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映画「Father」

認知症はアメリカではLong Goodbye「長いお別れ」と言われることがあるらしい。
死は生を一瞬で奪うが、認知症は徐々に徐々に長い時間をかけて生を奪っていく。
お別れをする時間がたっぷりあるわ!
なんてとんでもない。人が朽ちていく様がものすごいスローモーションで映しだされるのだ。
銃撃され一瞬で倒れこむより、弾丸が皮膚を突き破り、肉片が飛び、血が噴き出し、内臓や骨が露わになるのを時間をかけていちいち明瞭に確認させられるなんて残虐だ。しかもまだ正気な自分も残っているから、自分でそれを見なくちゃいけない。それが長いお別れ。

うちの父も徐々に記憶が不確かになり、普通にできていたことができなくなり、性格も変化し、少しずつ少しずつ後ずさりしながら地球から遠ざかって行ったように思う。
私は介護をしながら「父はもはや父でない」そう思っていたが、介護の教科書的には「認知症を患っていてもその人はその人」という認識らしい。介護の場の常識では「認知症でも人格は失われていない」ということになっている。
認知症初期/中期であれば、たしかに完全に人格は失われていないけれど、重度の場合、ご飯の食べ方を忘れ、服を着ることも忘れ、怒りやすくなり…かなり野性に近い感じ、な印象だ。
学生時代、高齢者施設にボランティアに行ったことがある。一緒に紙風船を投げ合う遊びをした。風船をぽーんと投げた先のおばあさんは打ち返すどころか、なにかしらうめきながら風船をつかみかじりついた。施設の方がとめてもなかなか放そうとしない。
これが認知症の重度の状態だ。
こういう状態でも人格は失われていないのだろうか?

私の「父」という存在は、父の肉体を持っていれば父なのか。
昔の記憶がなにかしら残っていれば父なのか。
コーヒーが好きとかりんごが好きとか、父らしさがわずかでも残っていれば父なのか。
何が父を父たらしめているのか。

記憶が曖昧ということは、時間軸が歪むということ。
最初は記憶に穴があることに気づく。
あれ?そんなことあったっけ?え?
しかしそういった記憶の穴が次第に増えていく。
やがてその記憶の穴と穴がつながってさらに大きくなり巨大化して
最後、本人の意識はブラックホールに吸いこまれてしまう。
そこは過去も未来も現在もない。時間軸のない世界。

そんなのケアマネや介護職の方の知ったこっちゃない。
「人格」をどう定義するか、時間軸がない世界で生きるとはどういうことか、を考えるより現実的に目の前のオムツを換えることが大事だ。

でも、本来、認知症ってのはものすごく哲学的な病気だと思う。
おそらく人間がかかる病気のなかで最も哲学的。

「人間は考える葦である」パスカル先生が言っていたけれど、考えられなくなってしまった人間は何なんだろう。

認知症を患えば、構造主義の構造そのものが曖昧で他と共有できないわけで、ある意味、父は構造主義を超越した存在になったのだろうか。

人とは。過去とは。記憶とは。そういうのを机上の空論、思考実験としてでなく、現実にガチで喉元に突きつけてくる病気が認知症だ。

この映画「Father」はそういった認知症的世界を描いている。
時間軸が不安定、登場人物が時々入れ替わり、物語は堂々と破綻している。不条理演劇みたいな仕上がり。
認知症リアリティ体験映画として本当に秀逸だと思う。

アンソニー・ホプキンスの名演も本当に素晴らしい。特にラストは圧巻。

今までの映画は「認知症を患った哀れな人とその家族」的な情緒視点で描かれていたけど、「Father」は比較的ドライだと思う。悲しんでいる人や怒ってる人も出てくるけど、そこにそれほど焦点を当てていない。

この映画を動かしているのは(もちろん認知症を患った方へ深いコミットメントもありつつ)認知症という病への衝撃とちょっとした好奇心ではないかと思う。

マジでこんなことになっちゃうんですよ、認知症って!!
すごない?
他人事じゃなくて、やがてあなたも高齢者になるわけで、
そしたら…なるよ?
自分にあてはめて考えてみてよ、衝撃的すぎない?

という映画だと思う。

この先も認知症の特効薬や治療法が見つからなければ、
やがて日本は人口の約10%が認知症という状態を迎える。
10人に1人が認知症。すごいボリューム感。

すこし不謹慎だけど、私はそういう話を聞くと
町中の10人に1人がゾンビになってる世界をイメージしてしまうんだ。

ゾンビと言っても人間を食べはしない。
ただゆっくり歩いているだけ。
攻撃的ではなさそう。
でも、話しかけてみたら、倒れこむように飛びつかれてしまった。
力がなさそうに見えて、結構、強いなぁ。
やばい・・・離れない・・・
力づくに振り切ると、向こうが怪我をしそうだし…
困ったなぁと思って、店員さんに助けを求めた。
「すみません、店員さん!」
すると「なんですかぁ」って振り返った店員さんもゾンビなの。
うわぁぁ!って驚いて店を出ようとしたが、ドアが開かない。
あれ自動ドアじゃないの?ここは店だよね?
ふと見るとなぜか手に紙風船を持っている。
え?なにこれ?
見上げるとガラスドアに私の姿が映っていた。

私もゾンビになっていた。

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