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『Overnight』 第1話 “Hang out, why don't we? Let me know something”

あらすじ:
渋谷の小さなITベンチャーで働く派遣社員の石井ゆうかは、都内で一人暮らしの34歳。同僚の“篠田ちゃん”こと篠田あかりには「浮いた話なんてない」と話しているが、夜は銀座のガールズバーで働き、店長とは唇を重ねる仲、同じシェアハウスで暮らす年下男子・大輝とは肉体関係を持っていた。
それでもゆうかの心は動かない。彼女の心はある日死んだからーー。

3人組の音楽プロジェクト「neu Monent」の楽曲『Overnight』をモチーフに、東京の暗い夜に今にも溺れそうな主人公の葛藤を描く。

Overnight

Hang out, why don't we? Let me know something
What happened since then, man, and from now on what will you do?
If you get used to feeling out of place
You know, it's high time to wave goodbye bygone days

Passing by many words, I can't find the truth one
Closing your eyes, with the strong wind
Melting into the crowd, I look for your answer
Hearing cozy noise

With daylight, here's to You
Do you hear me? My voice
Feel hustle and bustle, I'll take you
Shall we go now? Without fail
Let's get started now

With daylight, here's to You
Do you hear me? My voice
Feel hustle and bustle, I'll take you
Shall we go now? Without fail
Let's get started now

ーーーーーーー
適当にぶらぶらしよう?いろいろ教えて
ねえ、あれから何があったの?これからどうするつもり?
場違いな気持ちに慣れてしまったら
分かるでしょう、過ぎ去った日々にさよならを告げるのは今がその時

たくさんの言葉が通り過ぎて、真実を見つけられない
目を閉じて、強い風を感じながら
人混みに溶け込んで、君の答えを探している
心地よいノイズを聞きながら

日の光と共に、これは君への祝福
聞こえてるかい?僕の声が
喧騒を感じて、君を連れていくよ
行こうか?失敗はしないよ
さあ、始めよう

日の光と共に、これは君への祝福
聞こえてるかい?僕の声が
喧騒を感じて、君を連れていくよ
行こうか?失敗はしないよ
さあ、始めよう

Song by Ryotaro
Words by 成川竜朗
Arrangement by 江川竜平
Japanese translation by AI+α


第一話

Hang out, why don't we? Let me know something


「石井ちゃん、お昼行かない?」
11時半を過ぎて、同僚の篠田ちゃんが私の席にやってきた。
「行く行く。ちょっと待ってね」
私は手早く「お昼休憩いただきます」とチャットを打ってから、席を立つ。
7月、季節は夏。オフィスを出ると、ムッとした熱気に包まれた。

私の勤務先である渋谷のITベンチャーは、数年前まで猛威を振るった感染症対策の名残で、週3回は出社、週2回はリモートワークという勤務形態になった。でもそれは正社員の話。

「あー、給料日まであと2日!もうコンビニくらいしか行けないよね」
そうぼやきながら、篠田ちゃんは電子マネーの画面を開きながらセルフレジに向かう。少し鼻にかかった、甘めの声。
「そうだね。ここからはもうサラダ抜きだなぁ」
といいながら、私も会計を済ませてコンビニを出た。
篠田ちゃんと私は派遣社員で、毎日オフィスに出勤してはさまざまな事務作業を行っている。時給は1,750円だからよいほうだが、給料日前はやはり懐がさみしい。

「サラダって何であんなに高いんだろう。つい炭水化物に逃げちゃう」
「わかる。しかも炭水化物はおいしいし」
そんなたわいもない会話をしながら、人気の少ないオフィスに戻り、カフェスペースで休憩がてらランチを食べる。コンビニのざるそばもなかなか悪くない。

「そうだ、今度合コンがあるんだけど、石井ちゃんも参加しない?相手が30代後半らしいから、ちょうどいいかと思って」
マスカラばっちりの大きな目でこちらを見ながら、篠田ちゃんは言う。
私と同じ34歳、綺麗な巻き髪にシミひとつない肌。「実はね、30歳過ぎてからレーザートーニングに通ってるの」と、この前ヒソヒソ声で教えてくれた。

