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『Overnight』 第6話 “Shall we go now? Without fail”

第6話
Shall we go now? Without fail

そのままタクシーで中目黒方面へと向かい、住宅地の一角で私たちは降りた。

20階建ての高すぎず低すぎない、ややこぶりなタワーマンション。
「うわ、お金持ちみたい」
普段さびれたシェアハウスに住んでいる私は、つい声を上げてしまう。先ほどのショックから少しずつ立ち直りつつあるが、まだ本調子ではなかった。
掃除の行き届いたエントランスから入り、エレベーターに乗って19階まで上がる。
「20階は全部パーティールームなんだよね。だから一応、最上階」
と、水野さんは少し照れながら言った。

「はい、いらっしゃい」
「おじゃまします」
そういって水野さんの部屋に入ると、12畳ほどのリビングが目に入った。テーブルにはテレビのリモコンやノートパソコンに混ざり、ビールの空き缶が転がっている。
「ごめんね、連れ込むつもりじゃなかったから、あまり片付けていなくて」
と言いながら、彼はささっとテーブルの上をきれいにする。ラグが丁寧に掃除されているのを見て、週末にまとめて家事をしているのかな、と思った。
「いえ、うちに比べたら圧倒的に天国です」
「ありがとう、ここに座って」
そういって、ふかふかした青いソファに腰を下ろしたら、急に緊張した。
私、正気なのに男の人の家にいる。酔った頭で入ったことはあるけれど、シラフなのは同棲していたとき以来かもしれなかった。

「すみません、お酒ください」
気づいたらそうリクエストしていた。お酒。私の外側を守ってくれる、強い味方。
「うん、ワインにする?」
「はい、強ければ何でも」
「……さては、お酒に逃げようとしているな?」
と笑いながら、水野さんはリーデルのグラスに入れた赤ワインをすっと出してくれた。
「ありがとうございます」
「これ、2,000円台のチリワインなんだけど、おいしいよ。口当たりが柔らかくて」
「おいしい。もっと高いやつかと思いました」
そう言いながら赤ワインを一口、二口、三口。水野さんは苦笑しながら、
「君が飲みすぎる前に、俺も自分の話をしようかな」
と、意外なことを口にした。
たしかに、水野さん自身の話はあまり聞いていない。離婚した元奥さんと子どもがいることくらいしか知らなかった。

「前にゆうかちゃんと初めて二人で飲んだときに少し話したとおり、10年以上前の俺は仕事人間で、仕事が生きがいだったし、それが自分の“価値”だと思ってた。20代半ばで結婚して、ますます仕事をがんばろうと思った」
でもね、と水野さんも赤ワインを飲みながら、話を続ける。
「リーマン・ショックで勤務先の業績が傾いて、有能な人から辞めていった。まだたいしてスキルがなかった俺も、結局は転職することになった」
「そうだったんですね」
今の会社にずっといるような雰囲気だったので、私は少し意外に思った。

「しばらくは、単発の仕事や安い給料の会社で働いて食いつないだよ。元妻も理解を示してくれていたんだ。『あなたが大変な時期だから、私もがんばらなきゃ』って。そして、30歳になる前に子どもが生まれた。でも、それは俺の子ではなかった」
「……え?」
私は思わずワインを飲む手を止め、水野さんの顔を見た。
「妻は最後まで否定していたけれど、あの子は俺の子ではなかった。全然似ていなかったんだ。子どもがまだ小さい頃、こっそりと遺伝子検査をした。だから書類上では明らかになっている」
「……」
思わず絶句した。ということは水野さんの元奥さんは他の人と……。

「検査をしたといったらショックを受けるだろうから、それを伏せて元妻に聞いた。そうしたら『あなたの子よ。でも、あなたはほとんど家に寄りつかなくて、働いてばかりで。仕事が好きなのはわかるけれど、私はさみしかった』と言って号泣されたよ」
水野さんは、空になったワイングラスを置く。
「そして元妻から『別れてくれ』と言われた。俺もそうしたいと思った。でも子どもはかわいかったんだ、本当に。ほとんど世話はできなかったけれど、あのときたしかに心の支えだった。だから祝い事があるときにはお金を送っている。少額だけどね」
「……そんなことって」
私はなんだか泣きそうになった。自分が裏切られたのに、それでも子どもがかわいくて、細い縁が切れないようにして……って。なんて人なんだろう。

「……水野さん、お人好しすぎる」
私は声を絞り出してそう言った。この一言しか出てこなかった。だってあんまりだ。あんまりの結果だ。
「だから『離婚して養育費を払い、子どもとも会っている』というのは、会社の同僚や大学時代の友人向けに作った嘘なんだ。本当のことは一部の友人しか知らない。ゆうかちゃんには信頼してほしかったから、真実をきちんと伝えたかったけれど、勇気が出なかった。だめだね、俺。ごめんね」
「そんなことないです。水野さんはすごいです」
思わず目から涙がこぼれてしまう。なんて悲しい嘘なんだろう。
「自分が損する嘘をつくなんて。そんな黙って隠して……」
「だからかもしれない」
「え?」
水野さんはワインから目を離して、私を優しく見つめながら言った。
「ゆうかちゃんを初めて見たとき、なんだか自分と同じようなものを感じたんだ。だからさっきの話を聞いて納得した。君も過去に絡め取られているんだな、と思って」

