキルも食材も必要ないけれど、時間をかけ、手間をかけることで美味しくなる。そして、料理があることでみんながその場に集まってくる。ワインを開けて、他愛もない話しも沢山して、楽しい時間を過ごす。みんなハッピー、笑顔になります。それが料理の持つ“豊かさ”だと思っています。レンジでチンしただけで出来上がるものと時間と手間をかけて心を込めて料理して出来上がったもの、例え味覚的に同じだったとしても、生まれる感動は違います。料理には、人々に没頭する時間をもたらし、食を囲む人を繋ぐ力があります。だから、料理をすること自体に意味があると思います。

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ー料理をすることと無駄について、何か考えがありますか?

イタリアでは時間や手間の無駄を省こうという考え方より、無駄こそが楽しいという捉え方があります。これは料理によく表れた、目の前のことを楽しむイタリア人の一種の哲学だと思います。それが遊び心にも繋がりますね。例えば、シチリア料理で開いたイワシにパン粉などを巻いて焼くベッカフィーコという料理があります。これは、もともと、貴族が狩った野鳥に詰め物をして作らせた貴族料理でした。ところが、それを見た庶民が家に帰りこんな美味しそうな料理を見たと伝えると、マンマは家でもベッカフィーコを作ってみようと、野鳥の代わりに手に入りやすいイワシで同じように作ってみたのです。これが美味しいのだ。限られた食材でもいかに美味しく楽しませるものを作るかをマンマはいつも考えているのだと思います。

時間や手間の無駄を省くという意識はあまりない一方で、食材のロスをなくすという意味では、無駄は一切出しません。食材を使い切るマンマの知恵には圧巻です。例えばイタリアではレモンをよく使用します。一般的に日本では果汁に使うものと言うイメージがあるかもしれません。しかしマンマは、皮も葉も実も全部使います。いいところだけ使い、あとは捨てるということをしません。もともとは貧しかった歴史があったため、生きるための知恵として食材すべて大切にするという考え方が残っています。


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ー最後に

食はストーリーと共に楽しむものだと思います。

1日3回、子どもからお年寄りまで誰もが行なう営みだからこそ、食文化というのはとても厚みがあるものです。食を通してその土地の魅力に気付いたり、同じ釜の飯を食べる中で自分や家族、大切な人と繋がり、心を込めて大切な人を養っていける場となる。そのような場が料理であり、だからこそ私は一生かけてそうした豊かさを多くの人に作っていけたらと思っています。

過去には「Pizza Mia」といってといって、全国に行きその土地でその食材でピザを作り、地域のコミュニティで家族ぐるみでみんなで囲むイベントを行ったりしていました。その際にも、やはり大切なことはストーリー。料理を構成する食材としてただ原料を紹介するだけでなく、その裏側の背景や生産者の物語を知れる場を作って、色んな角度から食を楽しんでほしかった。単に住んでいた場所が実はこんな魅力的な場所だったんだ!と気付くきっかけになったらそれはそれで嬉しい。私自身もそうやっていろんな土地を知りながら、旅しながら各地を回っていくのが楽しくて仕方がなかったです。

このように、料理の物語を巡る旅は、ずーっと続けて行きたいです。今の小さな夢は、イタリアにいる2年間に、全20州の小さな村の家庭を訪ね、マンマに料理を習うこと。

家庭料理には積み重なってきた底知れない文化が詰まっています。それを深く掘り下げていくこと、そこで見つけた豊かさの形を皆さまにお伝えすること、そうして社会に本質的な豊かさを残していくこと、それが食を愛し、イタリアに取り憑かれた私が目指していることです。

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(文:岡村 恵)

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