「遠慮しとくよ。私そういうの苦手だし。篠田ちゃんみたいにうまく話せないよ」
「うそだ。誰よりも会話上手なの、毎日見てるからね?」
「それは仕事だけだよ。プライベートで男子と話すなんてもうあんまりないし」
私は営業事務と総務を兼務しているので、営業担当者のサポートに入ることもあり、対外的なコミュニケーションが割と多かった。元々営業をやっていたので、ビジネスライクな会話は苦手ではない。
でも私は彼氏もいないし、色気のある話もあまりない。
……ということにしている、表向きは。

「今朝お母さんに『いつまで婚期を逃すつもりなの?』って言われちゃってさ。そろそろ諦めてよ、と思うんだけど」
「篠田ちゃんが本当に結婚したら、お母さんさみしがりそうなのにね」
篠田ちゃんは小さい頃から、渋谷からほど近い駒澤大学駅にある、大きな一戸建てに住んでいる。この夏は庭でホームパーティーを3回開いたそうだ。
おそらく生粋のお嬢だが、週5で働いているし、金銭感覚も一般人と同じなので、ご両親にきちんと教育されたんだなと思う。

「同い年だとこういう話もしやすくて嬉しい。20代の子には気を遣われちゃうし」
篠田ちゃんはとことんいい子だ。いつも私の話を素直に聞いて、肯定してくれる。
きっとこれまで、きれいな世界で真っ当な人とたくさん関わってきたのだろう。私はこの人の清らかさを守りたい。
「ほんと、篠田ちゃんがこの会社にいてよかったよ!さ、そろそろ歯を磨いて戻ろうか」
そういって私は話を切り上げた。ボロを出して、この小さな友情を失うのは惜しかった。

**

「ゆうかちゃん、葵ちゃんの指名客のヘルプに入ってくれる?」
「はーい」
そう店長に呼ばれて、私は控室から出た。
今日は金曜、時間は22時。タイトな赤いドレスが私の戦闘服だ。

「あ、まさきくんじゃん。久しぶり」
「ゆうかさんだ〜。またフリーなの?」
「そりゃそうだよ、30代を指名する人はレアよ?あ、一杯いただいてもいいですか?」
「もちろん」
そんな会話をしながら、本日一杯目のハイボールを流し込む。

ここは銀座8丁目にある、こじんまりしたガールズバー『Pas de deux(パ・ド・ドゥ)』。“デュエット”という意味らしい。なんだかありきたりな名前だ。
普段はあまり人気のないこの店でも、金曜はそこそこ客が入る。

「ゆうかさん、昼の仕事もやってるんでしょ?眠くない?」
「わかってくれる?いま超〜眠いのよ。でもそれは葵さんも一緒みたい」
「みたいだね。『舞台の稽古で忙しい』ってLINEが来ててさ」
まさきくんはまだ20代だけれどこの店の常連で、お店のNo.1である葵さんをいつも指名している。
葵さんは舞台女優で、稽古の合間をぬってここに出勤していた。黒髪ロングの美女で、普段はクールだけれど、酔うと声楽で鍛えた美声でカラオケを歌い出す。
指名客にはとにかく、その女の子のいい話をするのがセオリーだ。変なことを言って指名客を取り合っても損しかない。

「お待たせ!遅くなってごめんね!」
まさきくんと30分ほど話したところで葵さんが来たので、私は店長に目配せして席を抜けた。

店内はまだ空席がある。こういうときはだいたい、女の子の誰かが外で客引きをする。
「外、立ちます?」
「いや、今まいまいが立ってるから、ゆうかちゃんは中にいていいよ」
ラッキー、と思いながら店長と一緒に控室に戻った。やっぱり若い子のほうが客のウケがいいので、私は遠慮なく控室へと戻る。

「吸う?」
そういいながら、店長がタバコを渡してきたので、
「いや、8mmを吸う元気はないですね」
といいながら、持っていたライターで火をつけてあげようとしたら、おもむろに唇で唇を塞がれた。
「...…店長、タバコ臭いです」
「これからもっと臭くなるよー」
と言いながら、店長はタバコをふかし始めた。金色に染めた長髪のスキマから漏れる、白い煙とメンソールの匂い。

私たちは恋仲ではない。年齢が近いのでそこそこ仲がよくて、ただ暇なときに挨拶代わりのキスをするくらいの関係性だ。それに彼は今、店先に立っている20歳のまいまいと付き合っている。