水野さんと私が悲しい直線でつながった。なんてひどい共通項なんだろう。私はなんだか笑えてきた。
「……それって、全然嬉しくない共通点ですね」
「そうだね、しかも二人とも、しっかりと裏切られているよね」
と、水野さんは笑いながら言う。そして私のほうに向き直り、
「でもいいじゃない。俺はもう一度、誰かと一緒にいたいって思えるようになったよ」
「……いやいや」
笑ってごまかす私を置いて、ちょっと待ってて、と水野さんは廊下に何かを取りに行った。そして戻ってきて、
「はい、どうぞ。よかったら開けてみて」
と小さな包みを私の手のひらに載せた。

「何?」
包みを開けると、特徴的なカラーの小さな小箱が出てきた。ん、これは。私は照れ隠しで、
「会社のイベントでもらったんですか?」
なんて軽口を叩きながら、小箱を開けた。
「わ、かわいい」
それは、小さなダイヤがついた、ティファニーのネックレスだった。シンプルなデザインだから、もうすぐ35歳になる私がつけても違和感がない。
「来月、誕生日でしょ?次にいつ会えるかわからないから」
「なんで知っているんですか?」
「LINEのIDから察して。違ってもまあ、笑い話になるかな、と思って」
驚いた。なんてスマートな人なんだろう。

「嬉しいです、ありがとうございます」
「本当は指輪をあげたかったんだけどね、いきなりだと重いなと思って」
「またまた……」
「つけようか?」
そういってさっとネックレスをつけるしぐさが大人だな、と思っていたら、ふと顎を持たれて口づけされた。最初は軽く、だんだん深く。長い長いキス。そして優しく抱きしめられる。腰のあたりがむずむずして、なんだか体が熱い。
「……ごめん、我慢できなくて」
そういって水野さんは一度、体を離した。私は自分の顔が上気しているのを感じた。どうしたんだろう、私が私でなくなったみたいだ。
なんだか、生きているみたい。

水野さんはそんな私の手を取って、正面に向き直って言った。
「ゆうかちゃん、俺と結婚を前提に付き合ってください。絶対に幸せにするから」
「……」
私はうまく返答できなかった。け、結婚?どういうこと?放心している私を見て、水野さんはぷぷっと吹き出した。
「君は本当に素直だよね。『け、結婚?』って顔をしてる」
「だって……私そこまで考えてもらっているなんて思いもしなくて。ただ一回寝たいのかな、なんて想像してて」
水野さんは、そうか、と言いながらふっと笑って、私を優しく抱き寄せた。
「じゃ、一回俺に抱かれてもらっていいかな?」

そのまま寝室につれていかれた。
寝室のドアがパタンとしまり、薄暗い間接照明のなかで、私はあっという間に裸にされた。
「きれいだね」
といって水野さんもシャツを脱ぎながら、私の全身に指を這わせた。年齢を思わせない筋肉質な体。太い二の腕。そういえば合コンのときに、週1でジムに行っていると言っていたっけ。

時を忘れるくらい、前戯に時間をかけられた。水野さんに丁寧に体を触られ、舌で舐められているうちに、だんだんと自分の輪郭を感じる。年齢のわりに薄い体だと思っていたけれど、腰回りはわりと肉がついているんだな。でも手首と足首は細くて折れそう。アンバランスな私の体。

そうやって時間をかけて水野さんの指が私のなかに到達したころには、お酒で武装した私の外郭なんてとっくに剥がされていた。水野さんは私の息づかいを聞きながら、
「かわいいね」
と耳元でささやき、一番敏感なところを愛撫した。私は恥ずかしいなんて思う余裕もなく、
「……!」
軽く絶頂を迎えてしまった。男性に逝かされるのは初めてだった。
「……やだ……」
「……大丈夫?」
水野さんは少し心配そうな顔をしながら、呆然としている私の顔をのぞき込んだ。
「……逝くの初めてで」
そのとき急に、驚くほど濡れていることを自覚して、私は思わず布団をかぶった。
「いやだ、恥ずかしい〜!」
やっと、はっきりとした声が出た。

そのままひたすらに悶絶している私を横目に、水野さんは声を上げて笑いながらベッドサイドの水を飲み、布団に潜り込んできた。
「君は本当に素直だね」
そういって、先ほどとは別人のように力強く、私を抱きしめた。
「もう誰にも渡したくないよ」
といって、また長いキスをした。今度は荒々しく舌を絡ませてきた。私も呼応するように夢中で彼を貪った。
そして彼が私のなかに入ってきたとき、涙が出た。嫌ではなかった。嬉しかった。幸福だと思った。
水野さんは、
「今日は5年分くらい泣いているんじゃない?」
といいながら、黙々と腰を動かした。

互いに絶頂を迎える瞬間が永遠に来なければいい。
ずっとこうしてつながっていたい。
この夜の底は暗くて深くて、でも暖かい。

With daylight, here's to You
(日の光と共に、これは君への祝福)
Do you hear me? My voice
(聞こえてるかい?僕の声が)

翌日、カーテンから差し込む日の光で目が覚めた。水野さんはもう起きているのか、キッチンでお湯を沸かす音がする。
いつも銀座で見る朝の光は暴力的で、眠い頭を強制的に叩き起こしてくる。でもこの部屋の光は、なんだかとても優しかった。

「起きた?朝ご飯、食べる?」
「……うん」
ドアをノックしながら言う水野さんに導かれ、私はベッドを出た。


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