「ゆうかちゃん、昼職は辞めないの?」
「それを言うなら『この店を辞めないの?』じゃないですか?」
ガールズバーの女の子は基本、10代から20代だ。30代は数えるほどしかおらず、私はこの店の最年長だった。
年齢はただの記号かもしれないけれど、夜の世界でも絶対的な力を持つ。現に、私の指名客は片手で数えるほどしかいない。
でも私は時給2,000円と1杯500円のドリンクバックがもらえるだけでも助かるので、しぶとく所属し続けていた。源氏名をつけるのも面倒だったので、名前は本名のまま。夜職用のスマホすら持っていない、やる気のなさである。

「ゆうかちゃん、頭がいいからさ。昼職を辞めて、うちの系列店の幹部になる道もあると思うんだよね」
「え、まさかの引き抜き?わー、嬉しいなー」
といいながら、私も自分のタバコに火をつける。
「そりゃ引き抜きたいよー。でも、無理にこっちの道に来る必要はないからねぇ」
と、店長は遠い目をしながらタバコをくゆらせた。彼がなぜ夜の世界にいるのかは知らない。
「よし、そろそろ戻ろうかな」
と言って、彼はもう一度私にキスをしてから控室を出て行った。

静かな控室でタバコを吸いながらスマホを見ると、大輝からLINEが入っていた。
「今日何時に帰ってくる?」
彼からこういうLINEが来る日はだいたい、酔っている。
「朝の5時過ぎかな」
「わかった」
帰ったら早く寝たいんだけどな。面倒くさいな...…なんて考えていたら、店長がまた呼びに来た。
「ゆうかちゃん、ご新規さまお願い」
「はーい」
生返事をして立ち上がる。次はジンジャーハイボールでも飲もうかな、なんて思いながら。

そのままお客さんが途切れず、6杯目のグラスを開けたところで閉店時間が来た。こんなお店でも『蛍の光』を流すのね、と体験入店したときに思った。
「おつかれさまでしたー」
女の子たちは、年長者の私に気を遣って更衣室を先に使わせてくれる。私はそそくさと着替えて店を出た。

銀座の朝日はまぶしい。そしてまだ朝の5時なのにすでに暑い。
停めておいた自転車をかっ飛ばして、茅場町のシェアハウスに帰る。そういえばもうないかも、と思って、コンビニに寄ってコンドームと水を買った。

シェアハウスに着くと、リビングで大輝が寝ていた。身長180cmを超えるガタイのよい体をテーブルにあずけている。寝顔はどことなくかわいらしい。まだ25歳だからだろうか。

「大輝、ただいま」
「...ん、寝てた?俺」
「うん」
そう言いながら私が自室に入ると、大輝が眠そうな目をこすりながらついてきた。

このシェアハウスは2フロアあり、このフロアに住んでいるのは私と大輝、あと繁忙期の寝床として使っている30代の男性だけだった。
部屋のドアには「自室以外立ち入り禁止」と書かれている。でもそんな規則を守れるような人は、シェアハウスに住めないんじゃないかと思う。

「待ちくたびれた」
「はいはい」
そう言いながら大輝はおもむろに着ていたTシャツを脱ぎ、私の汗くさいカットソーとブラジャーをさっさと剥ぎ取る。
もう眠い、でもヤりたい。そんな顔をしながら。
大輝が私の中に入ってくるまで、たいした時間はかからなかった。

土曜は死んだように寝て、日曜にやっと休みらしい休みを迎える。
大輝は「これからデート」と言って朝っぱらから出て行った。会社の同期と付き合っているらしい。

私は誰もいないリビングのソファでゴロゴロしながら、Apple Musicを適当に再生する。すると、暗くて静かな曲が流れてきた。

Hang out, why don't we? Let me know something
(適当にぶらぶらしよう?いろいろ教えて)
What happened since then, man, and from now on what will you do?
(ねえ、あれから何があったの?これからどうするつもり?)

お店の控室でかかってたやつだ。店長がプレイリストに入れたらしく、
「これ、『Overnight』っていう曲。退廃的で好きなんだよね。歌詞も抽象的で謎めいててさ」
「店長、英語の歌詞がわかるの?」
「いや、わかんなくて、AIに翻訳してもらった。イマドキじゃね?」
なんて会話をした気がする。

聞き取れないほどのモヤがかかったボーカルが、逆に歌詞への興味を駆り立てる。
『これからどうするつもり?』
そんなの、私に聞かれてもわからない。
できることなら一晩中、暗い暗い夜の底に沈んでいたい。
もう、明日が来なければいいのに。


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